激突
城壁から飛んだロデリックは、かつて森を彷徨っていた頃に「捕食」した、とある生き物へと姿を変えた。
トカゲなどの爬虫類に似た、だが人間からすれば見上げるほどに巨大な身体と力強く羽ばたく翼を持つ――人が「竜」と呼ぶ生き物だ。
大きな翼を羽ばたかせて滞空する、白銀の鱗で覆われた巨躯に、その場にいる全員が目を奪われた。
――死骸を「捕食」した時は大きなトカゲと思っていたが……こいつなら「ネカトル」に対抗できるかもしれない。
完全に、その身を「竜」に変化させたロデリックは、ネカトルに向かって「息」を吐いた。
「竜」には、火炎を吐くものや冷気を吐くものなど様々な種族が存在すると言われている。
ロデリックの口から放出されたのは、白く輝く光線と稲妻が入り混じったような不可思議な「息」だった。
さすがに想定外だったのか、反応の遅れたネカトルの全身を、白熱した「息」が飲み込んだ。
無数の矢でも、人間たちのあらゆる魔法でも毛ほどの傷さえ付けられなかったネカトル――彼のまとう黒衣のフード部分が蒸発するかのごとく霧散し、その素顔が露わになる。
長く伸ばした銀色の髪に、宝石のような赤い瞳、そして男女のどちらともつかない中性的な美貌が、人間離れしたものを感じさせた。
「竜の『息』攻撃が、ネカトルに通った?!」
「見ろ! 奴の素顔が……!」
人間たちの驚く声が、ロデリックの耳にも届いた。
「これは……! なるほど、興味深い」
一方、なぜか嬉しそうに言ったネカトルは、竜に変身したロデリックへ攻撃を集中させた。
天空から降り注ぐ無数の雷や巨大な光の槍、唸りをあげて飛来する火球――ロデリックは、それらを巨体からは想像できないであろう素早い動きで回避しながら、自身も「息」でネカトルを攻撃した。
彼のまとう白銀に輝く鱗は、物理や魔法、あらゆる攻撃に対する高い耐性を持っていた。
それでも、躱しきれなかった相手の魔法による攻撃が、ときに鱗を貫通しロデリックの身体を抉っていく。
幸いにも、元は粘液生物であるロデリックには、他の生き物と異なり「重要な臓器」などというものが存在しない。
抉られた部分を高速で再生して埋めながら、彼は幾度となく光の「息」をネカトルに浴びせた。
超常の力を持つ者同士の激突を前にした人間たちは、激しく閃く光と影、火球の発する灼熱や氷塊のまとう冷気が生み出す地獄絵図に、ただ圧倒されている。
戦いながら、ロデリックは目の前のネカトルに対し奇妙な感覚を覚えていた。
――この気持ち……人間が言う「懐かしさ」というものに似ている。奴もまた、俺と同じく「人間ではない存在」だというのか?
ネカトルは分厚い魔法の防御壁をまとっているようだが、ロデリックの「息」が、彼の体力を僅かずつではあるものの削っているのが見て取れた。
最初は余裕を見せていたネカトルの表情が、次第に苛立ちの入り混じったものになっていく。
「今回は情報収集が目的ですし、これくらいにしておきましょうか」
不意に、ネカトルの姿が虚空へ溶けるように消えた。
「帝都まで来られたなら、また相手をしてあげますよ」
彼の嘲笑交じりな声だけが、ロデリックの中に残った。
先刻まで飛び交っていた炎や雷が雲散霧消し、その場は、たまゆら静寂に包まれた。
と、ロデリックは突然平衡感覚を失うと共に全身の力が抜け、地面へと墜落した。
彼の身体が、ぐしゃり、と音をたてて地面に広がる。
無意識のうちに、ロデリックは本来の姿である粘液生物の姿へ戻っていた。
――まずい、早く人の姿をとらなければ……!
