第59話 温泉名物と宿探し
「さあ、近いところから順番に回っていきましょう」
シャロの頭の中には、アスパーナの街の地図が大体入っている。
これも案内冊子から得た情報だ。
アスパーナは観光地らしく街の至る所に案内看板が立てられているし、立ち並ぶ店の店員たちも道に迷った客の対応に慣れているので、別になんの事前情報を持たずとも困ることはない。
だが、シャロとしてはまるで専門家のように、自分の力でスマートにセフィラたちを導きたい……という想いがあった。
「現在地がメインストリートだから……ここを左に曲がります!」
進行方向に対して左、方角で言うと西のエリアには、観光客向けの施設が立ち並んでいる。
対する東側はアスパーナの地元住人の住居や生活に必要な施設が多い。
メインストリート、つまり街の中心に近い位置にある宿や店ほど料金は高額で、西へ西へ進むほど料金はリーズナブルになる傾向があった。
動物連れ込み化の宿は、ペットと一緒に泊まれることが一番付加価値であり、料金は高めだがサービスはそこそこと言われている。
「うわっ……! 見てくださいよ、あの建物! 全体が金ピカですよっ!」
セフィラが指さしたのは、建物全体に金箔を貼り付けた金色に光る旅館だった。
近くを通りかかった誰もがその存在に圧倒され、初見の人に関してはほぼ確実に足を止める。
「ここは金脈荘っていう、名前通り『金』がコンセプトの旅館ですね。アスパーナで一番高い旅館らしくて、最上級スイートルームはその日の朝の段階で、一番高い宿泊金額を提示できた人が泊まれるとか……」
シャロの説明に、ガルーは失笑する。
「ふっ……。連泊しようとしたら、次の日にはもっと金持ちが来て、追い出される可能性があるというわけか。おちおち旅行も楽しめんな、そんな環境では」
「まあ、タダで泊まれるならかなり興味があるけど、自腹を切るほど魅力は感じないね。でも、こういうのが好きな人がいるのは理解できるし、払ったお金でアスパーナの発展に貢献していると思えば、尊敬できるね」
オデットも仕事ばかりしているので資産はある方だが、その運用は信頼できる人物に任せっきりで、贅沢にはとんと興味がない。
唯一、仕事に使う武器や防具には投資を惜しまないくらいだ。
「私たちにとって高い宿は値段よりも、動物を連れ込めないのがネックですね。狙っているのはもう少し西の通りにある宿です!」
シャロに導かれ、セフィラたちは路地を抜けてさらに西へ進む。
すると、セフィラたちの目の前には、もうもうと湯気が立ち上る川が現れた。
「これはまさか……温泉の川!?」
セフィラは目を丸くする。
川は人々が歩く通りの真横を流れ、増水に備えてか一段掘り下げられて堤防が作られている。
堤防の上から川岸に降りるための階段があり、川には自由に入っていいようだ。
実際、今も何人もの人々が川に足をつけて、天然の足湯を楽しんでいる様子が見える。
「目当ての宿はあっちにある橋を通って、この川を渡った先にあるのですが……ここもちょっと気になりますよね?」
目を輝かせるセフィラの気持ちを察して、シャロが言った。
いや、本当のところシャロも温泉の川にもっと近づいてみたいと思っている。
「はい、気になります! 川そのものも気になるのですが、その周りに置かれている四角い井戸みたいなのも気になります!」
セフィラの言う通り、川岸には木材を使って四角く区切られた場所がいくつもあった。
だが、川のすぐそばに井戸を掘るわけはない。
その使い道は、四角い木枠の中に入っている『ある物』をよーく見ればすぐにわかる。
シャロはう~んとうなりながら目を凝らす。
「あれはザルに入った卵ですかね……ハッ!? つまり、温泉卵っ!?」
「それも本物の温泉で作られた、いわば真の温泉卵ですよ……!」
謎に盛り上がるセフィラとシャロ。
それを見守るガルーはふわぁぁぁ……とあくびをする。
「普通にぬるめの湯で温めて作った温泉卵と大差はないだろう。なんせ、硬い殻をつけたまま温めているわけだから、温泉の成分が内部に浸透するとは思えな……」
そこまで言って、ガルーはセフィラとシャロの冷たい視線に気づく。
正論ではあったが、無粋な言葉でもあった。
「ま、まあ……こういうのは風情を楽しむものだからな……! 見知らぬの土地に来たら、まずはその土地の文化に触れるのが一番だ!」
ガルーがフォローすると、セフィラとシャロはにっこり笑った。
そうそう、それでいいんですよ――と言いたげな笑顔だった。
「まだ宿は決まっていませんが、せっかくなので食べていきましょう! 温泉卵一つ食べるのに、そう長い時間はかからないはずです」
ということで、セフィラたちは堤防の階段を降りて、湯気を放つ川へと近づく。
川の水は多少濁っているが、それでも川底が見えるくらいの透明度はある。
深さは一メートルもなく、セフィラでも溺れる心配はなさそうだ。
川岸に近ければさらに水深は浅くなるので、足湯には持って来いの地形になっている。
温泉卵を売っている人はたくさんいる。
商人の分だけ卵を温めるための入れ物があり、来ている服や接客態度にも個性がある。
「みなさん、それぞれ個人で卵を売っているみたいですね。売る人によって味に違いとか、出るんでしょうか……?」
シャロは首をかしげる。
調理方法は卵を湯につけて温めるだけ……。
正直、何もわからないセフィラは現在地から一番近い商人から温泉卵を買うことにした。
「すみません。温泉卵を五ついただけますか?」
「はいよっ! 食べ方は塩か、出汁か、どっちにします?」
「えっ、出汁……?」
塩はゆで卵で馴染みのある味付けだが、出汁はどんな味なのかわからない。
セフィラがシャロに視線を送ると、シャロは好奇心をにじませながら何度かうなずいた。
「それじゃあ、出汁でお願いします」
「よっしゃぁ! ちょいとお待ちを!」
商人は湯の中からひょいひょいっと卵を五つ取り出す。
なんとも慣れた手つきだ。
取り出した卵はさっと水で表面を冷やす。
水は商人の手のひらから発生している――つまり、この商人は水魔法の使い手だ。
五人分の小皿が用意され、その中に卵が割入れられていく。
小皿の中には黒い出汁がすでに入っている。
卵を入れた瞬間、ぷるぷると柔らかい白身が黒い出汁と絡み、逆に意外としっかり固まっている黄身が、まん丸の月のように小皿の中央に浮かぶ。
「さながら闇夜に浮かぶ叢雲と満月……といったところか」
ガルーの風流な言い回しの意味をあまり理解できない女性陣。
反応に困っているうちに、温泉卵が入った小皿がスプーンと共に提供される。
「へい、お待ちぃ! 温泉卵五つだよ!」
「ありがとうございます!」
「川に足をつけながら、ゆっくり食べるのがオススメさ。川の水はほどよいぬるさで、地下から熱い湯を引いてるこことは違うから安心するといい」
商人は卵が入っている湯を指さす。
ここの湯は川よりは高温だから、卵が固まっていくというわけだ。
セフィラたちは言われた通り、河原の石に腰かけて靴を脱ぎ、川の水に足を浸す。
その瞬間、足から頭へ電気のような快感が走り抜けた――!
