第18話 S級専用供給契約
東京の高層ビルで行った予備交渉から、数日後。
西原鋼業の前に、黒塗りの車が停まった。
降りてきたのは、桐生陽菜と装備管理責任者、それにダンジョン協会の連絡担当者だった。
「本物だ……」
作業場の入口から、芽衣の声が漏れる。
職人たちも、機械を動かしながら陽菜の姿を気にしていた。
日本ランキング三位のS級探索者が、油と鉄の匂いが染みついた町工場へ来る。
落ち着けという方が無理なのだろう。
俺は同行者の入場許可証を確認し、一行を作業場へ案内した。
「こちらが、初期試験に使った炉です」
作業台には、ひしゃげたピッケルと、陽菜が実戦で使用した刀剣型試作品を並べている。
刀身には、黒い変色と赤い線が残っていた。
「こちらは、参加工場で合意したKUJO-G規格案です。ダンジョン協会へ提出済みですが、現時点で公認や安全認定を受けたものではありません」
陽菜は赤線の残る剣を、黙って見つめた。
自分が命を預けた装備だ。
だが、その目に懐かしむような感情はなかった。
どこが変形し、どこに赤線が出たのかを確認する、探索者の目だった。
「先に言っておきます」
西原が陽菜と装備担当者を見た。
「同じ配合で作ったからといって、毎回同じ性能になるとは限りません。規格案は作りましたが、安定した製造工程はまだ確立しとらん」
「つまり、未完成品ということですね」
装備管理責任者が言った。
「そうです。桐生さんの出力に対して、赤線がどの時点で出るかも、十分な検証はできとりません」
「その状態で、専用供給を求めるのは危険ではありませんか?」
装備担当者の問いに、西原は答えなかった。
判断するのは陽菜自身だ。
「既存装備を使い続ける方が危険です」
陽菜が静かに言った。
「今の特注剣では、出力を抑えなければなりません」
「桐生さん。それは以前から――」
「救助任務では、抑えられない時があります」
陽菜は装備担当者へ顔を向けた。
「火力を落とせば、救助対象や仲間を守れない。全力を出して剣が壊れれば、魔力の逆流で私自身が致死域へ入る可能性が高い」
救護ログによって確認された事実だった。
「KUJO-Gも安全ではありません。それでも、既存装備にはなかった警告が出た。少なくとも、限界を知るための選択肢になります」
陽菜が、俺へ向き直る。
「九条さん。専用供給契約を結んでください」
「条件を確認してから判断してください」
俺は事務所へ一行を案内し、用意していた契約書案を広げた。
「今回結ぶのは、無制限の供給契約ではありません。KUJO-G規格案の基準を満たし、出荷可能と判断できた製品について、供給能力の範囲で枠を確保する契約です」
「数量は保証されないのですか?」
協会の担当者が尋ねた。
「供給上限は設定します。ただし、製造に失敗した場合まで納品を保証することはできません」
「桐生さんは救助任務にも出るS級です。一般向けより優先する合理性はあるのでは?」
協会側の主張にも理由はあった。
陽菜が出動できなければ、救えない人間が出る可能性がある。
「救助任務については、限定的な優先枠を設けます」
俺は契約書の該当箇所を示した。
「協会から正式な救助要請を受けた任務に限り、通常供給分とは別に確保した緊急枠を使用します」
「個人探索では?」
「通常枠です。S級であることや、宣伝効果を理由に順番を変えることはありません」
陽菜の供給を優先しすぎれば、一般向けの枠が減る。
逆に、社会的な救助任務まで一律に並べれば、陽菜の能力を必要とする人間が危険にさらされる。
基準にすべきなのは、知名度ではない。
その装備が、誰の安全へ影響するのかだ。
「異論はありません」
陽菜は即答した。
「救助任務以外で、他の探索者より先に受け取る理由はありません」
装備担当者が、陽菜の横顔を見て黙り込んだ。
「専用仕様に必要な追加材料、検査、回収対応は、通常品と分けて積算します」
俺は見積書を開いた。
「S級だから高くするのではありません。必要な工程が増える分だけ、価格へ反映します」
「最低購入数があるのは?」
「専用の試験と製造準備には、固定費がかかるからです。単発一本では、その工程を維持できません」
陽菜は金額だけでなく、積算の内訳まで確認した。
言い値で買うつもりはない。
俺も、言い値で売るつもりはなかった。
「使用時の条件もあります」
赤線が現れた場合は、原則として即時に使用を中止する。
赤線発生品と破損品は、再使用せず返却する。
使用階層、戦闘時間、出力の状況を、製造改善に必要な範囲で報告する。
異常が起きた場合は、協会、九条補給店、製造側へ連絡する。
供給品が届かない場合、納品を前提に探索予定を組まず、出力を落とすか計画を変更する。
「最後の条件は、桐生さんの行動を制限しすぎませんか?」
装備担当者が尋ねた。
「供給できていない装備がある前提で、全力任務を計画する方が危険です」
「それは……そうですが」
「守れない納期を約束することも、存在しない予備を当てにさせることもできません」
陽菜は契約書を読み返し、頷いた。
「必要な条件です。装備がない時に出力を落とす判断も、私の責任です」
「契約内容と使用報告は、必要な担当者以外へ公開しません」
俺が付け加えると、協会の連絡担当者も守秘条項を確認した。
「西原社長。製造条件に無理はありませんか?」
「条件だけならな」
西原は契約書の別紙をめくった。
「ただし、検査で落ちたものを、納期が迫っとるから出せと言われても出さんぞ」
「その場合は、供給不能として扱います」
「なら異論はない」
最終的に署名するのは、供給者である俺と、購入者である陽菜。
西原は、製造条件確認書へ署名した。
陽菜がペンを取り、契約書へ名前を書く。
正式な専用供給契約が成立した。
これで陽菜は、九条補給店の広告塔になったわけではない。
白銀の陽炎という英雄でもない。
決められた対価を払い、使用条件を守り、供給を受ける一人の顧客になった。
「九条さん」
陽菜が、署名済みの契約書から顔を上げた。
「命を預ける相手は、自分で決めます」
静かな声だった。
「私は、あなたたちが作る装備を選びます。これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は頭を下げた。
信頼されたことは、嬉しい。
だが、それだけでは一本も届かない。
契約書を保管した俺は、次の製造予定と検査工程を確認するため、すぐに工程表を開いた。