彼は急いで慣れ親しんだ人間の姿をとろうとした。
普通の状態であれば瞬きする程度の間に変身できる筈だが、どういう訳か、ひどく時間がかかっていた。
――そういえば、全身が鉛のように重い……これは、人間が言う「疲労」という状態なのか。ネカトルとの戦闘の際、欠損した部分を高速で再生していたが、その反動かもしれない……
ようやく上半身が人型になったところで、ロデリックは地面に手をつき、ふと顔を上げた。
彼の目に飛び込んできたのは、飛行の魔法を使用しているのか、こちらに向かって、ふわふわと浮かんで移動してくるアンネリーゼの姿だった。
腰から下は未だ粘液生物の形状であるロデリックの中に、様々な思考が飛び交った。
――こんな姿をアンネリーゼに見られたら……早く……早く「ロデリック」の姿に戻らなければ!
気持ちばかりが焦る中、ロデリックの変身は遅々として進まず、そんな彼の前に、アンネリーゼが空中から舞い降りた。
「お父さん……?!」
上半身は人型だが、下半身が粘液生物という父の姿に、アンネリーゼは、その琥珀色の目を大きく見開いている。
「どうしたの? あいつに……ネカトルに何かされたの?」
慌てて走り寄ったアンネリーゼが、そう言ってロデリックの傍に屈み込んだ。
「いや……大丈夫だ」
言いながら、なんと気の利かない言葉だろうかと、ロデリックは自身に呆れた。
「お父さんが急に城壁から飛び降りて、びっくりしたのよ。竜とネカトルが戦い始めるし、巻き込まれて死んじゃうんじゃないかって、気が気じゃなかった……でも……」
アンネリーゼが何か言おうとして言葉を飲み込んだ時、彼女の背後から大勢の人間の駆け寄る足音が近づいてきた。
「ステラ殿!」
「単独で先行するのは危険です!」
口々に言う者たちの中には、フィリップやシャルルを始め、ホルストやイーヴァリ、ソフィア、そして側近たちの姿もあった。
彼らはロデリックの姿を目にすると、一様に、ぎょっとした様子を見せた。
「ロデリック殿……これは、一体どういうことなのか、説明していただけますか」
少しの間のあと、フィリップが強張った表情で口を開いた。彼が、精一杯、平静を保とうとしているのが見て取れる。
一同の前で、ようやくロデリックは全身を人の形に戻すことができた。
ロデリックが何も身に着けていないのに気付いたアンネリーゼは、自身がまとっていたマントを、蹲っている彼に着せかけた。
「……今、皆が見たとおりだ」
「あなたは……人間ではないということか。もしかして、さっきの『竜』も?」
ホルストが、ロデリックの言葉に疑問を呈した。
「そうだ」
ロデリックが短く答えると、ホルストは腰に下げていた剣を抜き、彼に突きつけた。
「ホルスト様、何をするんです!」
咄嗟に、アンネリーゼがロデリックとホルストの間に割って入った。
「彼は人外なのに、我々を謀って人間のふりをしていた……その意図が分からなければ、危険な存在と見做すのは当然だ」
「そんな……父は、自分も傷つきながら、私たちを守ってくれました! それだけでは足りないと仰るのですか! 父を傷つけることは、私が許しません!」
冷徹に語る大柄なホルストを前に、アンネリーゼは一歩も引くことなく言い放った。
「そうです、ロデリック先生を危険な存在と決めつけるのは早計だと、僕も思います」
アンネリーゼを後押しするごとく、シャルルも言い添えた。
「人外とはいえ、ロデリック様は意思疎通が可能です。まずは、お話を聞いたほうがよろしいかと」
青ざめた顔のソフィアが、口を挟んだ。
「ホルスト殿の言い分も理解できるけどね。とはいえ、これまでの実績もあるし、ソフィア殿の仰るように、何が起きたのかを明確にする必要があると思うよ」
イーヴァリも、不安げな表情を見せつつ言った。
「ロデリック殿は、ステラ姫にとって重要な人物です。対応を誤れば、解放軍が立ち行かなくなる可能性すらある……彼をどうするかは、事情を明らかにした後で決めるべきでしょう。ホルスト殿、よろしいですね」
フィリップが言うと、ホルストは頷いて、剣を鞘に納めた。
ロデリックは、先刻アンネリーゼが自分を庇った姿を思い出し、まるで人間のように胸の中が熱くなる気がした。




