よく、三回で済ませたな【ジャーヴィス視点】
坂の下の見張りが角笛を二度吹いたのは、夕方の鐘から、しばらく過ぎた頃だった。
二度は、味方の帰着の合図だ。騎馬と、馬車が一台。予定どおりだ。
俺は北の館の門の前に出て、外套の襟を立てた。北の騎士団に入って六年になる。この門の前で人を待つのには慣れているつもりだったが、今日は、手袋を何度もはめ直した。
* * *
まだ少年のうちに、親父は俺を北へ送り出した。跡継ぎは北で鍛えられるものだ、と言って。
それから六年、毎月、王都からウィラの手紙が届いた。ウィラはまだ子どもだった。最初の手紙は、便箋の端まできっちり字が詰まっていて、屋敷の庭の林檎が何個なったか、ジニーが何を壊したか、自分が何を読んだかが書いてあった。
そして最後の行は、いつも同じだった。お兄様、どうぞお体に気をつけて。私は大丈夫です。
六年で、七十通を超えた。俺は全部取ってある。そのどこにも、ウィラが俺に何かを頼んだ行は一つもない。
親父の手紙は、たまにしか来なかった。中身はいつも、家のことと領地のことと、最後に一行。ウィラは聞き分けがいいから、心配はいらない。
心配はいらない、と書かれるたびに、俺は心配になった。
今年の春、ウィラの一曲目を務めたいと親父に書いた。峠の雪解けの見回りを誰かに代わってもらえば、行けないことはなかった。返事は、ウィラは聞き分けがいいから、一人で大丈夫だ、だった。
それで、団長に頼んだ。妹を一目見てきてください。それと、封書を一通。中には、王宮の古い定めを書き写した。王妃陛下の後見の申し立ての定めだ。紋章院の書庫に勤める昔の家庭教師に頼んで、文言を正確に写してもらった。
先日、団長の早馬が着いた。紙には、一行だけあった。
ウィラ嬢と婚約した。王妃陛下の後見による。四日後に王都を発ち、十日で着く。
俺はその夜、親父とお袋に宛てて、一通だけ書いた。何枚も書くことはあったが、書いたのは一行だ。
ウィラの分の手を、今度はご自分でかけてください。
北では、大事なことは一回で言う。俺も、六年でそれを覚えた。
* * *
馬車が門の前で止まった。
団長が馬から降りて、扉を開けた。最初に年寄りの侍女が降りて、それから、ウィラが降りてきた。
背が伸びていた。六年前は俺の胸までしかなかったのに、今は肩に届く。髪は、俺と同じ栗色だ。旅の埃を払いもせずに、俺のほうへ一直線に歩いてくる。足元を見ずに、前を見て歩く。
「お兄様。お手紙を、ありがとうございました」
最初の言葉が、それだった。
何から言えばいいか、六年分考えていた。考えていたことの、どれも口から出なかった。出てきたのは、一言だけだった。
「よく、三回で済ませたな」
早馬の文には、婚約したとしか書いていなかった。それでも、俺には分かっていた。妹が祖母の教えを捨てるはずがない。親父に三回言って、届かなくて、それで取りに行ったのだ。
ウィラが笑った。
俺の知っているウィラの笑い方ではなかった。屋敷の窓辺で、ジニーが泣き止むのを待ちながら、口の端だけで笑う顔とは違う。声が出ていた。
* * *
門の内側から、団長の叔母のヘスター様が出てきた。
団長の亡き父上の妹で、南の家に嫁いでいたが、夫を亡くした後、団長の父上が雪崩で亡くなった年に北へ戻ってきた。それから八年、坂の上の屋敷に住んで、この館の台所と使用人と町との付き合いを、一人で預かってきた人だ。北の女で、一回で言い、二回は言わない。
ヘスター様は、ウィラを上から下まで一回で見て、それから足元で目を止めた。
「靴が合っていないね」
「大丈夫で――」
「北じゃ、それを言ったら一回で信じるよ。それでいいのかい」
ウィラは口を開けたまま止まった。年寄りの侍女が、横で小さく頷いていた。
ヘスター様は、それ以上は言わなかった。ウィラの腕を取って、侍女と二人で、坂の上の自分の屋敷へ連れていった。婚礼までは、ウィラはそこで暮らす。
しばらくして、ヘスター様は、柔らかい室内履きに替えさせたウィラを連れて、館の食堂へ戻ってきた。その夜の食卓で、ウィラは三度「大丈夫です」と言った。部屋は寒くないかとヘスター様に聞かれて一度。食事は口に合うかと料理番に聞かれて一度。疲れたかと団長に聞かれて一度。
三度とも、北の人間は一回で聞いて、それ以上は聞かなかった。
六年分の手紙の最後の行を、俺は思い出していた。私は大丈夫です。
* * *
ウィラが坂の上の屋敷へ戻った後、団長が執務室に俺を呼んだ。
団長は机の前に立ったまま、窓の外の暗い斜面を見ていた。
「ジャーヴィス。館の東の斜面の林檎は、まだ咲いているか」
俺は一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。団長が見回りの報告以外のことを聞くのは、珍しい。
厩へ行って、馬丁に聞いた。北の林檎は王都よりひと月近く遅い。下のほうの木は盛りを過ぎて散り始めたが、斜面の上のほうの木は、まだ満開だという。
執務室に戻ってそう伝えると、団長は「そうか」と言った。
八年、北の峠を守ってきた人だ。俺が仕えた六年、団長が自分のことで何かを頼むのを、俺は一度も見たことがなかった。縁談はどれも断り、休みも取らず、王都にも行かなかった。
その人が、林檎の花を聞いた。
「明日の朝、ウィラを斜面へ連れていく。一回で言うことがある」
俺は何も聞かなかった。北では、大事なことは聞き返さない。
「朝の見回りは、俺が代わります」
団長は、一回で頷いた。




