第17話 相場を作る側になれ
西原鋼業での規格協議は、一度では終わらなかった。
参加した五社の経営者と技術担当者が、それぞれの試験記録を持ち寄る。
素材の前処理。
鍛造。
切削。
熱処理。
検査。
一つの工程を変えるだけで、別の工程へ影響が出た。
「この配合範囲では硬すぎる。うちの工具が持たんぞ」
「そこを緩めれば、完成後の粘りが安定せん。西原鋼業の試験記録を見てくれ」
「記録どおりにやっても、炉の癖までは揃わんじゃろうが」
職人たちの声が、狭い会議スペースへ飛び交う。
彼らは、決められた数字を守るだけの作業員ではない。
素材の状態や、炉の音、加工中の手応えから、細かな調整を重ねてきた技術者だ。
だからこそ、数値で許容範囲を定めることへ反発が出た。
「九条さん。ここまで決めたら、現場で調整できん」
熱処理工場の社長が、規格案を指で叩いた。
「未知の素材だからこそ、職人の勘が必要なんじゃないのか?」
「必要です」
俺は否定しなかった。
「この規格は、調整方法を一つに固定するものではありません。完成品が下回ってはいけない安全基準と、次の工程へ渡す条件を揃えるものです」
俺は、ホワイトボードへ二本の線を引いた。
一方は、許容される加工条件。
もう一方は、完成品が満たすべき検査基準だ。
「工場ごとに、設備も得意な加工も違います。その違いをなくす必要はない」
「なら、何を揃える?」
「結果と記録です」
規格案へ盛り込んだのは、使用可能な素材と配合の許容範囲だけではない。
硬度と粘り。
規定の負荷試験において、重大な変形や破断より前に、目視可能な赤線が現れること。
各工程を渡す際の受入検査。
完成品から抽出して行う負荷試験。
製造工場と加工工程を追えるロット番号。
規格未達が判明した場合の回収手順。
事故発生時の調査方法と、各社の責任範囲。
「赤線が必ず出ると保証するのか?」
精密加工会社の社長が尋ねた。
「すべての状況で出るとは保証できません」
俺は答えた。
「保証するのは、定めた試験条件で、危険な破損より先に警告が確認できた製品だけを出荷することです」
実戦には、使用者の出力、攻撃方向、連続使用時間など、工場では再現しきれない変数がある。
規格を作ったからといって、絶対の安全が生まれるわけではない。
だからこそ、何を確認し、何を保証できないのかを分ける必要があった。
「ロット番号まで必要か?」
「必要です。不具合が起きた時、同じ条件で作った製品を特定できなければ、すべてを回収することになります」
「原因が分かれば、その工程の工場だけに責任を負わせる気か?」
「記録だけで責任を決めることはしません」
俺は規格案の事故調査欄を開いた。
「記録は原因を絞るためのものです。素材、加工、使用方法を調査したうえで、事前に合意した範囲に沿って判断します」
原因を追えることと、誰かを犯人にすることは違う。
記録がなければ、事故と無関係な工場まで一括して疑われる。
小さな工場を守るためにも、曖昧さを残すことはできなかった。
*
芽衣は、規格書とは別に、一般探索者向けの説明ページを作っていた。
「『赤い線を確認したら、直ちに戦闘を中止し、安全な場所へ退避してください』」
芽衣が画面を読み上げる。
「その下に、『赤線が出るまでの安全を保証するものではありません』。これなら誤解されない?」
「ああ。加えて、線が出た製品は再使用せず、九条補給店へ返却するよう書いてくれ」
「理由も必要だよね」
「内部状態を確認しなければ、次の改善につなげられない」
芽衣は、技術用語をほとんど使わなかった。
利用者が何を見て、どう行動すべきか。
説明の中心を、そこへ置いている。
「規格書は難しすぎるけど、使う人が全部覚える必要はないもんね」
「必要な行動が伝わればいい」
「じゃあ、規格書は工場を守る言葉。こっちは探索者を守る言葉だ」
芽衣はそう言って、二つの文書を別々のフォルダへ保存した。
*
最後に残ったのは、価格だった。
「どれだけ立派な基準を作っても、工賃を削られたら検査を続けられん」
検査会社の社長が言った。
「大手からは、毎年のように値下げを要求されとる。また同じことになるんじゃないか?」
「同じにはしません」
俺は、工程ごとの費用表を表示した。
材料費。
設備使用時間。
職人の工数。
検査費。
不良が出た場合の回収と再確認に必要な費用。
「各社に、品質基準を守るために必要な最低工賃を出していただきます。九条補給店は、その金額を下回る条件では発注しません」
「安い工場へ乗り換えんということか?」
「同じ基準を守れない安さには、価値がありません」
完成品の小売価格を、工場同士で固定するわけではない。
工場が安全な仕事をするために必要な費用を、発注側の俺が保証する。
安値競争で検査が削られれば、最初に失われるのは探索者の安全だ。
「これまでは、親会社が決めた価格で作る側だった」
西原が、費用表を見ながら呟いた。
「今度は、必要な品質に必要な値段を、わしらが出すわけか」
「はい」
俺は頷いた。
「安く作る側ではなく、安全に作るための相場を示す側になります」
規格未達や、定めた試験条件より早く赤線が出た製品については、回収して交換する。
ただし、誤使用や規定を超えた運用まで無条件に保証するものではない。
回収後の調査手順も、規格案へ組み込んだ。
数日をかけ、ようやく文書が一つの形になった。
「で、この規格案を何と呼ぶ?」
西原が、表紙だけ空欄の束を持ち上げた。
俺にとって、名前は識別できれば十分だった。
「ネットでは九条補給店で通ってるし、『KUJO-G』でいいんじゃない?」
芽衣が言った。
「Gは、規格を示すGrade。短い方が、工場でも利用者でも呼びやすいよ」
参加した社長たちにも異論はなかった。
表紙へ印字された名称は、
『KUJO-G規格案』
参加五社が署名したのは、無条件の製造契約ではない。
KUJO-Gの名称で製造する場合、この品質、検査、追跡、責任の基準へ従うという協議合意書だ。
量産できるかどうかは、まだ分からない。
百件の仮予約へ、納期も返せていない。
それでも、口約束だった連携が、初めて文書になった。
*
数日後。
俺は、ダンジョン協会本部の受付へ分厚いファイルを提出した。
KUJO-G規格案。
工場内での試験記録。
陽菜本人と協会の同意を得た、装備挙動に関する技術記録。
参加各社の検査体制案。
「安全審査資料として受領します」
担当者が内容を確認し、受付票を差し出した。
「ただし、これは提出を受け付けたというだけです。規格の承認や、製品の安全性を認めたものではありません」
「承知しています」
審査結果がどうなるかは分からない。
今は、入口へ立っただけだ。
受付印が押された控えを受け取る。
その表紙には、はっきりと記されていた。
『KUJO-G規格案』




