第14話 九条補給店、仮オープン
翌朝。
短い睡眠から目を覚ますと、スマートフォンの通知欄が埋まっていた。
大半は、ダンジョン協会から正式に転送された問い合わせだった。
購入を希望する探索者。
試作品の性能を確かめたいクラン。
取材を申し込むメディア。
協会側が俺への転送可否を確認したうえで、公開可能な連絡だけをまとめて送ってきている。
たった一本の試作品と、数十秒の救難映像。
それだけで、実体のない「九条補給店」に需要が集まり始めていた。
俺はノートパソコンを開き、問い合わせ内容を表計算ソフトへ入力した。
希望する武器の形状。
普段潜っている階層。
次回の探索予定日。
現在使っている装備と、月間の破損本数。
入力するたび、ばらばらだった要望が市場データへ変わっていく。
剣だけではない。
槍、斧、採掘用ピッケル。
対魔鋼を試したいという声は、想定より広い。
だが、今すぐ注文として受けることはできない。
こちらにあるのは、工場内試験と一度の実戦使用を終えた刀剣型試作品だけだ。
価格も納期も決まっていない。
同じ赤線を再現できる保証すらなかった。
俺は問い合わせをすべて「購入希望」と「試用希望」に分け、代金を受け取らないことにした。
売る前に決めることが多すぎる。
警告線が出た後の使用中止。
初期不良が見つかった場合の対応。
異常が起きた際の連絡先。
回収品を誰が確認し、どの段階で使用禁止と判断するのか。
命を預かる道具を売って、後は購入者の自己責任です、では済まない。
*
「だから、買う場所がないんだってば」
昼前。
西原鋼業の事務所で、芽衣が呆れた声を上げた。
「九条さん、朝から何してたの?」
「問い合わせの分類と、販売前に必要な安全条件の整理だ」
「それも必要だけどさ」
芽衣が俺の画面を覗き込む。
「ネットのみんなが知りたいのは、まず『何を売るのか』『どこで申し込めるのか』だよ。規約と管理表だけ作っても、入口がなければ誰も入れないでしょ」
「無責任な入口なら、ない方がいい」
「じゃあ、無責任じゃない入口を作ればいいじゃん」
芽衣は自分のノートパソコンを開いた。
「ネット側は私がやる。九条さんは、絶対に書かなきゃいけない条件を出して」
そこからの芽衣は速かった。
簡易的な公式サイト。
仮予約の受付フォーム。
公式Crossアカウント。
偽物と区別するための、黒地に白文字だけの簡素なロゴ。
「店名は、もう九条補給店でいいよね?」
「西原鋼業の名前を出さなくていいのか?」
「まだ試作品なんだから、工場に問い合わせが殺到したら仕事の邪魔になるでしょ。それに、ネットではもう九条補給店で定着してる」
俺に店名へのこだわりはなかった。
取引相手が間違えず、責任の所在が分かればいい。
「仮称として使おう」
「決まり」
芽衣が店名を入力する。
誰かが勝手につけた呼び名が、その瞬間、本当に存在する店の名前になった。
「次は商品説明ね。『赤い線が出たら交換時期です』でいい?」
「待ってくれ」
俺はすぐに止めた。
「赤い線は、使用中止を判断するための警告候補だ。交換時期を保証するものではない」
「違うの?」
「線が出るまで安全だとも言えない。実戦で確認できたのは桐生さんの一例だけだ」
商品名は『仮称・対魔鋼試験モデル』。
形状は、実戦確認のある刀剣型に限定。
赤い線が出た場合は、ただちに使用を中止する。
協会公認品ではなく、性能と再現性は検証中。
価格、仕様、納期は未確定。
今回の受付は購入契約ではなく、製造可能性を確認するための無償の仮予約。
俺が条件を並べるたび、芽衣の表情が渋くなっていく。
「こんなこと全部書いたら、誰も申し込まないんじゃない?」
「それで申し込みがなくなるなら、今は売るべきではないということだ」
「ほんと、商売する気があるのかないのか分かんないね」
芽衣はため息をつきながらも、俺の文章を書き直した。
『赤い線は、安全の保証ではありません。危険が近い可能性を知らせるサインです』
『赤い線を確認したら、戦闘を継続せず、安全な場所で使用を中止してください』
難しい技術説明が、探索者の行動へ結びつく言葉に変わっていく。
どんなに正確な説明でも、使う人間に伝わらなければ意味がない。
その点で、芽衣の仕事は俺にも西原にもできないものだった。
「問い合わせ窓口と、異常が起きた時の連絡フォームもつけたよ」
「初期不良と、使用後の変形は分けて報告できるようにしてくれ」
「はいはい。九条さんは売上より先に、壊れた後のことばっかりだね」
「壊れる道具を売るんだ。壊れた時の手順が先だろう」
芽衣の手が止まった。
なぜか数秒、俺の顔を見つめる。
「……それ、普通の店は最初に考えないと思う」
*
夕方。
公開準備を終えた画面を見て、西原は腕を組んだ。
「先に言っとくぞ。予約が何件来ようが、うちで作れる数は増えん」
「分かっています」
「分かっとる顔には見えんな」
「今回は需要を測るための仮予約です。代金は受け取らず、製造も納期も約束しません」
受付対象は刀剣型試験モデルのみ。
一人一本。
第一次受付は百件で自動停止。
それでも、申し込む人間がいるのか。
芽衣が公開ボタンへ指を置いた。
「開けるよ?」
「頼む」
九条補給店、仮オープン。
公式Crossへ、予約フォームのリンクが投稿された。
最初の一件が入ったのは、三分後だった。
中層を主戦場とするソロ探索者。
次は新人パーティーのリーダー。
その次は、企業スポンサーを持たないフリーの探索者。
申込者は全員、未確定納期と未検証の注意事項へ同意している。
金を払うという確約ではない。
実際に命を預けるという決断でもない。
それでも、無名の試験品を詳しく知りたいと手を挙げる者が、確かにいた。
一時間後、仮予約は三十七件。
深夜には八十件を超えた。
翌朝。
受付画面には、赤い表示が出ていた。
『第一次仮予約受付終了』
百件の上限へ到達していた。
「百本……」
芽衣が集計画面を見つめる。
「すごいよ。これ、大成功じゃない?」
「違う」
答えたのは西原だった。
その顔に喜びはない。
「同じ品質で作れる保証もないもんを、百本じゃぞ」
俺は、百人分の希望探索日と、西原鋼業の試作記録を見比べた。
需要が存在することは分かった。
だが、仮予約を注文へ変えるためには、同じ品質のものを、必要な日までに作らなければならない。
現時点で、俺たちは顧客へ納期を約束できる一本すら持っていなかった。




