誰が私の手紙を書くの【ジニー視点】
お姉様がいなくなっても、困ることなんてないはずだった。
だって、お母様がいるもの。お母様は私が泣けば来てくれるし、お父様は私が泣けば折れてくれる。お姉様は泣かないから、来てもらえないだけ。私のせいじゃないわ。
お姉様が北へ発った朝、私は二階の窓から一回だけ顔を出した。黒い大きな馬車と、黒い馬に乗った北の騎士たち。あの怖い顔の辺境伯は、馬車の横で、窓の中のお姉様に何か一言だけ言っていた。お姉様は笑っていた。
家で、あんなふうに笑うのを見たことがない。
それが、なんだか面白くなかった。
* * *
次の日、お母様がやっと、先生への謝りの手紙を書いてくれることになった。
お姉様が紙の端に「先生、昨日は」とだけ書いて返してきた、あの紙だ。続きはあなたが書くの、なんて。意地悪だわ。だから私は、走ってお母様に渡した。でもお母様は、お姉様の出立や、お父様の別邸を売る話で家の中が落ち着かないと言って、しばらく紙に手をつけなかった。お姉様が発った次の日になって、お母様は「いいわよ、ジニー」と言って、お姉様の使っていた書き物机に座った。
それから、ペンを握ったきり、一字も書かなかった。
「先生のお宅は、どこだったかしら」
知らないわ。そんなの、お姉様が知ってたもの。
お母様は机の引き出しを開けた。宛名の控えがあるかもしれないと言って。一番上の引き出しには、紐で束ねた紙の束が入っていた。お姉様のきちんとした字で、出した手紙の写しが一枚ずつびっしり並んでいる。
先生たちへの謝りの手紙。壺を割ったお宅への手紙。私がポニーから落ちた春の、お見舞いのお礼状が二十何通。お茶会でお菓子を投げたお宅、髪結いの鏡を割ったお店、乗馬の先生、ピアノの先生。いちばん古い紙は、まだ子どもの字だった。
どの紙にも、私の名前が書いてあった。ジニーが、ジニーが、ジニーが。
ひどいわ。こんなに私の悪口ばっかり、取っておくなんて。
お母様は、束を膝に載せて、一枚ずつめくっていた。私が「お母様、早く書いて」と言っても、めくるのをやめなかった。
結局、その日、手紙は書けなかった。お母様は夕方まで束をめくって、それから黙って引き出しに戻した。あの紙は、黙って私に返してきた。
数日して、先生のお宅から、上着の染み抜きの代金の書き付けが届いた。執事がそれを持って書斎へ行くと、扉の向こうでお父様の大きなため息が聞こえた。
お母様は、九人目の先生を頼みに、家庭教師の紹介所へ手紙を出した。返事はすぐに来た。紹介所の名簿には、ペンローズ家へ行ってもいいという先生が、もう一人も残っていないのだという。
「前は、どうやって探していたのかしら」
お母様が独り言のように言った。前は、お姉様が探していたのよ。紹介所に手紙を書いて、前の先生の引き継ぎを書いて。私は知ってたけど、言わなかった。言ったら、なんだか私が悪いみたいだもの。
* * *
その週のうちに、私のポニーが売られた。
厩舎の人が引き綱を持って迎えに来たとき、私は泣いた。いつもより大きな声で泣いた。お父様の書斎の窓の下で泣いた。
お父様は、出てこなかった。窓の向こうで、紋章院から来た書き付けの写しを握ったまま、机に座っているのが見えた。
お母様は来てくれた。私の背中を撫でて、でも、ポニーを戻してとは言ってくれなかった。
「陛下が、戻しなさいと仰ったのよ」
お母様はそればかり言った。あのポニーは、前に私が乗って落ちた子だ。私が泣けば、何でも戻ってきたのに。
* * *
夏至の前の小さな夜会に、私は菫のドレスで出た。
私のドレスは、まだ片袖がないままだもの。仕方ないわ。菫のほうが似合うし。ただ、裾が長くて、歩くたびに足に絡まる。誰も裾を上げてくれなかった。マダムのところへ持っていくのは、いつもお姉様の役目だったから。
一曲目は、誰も申し込みに来なかった。お父様は壁際で、知り合いの伯爵に何か話しかけていて、こちらを見なかった。
二曲目も、来なかった。
三曲目も、四曲目も来なかった。
壁際で扇を動かしていると、すぐそばで夫人たちが囁き合い始めた。
「あのドレス、春の舞踏会の……」
「マダム・ロシェのところのお針子に聞いたのだけど、お姉様の寸法で縫ったものを詰めて着たのですって。ほら、裾が余っているもの」
「三度呼ばれて、振り向かなかったお父上の……」
「上のお嬢さんは、北の辺境伯と婚約なさったそうよ。王妃陛下のお声がかりで」
私は、扇を閉じた。お姉様なら、こんなとき、誰か連れてきてくれたのに。どこかのお兄様とか、子爵とか。春の舞踏会のとき、お姉様のところには、二曲目も三曲目も申し込みが来ていた。
お母様は、顔見知りの伯爵夫人に話しかけていた。伯爵夫人は「あら、ペンローズ夫人」とだけ言って、別の夫人のほうへ向き直った。お母様の背中が、少しだけ小さくなった。
* * *
その夜、私は自分の部屋で、生まれて初めて、自分で紙とペンを出した。
あの紙だ。お姉様の字で、先生、昨日は。
続きを書こうとした。昨日は、何? インク壺を投げたことを書くの? どうして私が書かなきゃいけないの。先生が、分数なんて難しいことを言うから悪いのに。
何をしたのか、何が悪かったのか、これからどうするのか。三つ書けば手紙になる、とお姉様は言った。一つ目の、何をしたのか、は書ける。インク壺を投げた。でも、それを書いたら、私が悪いことになる。二つ目は書きたくない。三つ目は、分からない。
ペン先からインクが落ちて、「昨日は」の横に黒い丸ができた。
「お姉様なら、何て書いたの」
言ってから、部屋を見回した。誰もいなかった。答える人も、続きを書いてくれる人も。
* * *
翌朝、朝食の席で、お母様が言った。
「北へ手紙を書くわ。ウィラに、書き方を教えてもらえばいいのよ。あの子は手がかからないから、すぐに返事をくれるわ」
そうよ。お姉様に頼めばいいんだわ。
お母様は、お姉様の机に座って、今度こそペンを動かし始めた。




