北の荷は、最後でいい
宿場町ウェスカーに着いたのは、館を出て何日目かの夕方だった。
北街道を下りきったところで、道が広くなる。王都から来る本街道と、北へ上る北街道が、町の真ん中の広場で分かれている。広場の東側に、大きな倉が並んでいた。問屋ブロムの倉だと、騎士の一人が言った。
倉の前には、荷馬車がずらりと並んでいた。荷台には麻袋と木箱が積まれていて、どの荷にも、南行きの札が下がっている。
北行きの札の付いた荷馬車は、一台もなかった。
* * *
ブロムは、倉の戸口で帳面をつけていた。
年配の、腹の出た男だった。騎士の外套を見て、すぐに北の者だと分かったらしい。帳面を閉じて、愛想よく笑った。
「これはこれは、北の方。こんな季節に、わざわざ」
「北の騎士団の、冬の物資を受け取りに来ました」
私が言うと、ブロムは私の顔を見て、それから私の後ろの兄と騎士たちを見た。辺境伯夫人が自分で来るとは思っていなかった顔だった。
「北の荷なら、ちゃんと手前どもの倉にございますよ。南の荷が片付いたら、すぐに上げます」
「いつ片付くのですか」
「取り入れの荷が終わる頃には」
ブロムは、手を揉みながら言った。
「北の荷は、雪の前に出れば上等でしょう。北の方は一回しか言ってこないし、文句も一回で終わる。毎年、手がかからなくて助かっております」
後ろで、騎士の一人が息を吸う音がした。兄が、片手を上げてそれを止めた。
(手がかからない)
私は書類入れを開けて、軍務院の院長の書状を出した。
「軍務院の院長から、北の荷を直ちに館へ届けるように、とあります」
ブロムは書状をちらりと見て、笑みを崩さなかった。
「ええ、ええ、存じております。ですから、着いた分は、すぐに出しますとも。ただ、道中の損じばかりは、どうにもなりませんでね。樽というのは、揺られると割れるもんで」
「その損じは、どこで数えたのですか」
「どこで、とは」
「王都の荷馬車は、この宿場で荷を降ろします。王都からここまでに損じが出たなら、この倉の前で数えたはずです。ここから先で出たなら、館で数えたはずです」
私は、八年分の送り状を一枚ずつ広げた。
「送り状には毎年、軍務院より受け、灯りの油六十樽、と書いてあります。あなたの署名で。六十樽を受け取ったなら、ここで損じは出ていません。館では、届いた樽を数えています。去年は、三十八樽でした。二十二樽は、この倉と館の間のどこかで割れたことになります」
ブロムの笑みが、少しだけ固くなった。
「倉の荷受けの帳を、見せていただけますか」
「……帳は、手前の店のものでして。北の奥方様でも、お見せするわけには」
ブロムは帳面を胸に抱えて、倉の中へ引っ込んだ。
* * *
その夜、宿で兄が言った。
「どうする。騎士六人で、倉の戸を破るか」
「破りません」
私は、院長の書状をもう一度読んでいた。最後のほうに、こう書いてある。宿場にて荷を降ろしたる際、当院の御者より損じの届けは、八年のうち一度もなし。
当院の御者。
「お兄様。軍務院の荷馬車は、宿場で馬を替えるのでしょう」
「ああ。町の外れに、軍務院の馬継ぎ所がある」
「今夜、そこにいる御者の方に、会えますか」
兄は少し考えて、それから外套を取った。
馬継ぎ所には、荷馬車が何台か停まっていた。東の国境の砦へ、秋の物資を運ぶ途中だという。焚き火のそばに、髭の濃い大男が座っていた。御者頭だと、馬番が教えてくれた。
私が名乗ると、御者頭は焚き火越しに私を見上げた。王都から来た荷を、長年、この宿場まで運んできた人だった。
私は、王都で積んだ数の控えと、ブロムの送り状を並べて見せた。
御者頭は、送り状の損じの行を指でたどった。指が、去年の行で止まった。
