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黒衣の男

「黒衣の男は、見張りの視界に突然現れたように見えたとのことです。魔導兵たちによれば、おそらく転移の魔法などを使用しているのではないかと」


 兵士の報告を聞いたフィリップが、椅子から立ち上がった。


「黒衣の男はネカトルの可能性があります。十年以上前、やはり奴は突然王都近郊に出現し、我が国を蹂躙していった……!」


「エティエンヌ殿、落ち着くんだ。たしかに、報告を聞く限り、黒衣の男は高位の魔術師の可能性がある。だが、冷静さを失っては適切な対処が取れないぞ。まだ試作段階だが、我が国の技術で開発した、対魔法戦闘用の魔導具を出そう。あとは、魔導兵の配置の指示を」


 ホルストの言葉に、フィリップは我に返った様子だった。


「そうですね、取り乱してしまい、申し訳ない。……相手は広域攻撃魔法を使う可能性が高い。敵の出現した方面を中心に魔法防御壁を広域展開させてくれ。私も出る」


 てきぱきと指示するフィリップに従い、彼の側近たちが次々に会議室から出て行った。

 他の王族たちも、各々の側近たちに指示を飛ばしている。


「各国の部隊から、魔導兵を招集、その他にも弓兵など遠隔攻撃の可能な兵種を集めましょう」

「非戦闘員は街の反対側へ退避を」


「相手は魔術師でしょう? 気付かれないよう接近して物理攻撃で仕留めてしまえばよいのでは?」

「ネカトルは、呪文の詠唱無しで魔法を使うという話だよ。普通の魔術師を相手にするのと同じく考えるのは危険だと思うね」


 誰かの提案にイーヴァリが反論すると、フィリップも頷いた。


「私も、『黒衣の男』の迎撃に出ます」


 騒然としていた会議室が、アンネリーゼの声で、一瞬静まった。


「いや、ステラ姫は安全な場所へ退避してください」

 

 フィリップが、厳しい表情で言った。


「そうだ、君に何かあれば全てが終わりだ。それに……」


 シャルルは言いかけた言葉を飲み込んで、アンネリーゼの肩に手をかけた。

 アンネリーゼは、肩に乗せられたシャルルの手に、そっと触れながら言った。


「それなら、私も手伝ったほうが被害も抑えられる可能性が高い、つまり生き残れるということでしょう? 呪文の斉唱(ユニゾン)は、詠唱者が一人増えるだけで効果が倍増するのよ。責任感だけじゃない、私は効率も重視しているの」


――この子は、こうなれば(てこ)でも動かないだろう。それなら……


 アンネリーゼの凛とした佇まいを目にして、ロデリックは思った。


「アンネリーゼの護衛は任せてくれ。最悪の事態が起きたなら、この子だけでも連れて離脱する」


 ロデリックの言葉に、フィリップら王族や各国の援軍の代表者たちは顔を見合わせた。


「分かりました。ステラ姫のこと、くれぐれもお願いします。姫は戦力としても貴重ですから」


 フィリップの言葉に、会議室の中は一瞬(ざわ)めいたものの、他に良い案もないのであろう、もはや反対する者はなかった。


 

