第60話 温泉街のいざこざ
「あちゃ~、まーたこういういざこざか……」
怒声を聞いた温泉卵売りの商人がボヤいた。
「この街は人間も魔人も、良いお客さんでさえいればいいってスタンスなんですけどねぇ。私もお金さえ払っていただければ、誰にでも温泉卵をご提供しますよ? でも、やっぱり少し前まで戦争してたからか、同じ街に魔人がいることさえ許せないって人を、結構見かけるんですよね……」
商人が話している間も、複数人の叫び声がセフィラたちの耳に届く。
どれも魔人に対する怒りのこもった言葉だが、それに言い返す言葉は聞こえてこない。
現時点では、ある魔人が一方的に言いがかりをつけられているように聞こえる。
「戦時中もこの街で働いていた私の考えは、前線にいた人にとっては甘っちょろいのかもしれません……」
「そんなことはありませんよ」
シャロが言う。
「戦争は終わって、魔人国との和平が結ばれ、国交は正常化しました。人間も魔人も平等だって、それが正しい考え方だって、これからはそうであってほしいって……私は思います」
シャロの表情には、自分自身もそうでありたいという決意がみなぎっていた。
戦火に街を焼かれ、家族を失うことになったからといって、温泉に入りに来た一般魔人にケンカを売っても意味がないことくらいわかっている。
ただ、そうはいっても割り切れない人がいるのもわかる。
大切なものを失った悲しみ、抑えようのない怒り……シャロにだって覚えはある。
大切な人たちとの旅で、それを乗り越えられた自分が、今この瞬間にやるべきことは――。
「セフィラ様、仲裁に入りましょう!」
「あわわ……っ! オデコさんがもう行っちゃいました……!」
セフィラたちは足湯から出て、慌てて靴を履いているところだった。
そして、オデットは……裸足のまま駆け出している!
ぴょんっとひとっ飛びで川を飛び越えて、声の聞こえる対岸の通りへ向かっていく。
それを目撃した人々は、飛び出しそうなほど目を見開いて驚くしかなかった。
「さ、流石はオデットさん……行動が早すぎる!」
シャロも急いで足を拭いて靴を履く。
そして、少し残っていた温泉卵をずるっといただく。
「うわ……っ! 一気に飲み込む食べ方も、喉越しが抜群で最高ですね!」
「人気観光地はいろんなところを回りたくて急いでる人も多いですから。ずるっと一気にいっても美味しくなってるんですよ、うちの温泉卵はね!」
「温泉卵は奥が深い……って、急がないとっ!」
商人に礼を言って皿を返し、シャロたちは橋を渡って対岸の通りに入ったオデットを探す。
人ごみに紛れたせいで、パッと見はどこにいるかわからないが、怒声は変わらずに聞こえてくる。
「オデコさんの耳なら正確に声の場所を特定できますし、もう現場に割って入ってても、おかしくない頃なんですけどね。いざこざは止まっていない様です」
集まっている野次馬をかき分けて進みながら、セフィラは言う。
「まさか……オデットさんの身に何かあったのでは……!」
「いや、オデットを黙らせられるような者はそうそうおらん。杞憂というものだ」
不安を口にしたシャロをガルーがなだめる。
とはいえ、ガルーにもあのオデットがまだ仲裁に入っていない理由はわからなかった。
やがて野次馬の最前列までやってきたセフィラたちは、いざこざの現場を目撃する。
五人の屈強な男たちが、小柄な少年を取り囲んでいるのだ。
少年の頭からは、鹿のような角が二本生えている。
そのうち一本は真ん中あたりで折れ、もう一本に比べて短くなっている。
ただ、折れた角の断面を見るに、今この場で折られたわけではないようだ。
「あの左右非対称な角、長くてふわふわな銀色の髪の毛……どこかで見たことがあります。おそらくここ一年以内に……いや、もう少し前? うぅん……出てきそうで出てこない……!」
セフィラは額に指を当てて、うんうんとうなりながら記憶を探る。
それはガルーも同じで、お座りの姿勢で目をつむって考え込む。
二人はあの銀髪の少年にどこかで会っているのだ――。
「あの子が誰なのかの前に、まずは止めに入った方が……あっ、オデットさん!」
野次馬の最前列には、腕を組んで状況を静観するオデットがいた。
「と、止めに入らなくていいんですか……?」
「うん。彼ほどの人物がされるがままで無抵抗を選んでいるのなら、安易に手を出すことはできないよ」
あの少年ならば、自分より遥かに大きな男たちだってどうにでもできる――そう言っているように聞こえた。
そして、オデットは少年の正体を知っている。
「一体彼は何者なんですか……?」
シャロが疑問を口にしたのと同時に、堂々といざこざに割って入ってくる者がいた。
「おいおい、これは何の騒ぎだ?」
セフィラたちから見て真正面――男たちと少年を挟んで向こう側の野次馬たちが自然と左右に分かれ、その声の主を前へと通す。
現れたのは二メートル近い長身の男。
聖職者のようなゆったりとした白の布の服、風に揺れる長い金髪、穏やかな瞳、細身のようで屈強な体つき……その容姿は端麗で、どこか高貴な雰囲気さえあった。
白馬の王子様がいい感じに歳をとり、三十代半ばくらいになったようだと、周囲の人間は思った。
「あっ、マークさんだ」
「マクシムスではないか」
「うわっ、久しぶりに見たねぇ」
セフィラ、ガルー、オデットが現れた男に反応する。
まるでよく見知った関係のようなみんなの反応に、シャロだけ置いていかれる……どころか最も大きなリアクションを見せた。
「まさか、こんなところでお会いできるとは……! 勇者部隊の作戦参謀、グラストロ様の右腕……!」
実際に会ったことがないシャロが、その顔をすぐに判別できるくらい、彼は有名人だった。
かつて勇者の右腕と呼ばれ、戦時中も戦後もグラストロを優れた頭脳で支え続けた英雄――その名はマクシムス・ワイズマン。