「二十二樽?」
大きな声だった。焚き火の向こうの御者たちが、顔を上げた。
「うちは毎年、満杯で降ろしてる。割れた樽なんか、ここ何年も一つもねえ。ほかの荷にだって、損じなんか出たことはねえよ」
御者頭は、送り状を握ったまま立ち上がった。
「うちの組が運んだ荷を、割ったことにされてたってのか。十年」
* * *
次の朝、ブロムの倉の前に、宿場の役人が来た。
御者頭が、夜明け前に役人の家の戸を叩いたのだ。軍務院の荷の扱いは、宿場の役人が預かっている。役人は痩せた初老の男で、御者頭の話と、私の並べた書類を、倉の前の台の上で一枚ずつ読んだ。
読み終えると、ブロムに向かって言った。
「倉を開けなさい」
「役人様、それは」
「開けなさい」
倉の戸が開いた。
手前には、南行きの札の付いた荷が積まれていた。その奥に、北行きの札の付いた樽と箱が、壁際まで押し込まれていた。札の上に、埃が積もっていた。
騎士たちが北行きの荷を数えた。薬と毛布は、数がそろっていた。けれど、薬の箱のいくつかと、毛布の束のいくつかには、紐が二重に掛けてあった。一本は北行きの札の紐で、もう一本の紐の先には、何も書いていない札が下がっていた。油の樽は、四十六。
樽が、十四足りなかった。
私は、手前の南行きの荷を見た。南行きの札の付いた樽が、十四並んでいた。
「その樽の、底を見せていただけますか」
騎士の一人が、一番手前の樽を傾けた。樽の底に、焼き印が押してあった。
御者頭が、樽の底へ顔を近づけた。
「その焼き印は、軍務院の印だ。うちの樽だよ」
南行きの札を剥がすと、その下から、北行きの札が出てきた。
広場に、人が集まり始めていた。南の商人たちが、自分の荷を見に来ていた。宿場の人たちが、倉の前の役人と騎士と、札を剥がされた樽を見ていた。
ブロムが、声を上げた。
「北は、どうせ文句を言わないから――」
そこで、ブロムは口を閉じた。遅かった。広場の誰もが、それを聞いていた。
役人は、ブロムの手から帳面を取り上げた。
「私は毎年、王都の荷馬車が降ろす数を数えていた。損じは、問屋の届けとして受けていただけだ。届けの中身を確かめなかったのは、私の落ち度だ」
役人はそれを一回で言って、ブロムに向き直った。
「軍務院の荷の扱いは、今日から私の預かりとする。今年の北の荷は、全部、すぐに館へ上げなさい。運び賃は軍務院の決めたとおりだ。去年までの損じの分は、帳を調べて、この倉の札の付け替えと一緒に軍務院に届ける。お前の扱いは、軍務院が決める」
ブロムは何も言わなかった。帳面を取られた手を、所在なく前掛けで拭いていた。
(取りに来た)
私は、心の中でそう数えた。三回言って、届かなかったものを、自分の足で取りに来た。
兄が、騎士たちに一回で言った。
「油六十、薬四十、毛布百。一つずつ数えて、荷馬車に積め。札は北行きのまま、剥がすな」
騎士たちが動き出した。ブロムの荷馬車の御者たちも、役人に言われて、黙って北行きの荷を積み始めた。
御者頭が、私の前に来た。髭の中で、口が何度か動いた。それから、帽子を取った。
「北の奥方様。うちの組の名を、晴らしてくださって、ありがとうございます」
焚き火のそばでは大声だった人が、小さな声で言った。
* * *
その次の朝、北の荷を積んだ荷馬車が、北街道を上り始めた。
十二台だった。先頭に兄の馬、最後に騎士たち。私の馬車は、真ん中に入った。
広場を出るとき、振り返ると、ブロムが倉の戸口に立っていた。隣に役人が立っていて、ブロムの帳面を脇に抱えていた。
前を向くと、北街道の先の空が白かった。峠のほうで、また雪が降っているのだ。




