招待状は来ない【ホレス視点】
秋の社交の季節が始まったが、届いた招待状は一通だけである。
例年なら、季節の初めのうちに二十通は来た。晩餐に、夜会に、狩りの集まり。返事を書くのが追いつかず、執事に手伝わせたものだ。
今年の一通は、ドロシアの母方の遠縁の、子爵家の夜会だった。ドロシアの従姉妹の嫁ぎ先で、断れば角が立つ家である。
私は、その招待状を書斎の机の上に置いたまま、何日も眺めた。
* * *
机の引き出しには、北からの手紙が一通入っている。
夏至の少し後に届いた。私がストラウド辺境伯に宛てて、婚礼に家族そろって列席したいと書いた手紙の、返事である。返事を書いてきたのは辺境伯ではなく、ウィラだった。
婚礼の家族の席には、兄が座ります。お父様とお母様は、ジニーのそばにいてあげてください。あの子は手がかかりますから。
その下に、辺境伯の字で一行。花嫁の答えのとおりだ。
私はこの手紙を、何度か読み返した。
ウィラは、聞き分けのいい娘である。昔から、こちらが頼めば、何でも分かってくれた。こんな手紙を本心で書くはずがない。北の辺境伯に言われて書いたか、ジャーヴィスが横から口を出したのだろう。王妃陛下の前でのことも、あの娘は少し気が立っていただけだ。
いずれ、落ち着けば分かる。
私は引き出しを閉めた。
* * *
子爵家の夜会には、ドロシアと二人で出た。ジニーが寄宿舎に入って、間もない夜だった。
広間に入ると、何人かがこちらを見た。見て、それから目を逸らした。挨拶をしてきたのは、主人の子爵夫妻と、耳の遠い老伯爵の二人だけだった。
私は、話の輪の一つに近づいた。去年までは、私が近づけば輪が開いた。今年は、開かなかった。背中が並んだまま、話が続いていた。
「――それで、軍務院の補給掛の次席が、北の扱いを外されたのですって」
「王妃陛下が、院長をお召しになったとか」
「北の辺境伯夫人の書面が、それはよく整っていたそうよ。数も日付も、表まで付けて。院長が自筆で詫びを書いたって」
北の辺境伯夫人。
私の娘のことである。
「その辺境伯夫人って、ペンローズ伯爵のところの長女でしょう」
「ええ。春の謁見の」
「あの家、長女の書面で回っていたのね。弁償も、謝りの手紙も、全部あの子が書いていたって。マダム・ロシェのところのお針子が言っていたわ」
私は、輪の背中の後ろで立ち止まっていた。
黙っているのは、体面にかかわる。私は咳払いをして、一歩前へ出た。
「娘は、昔から聞き分けのいい子でしてな。北でも、よくやっておるようで」
輪の中の一人が、振り向いた。どこかの侯爵家の夫人だった。夫人は私を上から下まで一度だけ見て、扇で口元を隠した。
「ええ。聞き分けのいいお嬢様を、よくお育てになりましたこと。お手もかけずに」
輪は、それきり閉じた。
夜会の間、ほかに私に話しかけてきたのは、さっきの老伯爵だけだった。老伯爵は、ジャーヴィスは元気かと聞き、北の冬は厳しかろうと言い、私が答える前に、別の客のほうへ歩いていった。
私は、ドロシアを探した。ドロシアは、壁際の椅子に一人で座っていた。扇を開いて、閉じて、また開いていた。
* * *
帰りの馬車で、ドロシアはしばらく黙っていた。それから、扇を膝に置いて言った。
「誰も、ジニーのことを聞いてくれなかったわ。ウィラのことばかり」
私は答えなかった。ドロシアは手提げから封筒を出した。
「今日の昼に、女学院から届いたの」
中に紙が二枚入っていた。
一枚目は、ジニーの字だった。
お母様。寝間着とインクを、送ってください。ジニー。
二行だけだった。字が曲がっていて、一か所、書き直した跡がある。それでも、ジニーが自分で書いた手紙を、私は初めて見た。
二枚目は、舎監の添え書きだった。寄宿舎の決まりとして、家からの届け物は、保護者の書面を添えて舎監室へお送りください。
「あなた、舎監への書面を書いてくださる?」
ドロシアが言った。
「私、こういうのの書き出しが、分からないのよ」
私は添え書きを見た。保護者の書面。何を書けばいいのか、と思った。届け物の中身を書くのか、詫びを書くのか、礼を書くのか。
こういう書面を、今まで誰が書いていたのだろう。
ジニーの割った壺の弁償の書面には、私が署名した。辞めた家庭教師への違約の届けにも、署名した。署名する前に、書面はいつも机の上に置いてあった。きれいな字で、間違いのない書き方で。
誰が、それを置いていたのか。
私は、そこで考えるのをやめた。馬車が止まって、御者が屋敷に着いたと告げたからだ。
* * *
屋敷に戻ると、私は書斎の机に向かった。
便箋を一枚出して、宛名を書いた。女学院舎監殿。
その先が、書けなかった。
長いこと、ペンを持ったまま座っていた。ドロシアが何度か、戸口から様子をうかがって、そのたびに黙って引き返した。
私は、執事を呼んだ。
「ウィラの部屋の、書き物机の引き出しに、手紙の写しの束があるはずだ。持ってきなさい」
執事は一度だけ私の顔を見て、それから、黙って廊下へ出ていった。




