↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「妹が先よ。あなたは手がかからないから」と母が言うので、三回言って届かないものは自分で取りに行きます【連載版】  作者: みれいぬ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/13

お受けします、と言いたいのです

 舞踏会の翌朝、まだ朝食の皿が並びきらないうちに、玄関へ箱が届いた。


 受け取ったのはグウェンで、届けに来たのは、北の訛りのある無口な若い従者だったという。箱の上のカードに、一行だけ、四角い字が並んでいた。


 午後二時に伺う。ダンカン


 蓋を取ると、林檎のタルトが一つ、切らずに丸ごと入っていた。焼き上がってまだ間がないらしく、湯気が立っている。昨夜、踊りながら一度だけ口にした、あのタルトだった。


(一回、話しただけなのに)


「わあ、タルト! 私が先に食べる!」


 ジニーが椅子から身を乗り出した。母はもうナイフを握っていて、いつもどおり、切った最初の一切れをジニーの皿へ移そうとしている。


 その前に、グウェンが箱ごと持ち上げた。


「奥様、こちらは辺境伯様から、ウィラお嬢様にと承っております。届けに来た従者の方が、そう念を押していかれました」


 母のナイフが、宙で止まった。


 グウェンは箱を私の前へ置き直して、自分でナイフを入れ、最初の一切れを私の皿に移した。この食卓で、林檎のタルトの最初の一切れが私のところへ来たことは、一度もなかった。口に入れると甘くて、まだ温かかった。


 次の一切れは、私が切ってジニーの皿に置いた。ジニーは、今度は床に落とさなかった。父は新聞を顔の前に立てたまま、一度だけ咳払いをした。


* * *


 昼前になると、母はジニーの着替えに取りかかった。


「辺境伯様は、昨夜ジニーをご覧になっていたのよ。ウィラと踊ったのは、ウィラから申し込んだからでしょう。お断りになれなかっただけよ」


 母の頭の中では、話はそういう筋になっているらしかった。


「でも、北なんて寒いところ、嫌よ。お母様、私、王都にいたい」


「大丈夫よ。ジニーが行くなら、お母様もついていくわ」


 私は客間の隅の小机に向かって、八人目の家庭教師への引き継ぎを書いていた。ジニーがどこまで進んで、どこで何を投げたか。地理は北の山脈の名前でつまずき、算術は分数で一度、帳面を窓から投げている。これを書かずに渡したら、この先生も長くはもたない。


 二時の鐘が鳴り終わらないうちに、辺境伯は玄関に立っていた。


 客間へ通された辺境伯は、父に向かって一礼すると、挨拶の続きもなく言った。


「ウィラ嬢に、結婚を申し込みに来た」


 母の扇が、手から床へ落ちた。


「まあ……ウィラ? ジニーではなく?」


「ウィラ嬢だ」


 ジニーが、髪に挿したばかりの真珠を指でいじりながら、鼻を鳴らした。


「北なんて寒いところ、お姉様にちょうどいいわ」


 父は喉を鳴らして、椅子の背に体を預け直した。


「閣下、身に余るお話ですが、お受けできません。ウィラは家に要るのです。あの子がいなくなれば、ジニーの面倒を見る者がいなくなる」


 それから、こちらへ顔を向けた。


「ウィラ、お前は聞き分けがいいから、わかるだろう」


(一回目)


「お父様。私は、お受けしたいです」


「話は終わりだ」


(二回目)


「お受けしたいのです」


 父は答えず、辺境伯に向かって「北の冬は、娘には厳しすぎましょう」と話し始めた。娘、というのが私のことなのか、ジニーのことなのか、父自身も分かっていない声だった。


(三回目)


「お父様。お受けします、と言いたいのです」


 ちょうどそのとき、ジニーのカップが手から滑った。お気に入りのドレスの膝に、紅茶の染みがみるみる広がっていく。ジニーが泣き出し、母が「誰か、布を!」と声を上げ、父は椅子から立ってジニーの肩を抱いた。


 届かなかった。


 こちらに向いた三つの背中を眺めながら、私の胸は、自分で驚くほど静かだった。三回、言った。祖母の教えのとおりなら、ここから先は、泣くことも待つこともいらない。決めるのは、どこへ取りに行くかだけだ。


 けれど、結婚の同意を取りに行く先を、私は知らなかった。仕立て屋なら知っている。広間の向こうの柱も、昨夜知った。でも当主の同意は、当主のところにしかないはずだ。


 だから、聞いた。


「閣下。取りに行くには、どちらへ伺えばよろしいでしょう」


 辺境伯は上着の内側に手を入れて、封書を一通取り出した。宛名の字を、私はよく知っていた。毎月の手紙で見ている、兄の字だった。


「君の兄上から預かってきた。父上がまた『ウィラは聞き分けがいいから』と言ったら、妹にこれを渡してくれと」


 封を切ると、中の便箋には、王宮の古い定めが一字ずつ丁寧に写してあった。


 春の舞踏会でお披露目された令嬢は、その季節、夏至の日まで王妃陛下の後見を受ける。後見を受ける令嬢の縁組に、当主が正当な理由なく同意しないとき、令嬢は自分で王妃陛下に申し立てることができる。正当な理由とは、相手の家の不行跡、本人が望まないこと、家の存続に関わることに限る。


 その下に一行だけ、写しではない兄自身の言葉があった。


 ウィラ、三回言ったら、ここへ取りに行け。


(お兄様は、六年分、知っていたのだ)


 私が何を言わずにきたのかを。


 便箋から目を上げると、辺境伯と目が合った。


「順番が逆になった。一回で言う」


 そう言うと、辺境伯は私の前の床に片膝をついた。


「ウィラ。私と結婚してほしい」


 客間に響いていたジニーの泣き声が、そこで途切れた。


「はい」


 一回で、言えた。


 母は、床の扇を拾おうとした格好のまま止まっていた。戸口では、ジニーのための布を抱えて駆けつけたグウェンが、布を抱えたまま目を丸くしている。それから、誰にも見えないように、私にだけ小さく頷いた。


「待ちなさい!」


 父が、ジニーの肩に回していた腕をほどいて、こちらを向いた。三回呼んでも向かなかった顔が、四回目を待たずにこちらを向いていた。


「当主は私だ。私の同意なしに――」


「だから、王妃陛下に聞いていただく」


 立ち上がったダンカン様に正面から見下ろされて、父は口を開きかけ、そのまま閉じた。


 夜、私は自分の部屋で、王妃陛下への申し立てを書いた。ジニーの謝りの手紙なら何十通と書いてきたのに、自分のために書く書面は、これが最初の一通だった。父の言った「お前は聞き分けがいいから、わかるだろう」は、一字も変えずに書き写した。


 書面は次の朝、ダンカン様の馬車で王妃宮へ運ばれ、取次の女官の手に渡った。


 その翌日の昼、王妃宮から私を迎えに馬車が来た。王妃陛下が謁見の間で、私と父から話をお聞きになるという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。