第11話 これで、戦ってみてください
第七区画、深層手前の大空洞。
桐生陽菜は、巨大な戦斧を剣で受け止めた。
耳をつんざく金属音が響き、衝撃で足元の岩盤が砕ける。
四メートル近い巨躯を持つ、ミノタウロス級のボス。
その膂力に押し込まれながらも、陽菜は一歩も退かなかった。
彼女の後方では、一人の仲間が負傷して倒れている。
残る二人も、崩れかけた防御障壁を維持するので精いっぱいだった。
陽菜が道を空ければ、ミノタウロスの戦斧は彼らへ届く。
「下がってください!」
「無理だ! こいつを押さえたままじゃ、転移石が反応しない!」
仲間の叫びに、陽菜は奥歯を噛んだ。
救難要請は送った。
だが、救難班が到着するまで、この怪物を止めなければならない。
陽菜は剣へ魔力を流し込んだ。
白銀の光が刀身を包み、ミノタウロスの戦斧を押し返す。
力では負けていない。
問題は、その力を伝えるための剣だった。
ピキッ。
柄に近い場所から、甲高い音がした。
刀身に細い亀裂が走る。
同時に、剣へ流したはずの魔力が、わずかに手元へ押し返された。
「っ……!」
陽菜の指先が痺れる。
朝、技師から告げられた言葉が脳裏をよぎった。
残る予備は二本。
出力を抑えなければ、また壊れる。
陽菜は魔力を絞った。
白銀の光が弱まった瞬間、ミノタウロスの戦斧が剣を弾く。
陽菜の身体が、後方へ押し飛ばされた。
「桐生!」
仲間の声が響く。
ミノタウロスが床を蹴った。
巨体が迫る。
陽菜は立ち上がり、亀裂の入った剣を構え直した。
出力を抑えれば、押し切られる。
全力を流せば、剣がどこまで持つか分からない。
それでも、ここで退くことはできなかった。
陽菜が再び魔力を解放しようとした、その時だった。
「救難班、到着!」
空洞の入口に、青白い防護壁が展開された。
協会の救難班が、負傷者を退避させるための携帯障壁を設置していく。
その後方。
戦闘区域から隔離された臨時補給地点に、戦闘装備を身につけていない男がいた。
無地のジャケット姿。
片手には、細長い金属ケースを抱えている。
「なぜ民間人がいる!」
「試験装備の搬入業者です! 入口施設から、後方補給地点まで同行を許可しました!」
救難班員が答える。
男は二重に張られた携帯障壁の内側から、一歩も動かなかった。
「緊急時に使える可能性のある装備を持っています」
「未承認の試作品だろう!」
救難班の責任者が怒鳴る。
男はその場に膝をつき、金属ケースを開いた。
中に収められていたのは、装飾のない鈍色の剣だった。
「工場内の機械試験しか終えていません。実戦性能も、魔力への耐性も未確認です」
男は事実だけを告げた。
「通常鋼より高い機械負荷に耐え、重大な変形の前に赤い線が出たことは確認しています。突然破断する前に、限界を知らせる可能性があります」
「可能性だけで、S級に使わせられるか!」
「現在使用している剣には、すでに亀裂が入っています」
男の視線が、陽菜の手元へ向けられる。
「安全だとは言えません。ですが、亀裂の入った剣を使い続ける以外の選択肢にはなります」
救難班の責任者が言葉に詰まった。
陽菜の剣から、再び小さな破砕音がした。
亀裂が、鍔元へ向かって伸びている。
「桐生さん」
男が、携帯障壁の受け渡し口へ剣を差し出した。
「試作品です。あなた専用に作ったものでもありません。耐えられる保証もできません」
淡々とした声だった。
だからこそ、陽菜には信用できた。
男は、助かるとも、絶対に折れないとも言わなかった。
危険を隠さず、そのうえで選択肢を示している。
「赤い線が出たら?」
陽菜が尋ねた。
「限界が近い可能性があります。確認した時点で、それ以上使用して安全だとは言えません」
ミノタウロスが咆哮を上げた。
仲間の防御障壁へ、巨大な戦斧が叩きつけられる。
障壁全体に亀裂が走った。
「試作品であることも、性能が未確認であることも説明した!」
救難班の責任者が叫んだ。
「緊急時の装備選択は、使用者本人の判断になる!」
携帯障壁の退避口が、一時的に開かれる。
