優しさとは?
「あ、さっきのお兄さんだ」
さっきの介護士に連れられて訪れた食堂。トレイをもって席に着こうとしたところにさきほどの無邪気な声。
「調子良さそうだね。綾ちゃん」
「藤野さん。うん、元気だよ」
あの少女は愛想よくにこにこと笑いながら彼と言葉を交わす。子供らしい態度がやけにここに似合わない気がして、どこか居心地が悪かった。
「ねぇ、藤野さん。あのお兄さん誰?」
「今日からボランティアで来てくれた人だよ。しばらくの間、ここのお手伝いをしてもらうんだ」
彼はごく自然にその少女と視線を合わせている。その姿はさらに俺にいたたまれなくさせる。本当に似つかわしくない場所。
「ふぅん。…ありがとう、藤野さん」
「どういたしまして」
少女は彼に軽くお礼を言うと、こちらを向いた。思わず少し身構える。
「私ね、日下部綾。綾って言うの。よろしくね。お兄さん」
にこ、と笑って自己紹介すると少女は俺の答えを待つことなく、定位置であろう席に歩いて行く。思わず呆気にとられた。
「綾ちゃん。ここの患者さんの中で一番若いんですけど、もう二年以上ここにいるんですよ。本当なら高校生です」
「高校生…」
「はい、このあいだ16になったんです」
「じゅうろく…。16?なのに二年?」
「はい。珍しいですよね。その間で綾ちゃんのご家族がここに来たのは最初に綾ちゃんを連れてきたときだけなんです」
彼は少し悲痛そうに顔をゆがめた。その視線の先では件の少女が近くの年嵩の患者と話しながら笑顔を見せている。
「それ以来一度も来られてません。綾ちゃんは誕生日やクリスマスの日とか電話やポストをすごく気にするんです。でも一度もご両親から連絡も手紙もきたことはないです。僕らはそれが見ていられなくて、何度もご両親に連絡するんですけど、忙しいの一点張り。一度院長が貴方のお子さんでしょうと怒ったことがあるんですが、それも効果がなく。もっとできる子だったら気に掛けてあげるとか言って切られたと聞き及んでいます」
「それは…」
酷い、と関係のない俺が言ってもいいことなのだろうか。計りかねる。しかし、俺がためらっている間に彼の口からそれは発された。
「酷いですよね。病気で苦しんでる我が子に対して、もっとできる子なら、なんて」
「そう、すね」
「表面上にこそ出てませんけど、現代医療では治らない病気らしいです。詳しいことは僕の担当ではないのでわからないんですけど。あまり長くは生きれないみたいです。僕は親が忙しかったので祖母に育てられましたが、二人とも愛してくれました。最近の親御さんには多いみたいですけど。出来る出来ないだけで愛せる愛せないなんて、哀しいなと思います。自分の子供なのに」
確かにそうかもしれない。自分の親を振り返る。悪い親、ではないのかもしれないと思う。性根を叩きなおすまで帰ってくるな、とは言われたが。案内された席について夕食をつつく、介護士の彼は俺の隣に座ったが、逆隣には患者がいて、その世話をしている。何とも言えない気持ちを抱えたまま、目の前の食事を黙々と口に運ぶ。普通に美味い。
ころり、俺の目の前に座る男性患者が箸を床に落としてしまった。彼はそれを拾おうとするが、ずいぶんともどかしそうだ。少し、ためらうが俺は立ちあがってそれを拾った。そして、近くの水道で軽く洗い、彼に差し出す。
「あの、」
「あぁ、丁寧にありがとうね。助かりました」
彼は箸を受け取ると、嬉しそうに笑って丁寧にお礼を言った。些細なことだ。外でやればもっと軽い心のこもっていない言葉が帰ってくるばかりなのに。彼は丁寧に丁寧にお礼を言う。
「いえ、別に」
「立ち上がるのも難儀なんでね。本当に助かったんです。ありがとう」
俺の素っ気ない態度にも彼は丁寧に礼を言った。それはなんだか面映ゆくて、表情が変なことになってしまう。でも、悪くない。不思議なことにそう思う自分がいた。なんとなく気恥ずかしくて顔をそむける。隣で介護士の青年が柔らかく笑っていた。
「なんすか」
「いえ、優しい方なんだなと思って」
「別に、」
憮然とした表情を作って顔をそむける。恥ずかしいと言うより照れくさい。外でやったら疎まれかねないことだ。なのに、ここは何なんだろう、そんな些細なことでとても感謝されて優しい人だと言われる。本当に不思議なことだ。




