第15話 百件の仮予約と、一本も作れない現実
ノートパソコンの画面には、百件の仮予約が並んでいた。
購入契約でも、売上でもない。
それでも、対魔鋼の刀剣型試験モデルを欲しいと手を挙げた人間が、百人いる。
本来なら、需要を確認できたと喜ぶべき数字だ。
だが、俺たちには、その百人へ納期を約束できる一本がなかった。
俺は仮予約の内容を、項目ごとに分類した。
普段潜っている階層。
次回の探索予定日。
現在使っている武器の購入時期と、これまでの破損回数。
赤い警告線へ期待していること。
続いて、製造側の条件を並べる。
必要なタングステン、希土類、魔石粉末。
一度の炉で処理できる量。
鍛造、切削、熱処理、研磨、検査に必要な工数。
試験片の記録から推定した歩留まり。
歩留まり。
要するに、材料を投入したうち、製品候補として残る割合だ。
現状では、その数字が低すぎた。
「成立しませんね」
何度計算し直しても、結果は変わらなかった。
「何がじゃ」
西原が、俺の画面を覗き込む。
「仮に必要な材料をすべて用意できても、百本を同じ条件で加工する時間がありません。失敗分を考慮すれば、さらに延びます」
「当たり前じゃ」
西原は顔をしかめた。
「今まで作ったのは、試験片と実用品型の試作品だけじゃぞ。同じ配合で同じ赤線が出るか、安定して確認する工程すらできとらん」
西原鋼業には、対魔鋼以外の仕事もある。
長年取引してきた顧客への納品を止めれば、工場の信用も、従業員の生活も壊れる。
未知の製品一つへ、全設備と全人員を賭けることはできない。
「九条さん。これ、見て」
芽衣が、予約者の備考欄を開いた。
『次の探索は八日後。現在の剣に不安がある』
『今月二本目の破損。予備は残り一本』
『赤い線が本当に出るなら、多少待っても試したい』
数字の向こうにいる探索者の姿が、短い文章から浮かび上がる。
「来週とか再来週に潜る人が、結構いるよ」
「だからといって、間に合わないものを渡すことはできない」
「分かってる。でも、この人たちは待ってるんだよね」
遅れれば必ず事故が起きるわけではない。
それでも彼らは、今の装備に不安を抱えたまま、次の探索日を迎える。
俺は工程表の複製を作った。
検査回数を半分にする。
熱処理後の確認を一部省く。
加工精度の許容範囲を広げる。
数字の上では、製造時間が短くなった。
「その表、消せ」
西原が低い声で言った。
「検討用です」
「検討する価値もない」
西原の太い指が、検査省略の欄を叩いた。
「赤線が出るか分からん剣を、検査まで減らして売る気か。数を揃えるために安全を削ったら、この鉄を作った意味がなくなる」
「ええ。同意します」
俺は複製した表を削除した。
数量だけを増やす方法が成立しないことを、確認したにすぎない。
「粗悪品を出すくらいなら、百件すべて断る」
西原は言い切った。
「一本でも人を殺したら、残りの九十九本が無事でも同じじゃ」
この商品の価値は、単純な強度ではない。
壊れる前に危険を知らせる可能性だ。
その機能を確認できないものを対魔鋼として渡せば、商売ではなく詐欺になる。
「一つの工場に、全工程を背負わせること自体が間違いです」
俺は製造工程を、画面上で分割した。
素材の前処理。
配合と鍛造。
刀身の切削。
熱処理。
仕上げと検査。
「工程ごとに、必要な技術が違います」
「他の工場に振る気か?」
「可能性を調べます。ただし、品質を落とさないことが前提です」
俺は商社時代に接点のあった工場を、記憶から書き出した。
その後、企業の公式サイトや公開されている事業者名簿で、現在の事業内容と連絡先を確認する。
特殊金属の切削に強い工場。
小ロットの熱処理を得意とする工場。
精密検査設備を持つ工場。
最初に電話をかけたのは、大阪の金属加工会社だった。
『魔石粉末を含む合金ですか? 工具への影響が読めません。申し訳ありませんが、扱えません』
二社目は愛知の熱処理工場。
『温度条件も責任範囲も決まっていない仕事でしょう。既存の顧客を止めてまで受けるのは無理です』
三社目は、広島の精密加工会社だった。
『それが折れて探索者が怪我をした場合、加工したうちにも責任が来るんですか?』
「責任分界については、これから契約で――」
『これから? 悪いですが、決まってから持ってきてください』
電話は切れた。
その後も、返答は変わらなかった。
未知の素材を設備へ入れられない。
事故時の責任が重すぎる。
既存の取引を止める余裕がない。
ダンジョン装備は制度が固まっておらず、将来の規制も読めない。
どれも、経営者として正しい判断だった。
三時間後。
候補欄に並んだ工場名の横には、すべて「辞退」と入力されていた。
協力先は、ゼロ。
「やっぱり、無理なの?」
芽衣が不安そうに尋ねる。
「今の頼み方では無理だ」
「今の?」
俺は、断られた理由を並べ直した。
彼らは技術がないから断ったのではない。
こちらの製品のために設備と信用を危険へさらし、事故が起きた時だけ責任を負わされることを恐れている。
外注先として仕事だけを切り出せば、そう見えるのは当然だった。
「一社ずつ下請けとして頼む限り、誰も動きません」
俺は西原を見る。
「必要なのは、作業の押しつけ先ではない。品質、責任、利益について、最初から同じ立場で話せる相手です」
「そんな都合のいい工場があるか?」
「ありません。だから、同じ場所へ集めます」
俺は候補の中から、技術分野の異なる五社を選んだ。
次に送るのは、外注依頼ではない。
市場の数字と、実際に起きた装備事故と、百件の需要を同じテーブルで検討するための協議依頼だ。
引き受けてほしいと電話で頼むだけでは、誰も動かない。
まず、何を恐れ、どこまでなら責任を共有できるのか。
それを正面から話す必要があった。




