第56話 国境線へ向かって
アスパーナへは最もポピュラーな手段――つまり整備された街道を通り、道中の街で宿泊しながら目的地を目指す。
目的地が王国の一大観光地ともなれば、人通りの少ない危険なルートなど選択するまでもなく、多くの人が利用する道を歩いていればたどり着けるのだ。
アスパーナがあるのはシーズ王国の北西、そこからさらに北上すれば魔人国ダージェンドとの国境線がある。
にもかかわらず、アスパーナはかつての戦争に巻き込まれていない。
北の国境線に横たわるのは、ゴンドロ火山を中心とした雄大な火山山脈だからだ。
この山脈を基準に国境線を引いているので、両国ともにこの部分の線引きには文句のつけようがない。
そして、ゴンドロ火山は古くから噴火した記録のない休火山だが、山脈の至るところで小規模なマグマ、毒性のあるガスの噴出が確認されている。
とてもじゃないが、人間も魔人も生きて越えることができる場所ではない。
ゆえにアスパーナは国境付近にありながら、国境を巡る戦争の影響を受けていないのだ。
戦争前から温泉が有名で、戦時中も傷ついた兵士たちが湯治に訪れ、戦後は荒れた国土の中でほぼ無傷の一大観光地として、存在感を放ち続けている。
「……やっぱり、立地で大事ですね。アスパーナは火山のおかげで栄え、守られてきた街と言えそうです」
シャロが宿のエントランスに置いてあったアスパーナの歴史についての冊子を読み、つぶやく。
バナンバタウンを出発して二日目の夜――。
セフィラたちは順調にアスパーナへの道のりを進み、明日の昼には到着できる位置までやってきた。
野宿はせずに近くの街に立ち寄り、今日泊まる宿を決め、部屋を手配してもらっている間の暇潰しに、シャロは宿の本棚にあった冊子を手に取ったわけだ。
「火山のおかげで温泉が湧き、火山のおかげで国境線がハッキリしている……か。確かに我々も戦争中にアスパーナ付近まで来た覚えがない。ここらへんで戦闘が起こったという話も聞かなかった」
ガルーの言葉に、セフィラはうんうんとうなずく。
「私たちは前線でこき使われて、たまに後方に下がることはあっても、アスパーナほど前線から離れた場所には行かせてくれませんでしたよね……。温泉で疲れた体を癒す……なんてこともありませんでした」
「まっ、だからこそ王国一の温泉街ってのが想像しきれなくて楽しみだよね!」
ノリ気になっているオデットが、冊子の中のアスパーナ名物を紹介するページをシャロと一緒に見る。
挿絵付きで温泉や名物グルメが紹介されていて、なかなか気合の入った一冊であることがわかる。
「こういう冊子はあんまり読んだことがないけど、なかなか楽しいもんだね。まあ、この挿絵のモデルになった実物は、何倍もすごいんだろうけどさ」
オデットがアスパーナに近づくほどにワクワクしていることは、誰の目にも明らかだった。
心から今この瞬間を楽しめているオデットに、セフィラとガルーはホッとしたものだ。
「気合の入った冊子を作って人を呼び込もうとするだけあって、ここに来るまでの道のりも、今いるこの街も、治安がいいことがわかるよ。ここまでで立ち寄った冒険者ギルドにも人材が豊富に揃っていたし、それだけアスパーナがお金を払ってるんだろうね」
オデットは道中にあった冒険者ギルドのすべてに、一応顔を出してきた。
S級冒険者ともなれば、プライベートでも近くに居たら重要な戦力として扱われる。
何か緊急性のある困り事はないかと、近辺のギルドに確認を取るのが慣例になってしまっている。
それがオデットの仕事中毒を悪化させた原因の一つだろう。
とはいえ、ギルド側にも言い分はある。
S級冒険者が近くにいるとわかっていれば、強大な魔獣が街に向かっているとか、殺しもいとわぬ盗賊団に狙われているとか、すぐにでも解決しなければならない問題に対処しやすい。
それこそ、報告の有無が誰かの生き死にに関わることもあるだろう……。
幸いなことに、アスパーナまでのルート上にあるギルドは優秀な冒険者がたくさんいて、今は特別緊急性のある問題を抱えてはいなかった。
とういうことで、オデットは仕事をせずにアスパーナの手前の街までやってくることができた。
「シーズ王国と魔人国ダージェントが和平を結んで一年……。民間の交流や交易も復活しつつあるし、大規模な戦闘も起こっていない。とはいえ、国境付近では小競り合いが起こったり、怪しげなウワサも耳にする。だから、住みたがる人も少なくって、国境付近の街の復興は全然進んでないんだよね……」
国境付近の街――その言葉を聞いたシャロの体がぴくんっと跳ねた。
しかし、オデットはその震えの意味を知らない。
「私たち王国軍が守り切れなかった街だから、なんとか復興の支援をしたいけど、住みたい人がいない街を建て直すのはやっぱり難しくってさ……」
「あ、あのっ、オデコさん……!」
シャロの震えを見逃していなかったセフィラが話を止めに入る。
オデットはその理由がわからない。
ただ、場の空気が変わったことは察した。
「わ、私……マズいこと言った……?」
「いえ! オデットさんは何もマズいことを言っていませんよ」
シャロが振り返り、肩越しにオデットの顔を見る。
「オデットさんにはまだ話していませんでしたね。私、国境付近の街プレトーの出身なんです」
プレトー……今度はオデットの体が震える。
彼女の性格上、自分たちが救えなかった街の名を忘れるはずがない。
「シャロちゃん、ごめ……」
「謝らないでください。オデットさんは何も悪くありませんし、王国軍のことを恨んでもいません。きっと、みんな全力で戦った結果ですから仕方ありません」
シャロは笑顔を見せる。
「セフィラ様とガルー様、お二人と出会って旅にお供することを決めて、過去には一つ区切りを付けました。街の話をされても、国境に近づいても、私は傷ついたり恐れたりはしません。戦いはできませんが、せめて過去に負けない強さくらいは、この旅の同行者として身につけているつもりです」
オデットは圧倒される。目の前の小柄な少女の中にある、精神的な強さに。
「……過去に負けない強さ。ふふっ、それは強すぎるよ、シャロちゃん。単純な暴力なんかより、ずっと強くて手に入れがたいものを、君は持ってるんだね」
オデットに褒められて、シャロはちょっと照れ臭くなってきた。
頭振ったり、視線をきょろきょろさせたりしてしまう。
「そ、そんな大層なものでは……ない……かも? 実際、さっきいきなり街の話をされて、ビクッとしちゃいましたし……あはは!」
空気が緩んできたところでタイミングよく部屋の準備が整い、宿のスタッフから声がかかる。
二つの部屋をセフィラ、ガルー、ムニャー組、オデット、シャロ組で分けて宿泊する。
明日はいよいよアスパーナに到着する予定だ。
セフィラたちは宿の近くのレストランで夕食を済ませた後、早めに睡眠をとった。
(……ちょっとカッコつけたこと言い過ぎたかも。オデットさんは褒めてくれたけど、内心笑われていたり……いや、オデットさんはそんなことしません! じゃあ、セフィラ様とガルー様は……? いえいえ、お二人だって人の真剣な言葉をあざ笑ったりはしません! あぁ~、みんなを疑うなんて、私の未熟者~!)
ベッドの中でシャロは枕に顔をうずめ、身もだえていた。
何度か同じ思考をループさせた後、最終的には眠気がすべてに打ち勝って、彼女も眠りについた。