陽菜はミノタウロスの追撃をかわし、一瞬だけ後方へ下がった。
亀裂だらけの特注剣を手放し、救難班員を介して鈍色の試作品を受け取る。
「九条です」
障壁の向こうで、男が名乗った。
「これで、戦ってみてください」
陽菜は一度だけ頷き、戦場へ戻った。
握った感触は、これまでの特注剣とは違った。
わずかに重く、重心も陽菜の好みから外れている。
それでも、今は十分だった。
ミノタウロスの戦斧が振り下ろされる。
陽菜は対魔鋼の剣へ魔力を流し込み、その一撃を正面から受けた。
轟音。
白銀の光が大空洞を照らす。
陽菜の足元が沈み、岩盤に亀裂が走った。
だが、剣は砕けなかった。
戦斧を受け流し、ミノタウロスの巨体から距離を取る。
刀身を確認する。
目立った亀裂はない。
「……耐えた」
これまでの剣なら、今の一撃だけで新たな傷が増えていた。
陽菜は、もう一度だけ魔力を込める。
二度目の激突。
三度目。
対魔鋼は、わずかに震えながらも形を保っていた。
だが、仲間たちを守る防御障壁は限界だった。
「桐生! もう持たない!」
障壁を維持していた仲間が叫ぶ。
表面を走る亀裂が、一気に広がっていく。
次の一撃を受ければ、障壁は砕かれる。
負傷者を連れたまま、ミノタウロスから逃げ切ることもできない。
陽菜は、手の中の試作品を見た。
赤い線は、まだ出ていない。
無傷だからではない。
限界が分からないだけだ。
それでも、今ここで決着をつけなければ、仲間たちが死ぬ。
陽菜は決断した。
「次で、終わらせます」
残る魔力を、一度の攻撃へ集中させる。
白銀の光が刀身を包む。
陽菜が床を蹴った。
ミノタウロスも戦斧を振り上げる。
互いの間合いが、一瞬で消えた。
陽菜はすでに斬撃へ入っていた。
全身の動きと魔力を、一つの軌道へ乗せている。
その瞬間だった。
柄に近い部分から、細い赤色が滲み出した。
赤い線が、鈍色の刀身を横切るように走る。
限界が近い。
九条の言葉が脳裏をよぎった。
これ以上使用して安全だとは言えない。
だが、すでに放った斬撃を無理に止めれば、行き場を失った魔力が自分へ戻る。
陽菜は新たな魔力を加えなかった。
開始した一撃だけを、そのまま振り抜く。
ミノタウロスの戦斧が落ちるより速く、白銀の斬撃が巨体を駆け抜けた。
ミノタウロスの動きが止まる。
数秒遅れて、その巨体が地響きを立てて崩れ落ちた。
大空洞に、静寂が戻った。
「桐生……やったのか?」
仲間の声が震えていた。
陽菜は答えず、すぐに剣へ流していた魔力を止めた。
追撃はしない。
素振りさえしない。
刀身には、鮮やかな赤い線が残っている。
表面の一部は黒く変色し、わずかな歪みも生じていた。
無傷ではない。
完成された武器でもない。
それでも、突然砕けるより先に、限界が近いことを目に見える形で示した。
「赤線を確認しました。これ以上は使いません」
陽菜は救難班へ告げ、試作品を慎重に地面へ置いた。
救難班員が、破損品回収用のケースへ収める。
携帯障壁の向こうで、九条は赤い線と刀身の変形を凝視していた。
歓声を上げることも、勝ち誇ることもない。
「まだ一度、実戦で耐えただけです」
九条は確認するように告げた。
「安全だと判断するには早い。赤線が出た条件と、その時点での刀身の状態を調べる必要があります」
陽菜は、回収ケースへ収められた試作品へ視線を落とした。
この男は、絶対に折れない剣を持ってきたのではない。
壊れる可能性を告げたうえで、壊れる前に危険を知らせるかもしれない選択肢を届けた。
「使用後の剣は、返却します」
陽菜が言った。
「どのように使ったかも、すべて報告します」
「お願いします」
九条は短く答えた。
試作品は、陽菜の最後の一撃を受け止めた。
同時に、赤い線によって限界が近いことを示した。
それが偶然なのか。
同じ現象を、次の一本でも再現できるのか。
答えは、まだ何一つ出ていない。
ただ、この日初めて。
対魔鋼はダンジョンの実戦で、突然破断する前に使用者へ警告を届けたのだった。