 一旦、方針が決定したとなれば、解放軍の動きは迅速だった。

 黒衣の男が接近してくる方面へ向け、城壁に配置された魔導兵たちが呪文を詠唱し始めた。

 やがて、淡く輝く光の壁が城壁の外側に展開されていく。


「試作型魔導防壁展開装置、起動! 試作型魔導砲も発射準備を」


 更に、城壁に運び込まれた何基もの魔導具が、ホルストの号令で起動される。

 魔導具特有の奇妙な駆動音と共に、光の壁が二重に重ねられた。


 そうしている間に、相変わらず徒歩で移動している黒衣の男は、肉眼でも確認できる距離に接近しつつあった。


「あの時は不意打ちで成す術がなかった……だが、今回は」


 フィリップが、ぼそりと呟いた。いつになく肩に力が入っているのが見て取れる。

 防壁展開の呪文を詠唱し終えたアンネリーゼは、祈るように胸の前で両手を組み合わせていた。

 城壁の上で、ロデリックはシャルルと共に護衛としてアンネリーゼに付き添っている。

 黒衣の男が歩を進める度、自身の中に焦りとも恐れともつかない波が湧き立つのを、ロデリックは必死で抑えた。

 緊迫した空気の中、フィリップが拡声魔導具を手に取った。


「そこの黒衣の者、それ以上、王都に近付くな。従わなければ攻撃する」


 彼の声と共に、城壁内に配置された弓兵たちの、弓を引き絞る気配が伝わってくるのを、ロデリックは感じた。


――普通に考えれば、これだけの矢が一斉に放たれたなら、無傷で済む人間など存在しないだろう。だが……


「どうやら、準備万端のようですね。のんびり歩いてきた甲斐がありました」


 不意に、爽やかな若い男の声が響いた。

 いや、響いたというよりは、相手の言葉が頭の中に直接潜り込む如き圧迫感がある。

 ロデリックは思わず周囲を見回したが、やはり他の者たちも同様に感じているらしい。

 闇のごとく黒いローブに身を包んでいる男は、フードを目深に被っており、その顔を見ることは叶わないものの、声だけを聞けば、せいぜい二十代というところだと思われた。


「貴様は何者だ」

「人に名を尋ねるなら、自分から名乗るものですよ。まぁ、いいでしょう。私は、ネカトルと呼ばれる者です」


 黒衣の男――ネカトルの「声」を聞いたフィリップが息を呑んだ。


「ここへ、何をしに来た。よもや、貴様もオディウムを見限ったとでも言うのか」


 フィリップの問いかけに、ネカトルが笑った。というより、彼の嘲笑が自分の内部に捻じ込まれた――ロデリックには、そう感じられた。


「ああ、君たちのお陰で、帝国は酷い有様ですよ。とはいえ、まだ『彼』にも用事がありますから。今日は、君たちについての情報収集に来ただけです」


 一秒にも満たぬ間を挟んで、拡声魔導具を通したフィリップの声が響き渡った。


「撃て!」


 間髪を入れず、弓兵たちが無数の矢を放った。

 更に、唸りを上げる十数基の試作型魔導砲から白熱する破壊光線が放たれ、ネカトルに向かって収束する。

 やや遅れて、魔導兵たちが斉唱呪文によって生み出した巨大な(いかづち)が、ネカトルが立っていると思しき場所へ、王都を揺るがす轟音と共に突き刺さった。

 たとえ相手が数千、数万の軍勢であっても、甚大な被害を被るであろう猛攻。

 一瞬の静寂ののち、破壊光線と(いかづち)の名残である煙が風に運び去られる。

 そこにあったのは、誰もが信じたくないであろう光景だった。


「随分と手荒い歓迎ですね。もっとも、前回は何もなかった訳ですし、多少は進歩したとも言えますね」


 広範囲に焼け焦げた地面の上、泰然とネカトルが佇んでいる。

 彼が、その右手で城壁を指差すと同時に、巨大な(いかづち)が城壁を襲った。

 目も(くら)む閃光と轟音に城内からは悲鳴が上がったものの、(あらかじ)め展開されていた魔法防御壁に阻まれ、(いかづち)は霧散した。


「こちらの攻撃を全て凌ぐとは……!」

「奴も、強力な防御壁をまとっているのか……」 


「今の攻撃で、魔法防御壁の六割が削られました! 急ぎ修復中です!」


 相手の攻撃を防いだことに安堵したのも束の間、魔導兵からの報告は、状況が予断を許さぬものと思い知らせるに十分だった。


「なるほど、学習したということですか。これでは如何でしょうか」


 ネカトルが言い終わらぬうち、上空に出現した幾つもの巨大な火球が降り注ぐ。


「馬鹿なッ、本当に無詠唱で魔法を発動している……?!」

「これでは防御壁が持たない……!」


 半ば悲鳴のような声が上がる中、魔導兵たちが立て続けに呪文を唱えて防御壁を修復している。

 しかし、同時にネカトルの魔法による攻撃も激しさを増した。

 息つく間もなく上空から降り注ぐ(いかづち)や火球、巨大な氷塊――それらの一つでも市街地に直撃すれば、どれほどの被害が出るのかなど、もはや想像もつかなかった。


――この状況では、自分にできることなどない……だが、このままでは人間たちが持たない……!


 防御壁を展開する呪文を詠唱し続けるアンネリーゼの姿を、ロデリックは絶望的な気持ちで見つめていた。

 魔法を発動させる為に呪文を詠唱して「魔素」を動かす行為は、人間の身体に負担をかける。

 短時間に自分の限界を超える量の「魔素」を扱うと、下手をすれば激しく消耗して命を失うこともある――以前、アンネリーゼから聞いた話を思い出し、ロデリックは慄然とした。

 アンネリーゼもフィリップも、息を切らしながら、なおも呪文の詠唱を続けている。

 弓兵たちの矢は、とうに尽き、魔導兵たちの力も、今は全て防御に割かれている。

 もはや反撃の糸口すら見えない。

 対するネカトルのほうは、様々な攻撃魔法を放ちながらも、まだ本気ではないとすら思える余裕を見せている。


――このままでは、いずれ味方の魔術師たちは力尽きてしまう……!


 ロデリックは、疲労が蓄積し片膝をついているアンネリーゼに目をやってから、助走をつけて城壁の囲いを飛び越えた。


「ロデリック先生?!」


 シャルルの驚きに満ちた声を背に、ロデリックはネカトルめがけて飛びながら自らの身体の形を変化させていった。

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