八年ぶりの王都で、三回を数えた【ダンカン視点】
王都の広間は、暖かすぎる。
燭台と暖炉と、人の熱。北の峠の砦なら、この半分の火で冬を越す。吹雪の夜には、声が届くのは三歩先までだ。ここでは誰もが三歩以内にいるのに、私のまわりだけ、人が離れていく。
八年ぶりの王都だった。
若くして父を雪崩で亡くし、家督と北の騎士団を継いでから、春の舞踏会には一度も来ていない。今年は陛下に、顔を出せと言われた。峠を守った労いだと仰ったが、縁談を進めろという含みもあった。王都から来た縁談は、八年で四つ。どの相手も「北は嫌」と言うか、返事を先に延ばした。一回で頷けない人に、北の冬は越せない。私はそう言って、どれも断った。
だから今夜は、壁の柱のそばで、お披露目の曲が終わるまで立っていればいいと思っていた。
懐には、副官のジャーヴィスから預かった封書が一通ある。
ジャーヴィスは六年前に北に来た。ペンローズ伯爵家の跡継ぎで、字がきれいで、刻限を一度も違えない男だ。あれの机には、毎月、王都から妹の手紙が届いた。ジャーヴィスはそれを、見回りから戻ると必ずその日のうちに読んだ。
一度、手紙をたたみながら、あれがこぼしたことがある。
「団長。六年で、妹が俺に頼んだものは、一つもないんです」
同じ机に、父親の伯爵からも、ときおり手紙が来た。中身はいつも同じだったらしい。ウィラは聞き分けがいいから、心配はいらない。
聞き分けのいい娘というのを、私は見たことがない。北の娘は、寒ければ寒いと一回で言う。言わない娘がいるとしたら、それは手がかからないのではなく、誰も手をかけていないだけだ。
王都へ発つ前の晩、ジャーヴィスは封書を私に預けて言った。
「妹を、一目見てきてください。それと、父がまた『聞き分けがいいから』と言ったら、これを妹に渡してください」
中身は聞かなかった。ジャーヴィスのほうが、一言だけ言った。王宮の古い定めを写しました、王妃陛下の後見の定めです、と。それで足りた。一回で頼まれたことは、一回で引き受ける。
* * *
お披露目で、名を呼ばれた娘たちが、壇の前で膝を折った。
ペンローズ家は二人だった。先の娘は、裾の長すぎる菫のドレスで、戻るなり母親の胸に顔を埋めた。後の娘は、飾りのほとんどない白で、裾に銀の糸が一筋だけ通っていた。母親の体は、半分、先の娘のほうを向いていた。
あれがジャーヴィスの妹だと、すぐに分かった。目元が似ている。それに、歩き方が北の人間に近かった。足元を見ずに、まっすぐ前を見て歩く。
一曲目の前、銀糸の娘は父親のそばに立った。
唇が動いた。一回。父親は下の娘の手をさすっていた。
二回。父親は何か答えて、下の娘の手を取った。
三回。父親の背中は、もう広間の真ん中へ向かっていた。振り向かなかった。
私は、数えていた。北では、同じことを三回言う人間はいない。三回言わなければならないことがあるなら、それは吹雪の中だ。この暖かすぎる広間の、どこに吹雪が吹いているのかと思った。
娘は泣かなかった。広間を一度見渡して、それから歩き出した。
まっすぐ、こちらへ来る。
自分のところへ来ると分かったとき、私の手元には断る言葉が一つもなかった。縁談を断ったときの言葉は、どれもこの娘には当てはまらなかった。
娘は私の前で足を止めて、一曲目の相手を申し込んだ。一回で言った。
だから私も、一回で答えた。娘が言い終わるのを待たずに、手が出ていた。
* * *
踊り始めてすぐ、私は、誰かに聞かれたら兄上の代わりに踊ったと答えておこう、と言った。父親の手に取られなかった娘だと広間が噂を始める前に、言い訳を一つ持たせておきたかった。娘は、兄らしい、という顔をした。
父親のそばで三回口を動かしていたな、と言うと、娘は足を止めかけた。数えていたのか、と聞いた。娘は、隠さなかった。
踊りながら、娘は祖母の教えを話した。欲しいものは三回言う。三回言って届かなければ、自分の足で取りに行く。
話がその朝のドレスに来て、仕立て屋に取りに行ったところまで来たとき、私は笑いを堪えきれなくなった。
三回数えてから取りに行く娘が、取りに行く先に、私を選んだのだ。
北の男なら、一回で言う。この娘は家に、一回で足りるはずの頼みを三回言って、三回分の機会をやっていた。家は三回とも、振り向かなかった。その結果、娘は一曲目の相手を、自分の足で、北の辺境伯のところへ取りに来た。
笑いが止まらなかった。近くの組が振り向き、娘の父親も、初めてこちらを見た。
すまない、笑うところではないな、と言うと、娘は、笑ってもらえて少し楽になった、と答えた。北の娘なら、楽になったと言うときは本当に楽になっている。王都の娘がどうかは知らない。だが、この娘の声は、取り繕う声ではなかった。
曲が終わる前に、決めた。
一回で頷けない人に、北の冬は越せない。私は八年、そう言って縁談を断ってきた。この娘は、三回言っても届かない家で、泣かずに数えて、自分の足で歩いてきた。一回で頷けるかどうかは、聞いてみればいい。
明日、伯爵家を訪ねてもいいか、と聞いた。娘は、一回で答えた。
* * *
王都の宿に戻ると、従者のオズが私の外套を腕に掛けて言った。
「団長、踊ったそうですね。王宮の控えで、御者たちがもう噂していました」
「明日、ペンローズ伯爵家へ行く」
「何をしに」
「結婚を申し込みに」
オズは外套を持ったまま止まった。オズは北の男で、主人の言うことは一回で聞く。その男が、もう一度聞いた。
「……何をしに、ですか」
「結婚を申し込みに」
「今夜踊った、あのお嬢さんに」
「結婚を申し込みに」
三回目を言ってから、私も気づいた。北の男が同じことを三回言ったのは、たぶんこの宿が初めてだ。オズは外套を掛けて、「承知しました」と一回で言った。
夜明け前、私は宿の近くの菓子屋の戸を叩いた。店の主人は寝間着のまま出てきて、林檎のタルトを丸ごと一つ、と言う私を、三回見直した。
娘は踊りながら言っていた。小さいころ、最後の一切れを妹の皿に回された。翌朝、祖母と一緒に、丸ごと一つを自分の足で買いに行った、と。
一回聞いたことは、覚えている。
焼き上がりを待つ間に、カードを一枚もらって、一行だけ書いた。
午後二時に伺う。ダンカン
「オズ。これを箱に添えて、伯爵家へ届けろ。ウィラ嬢に、と念を押せ」