「お、おおぅ……。これはなんというか……『いい』ですね」
「はい……。うまく言えませんが、『いい感じ』という言葉がピッタリです……」
セフィラとシャロのハイセンスなやり取りに、オデットも顔を緩ませながらうなずく。
「緊張していた筋肉がほぐれて、血流が良くなっていくのを明確に感じるよ。体はまったくの健康体だと思ってたけど、やっぱり私も生き物である以上、使えば使うほど消耗するってわけだね」
ガルーも川の浅いところに入って、四本の足を温める。
すると、普段見せない「ほへぇ~」というリラックスしきった表情が思わず出てしまう。
冥府の番犬も、人間と同じように温泉が気持ちいいのだ。
「ムニャ、ムニャ、ムニャ、ムニャ!」
ムニャーは川の中で足を動かしてちゃぷちゃぷ遊んだり、まるで獲物でも探すように水面をジーッと見つめたりしている。
本来寒い地域で暮らす種族であるムニャーにとっては、温かい川というのが新鮮で面白い。
そして、まだまだ若いヤマネコであるため、リラックスするというよりは川で泳いでみたいという気持ちの方が強かった。
そんなムニャーが勝手に川で泳ぎ始めないのは……さっき買った温泉卵を早く食べたいからだ。
残念ながら、温かい川に彼の腹を満たしてくれる魚はいない。
「この『いい感じ』の中で、温泉卵もいただける幸せ……!」
セフィラがスプーンを手に取り、まずは白身と出汁をすくって自分の口へ運ぶ。
「……んっ! ほどよくぷりぷりに固まっていて、舌触りがとてもいいです! そして何より、白身の淡白な味わいと魚介風味の出汁の相性が抜群ですっ!」
その感想を聞いて、セフィラたちに温泉卵を売った商人は「へへっ!」と嬉しそうに笑う。
「卵はこのアスパーナの地鶏のもので、今朝生みたての新鮮な物でしてねぇ~。出汁は海で取れた魚をカチカチになるまで乾燥させて、その風味を凝縮させた物を削って、それをさらに煮て醤油とかと混ぜたものです。海のないこのアスパーナで魚介風味ってのは、なかなかガツンとくるでしょう?」
「はいっ! それはもう!」
セフィラはうんうんと激しくうなずいた。
そして次は、黄身をすくって口へ運ぶ。
「これは……すっごい濃厚な味わいで、滑らかな口当たりです! 淡白な白身とはまた違い、黄身のうま味は出汁にも負けない存在感を放っていますっ!」
温泉街なんだから、適当に卵を湯に入れておけばいい――そんな適当な考えで作られていないことを、舌で感じる取ることができる逸品であった。
セフィラが楽しんでいる間に、小皿を持てないガルーとムニャーは、オデットとシャロにそれぞれ卵を食べさせてもらい、その食感と味わいを楽しんでいた。
もちろん、その後にオデットとシャロも温泉卵を食べ、その味わいにセフィラと同じくらいの感動を覚えたのは言うまでもない。
「なんというか、想像してたよりエネルギーを貰える街だね、アスパーナは」
川で足を温めながら、人であふれた通りを眺めてオデットは言う。
「温泉街って、静かで落ち着いている場所ってイメージだったけど、ここは忙しくて騒がしい。川でさえも湯気が出てて、まるで汗かきながら急いで流れているみたいだ。でも、そこがいいね。アスパーナという街は、人間と自然の生命力を浴びることができる」
「……とてもいい表現ですね、オデコさん! でも、アスパーナに来たばかりなのに、まるで旅の締めの言葉みたいです」
セフィラがそうツッコむと、確かになんだかおかしくって、自然と場が笑いに包まれた。
すでに旅の大成功を予感したからこそ出た言葉だと、誰もが思った。
そんな折、無数の会話で常にざわついている通りの中から、一際大きな声――もはや絶叫と呼べるものが聞こえてきた。
「どうして人間の街に、薄汚ぇ魔人野郎がいるんだよッ!?」
リラックス状態のセフィラたちを現実に引き戻すのに、これほど十分な言葉はなかった。




