手を貸してください
荷が着くはずの日の夕方になっても、坂の下に荷馬車は来なかった。
次の日も来なかった。その次の日の朝、峠の上が白くなった。最初の雪だった。館の町の人は空を見上げて、今年は少し早い、と一回ずつ言った。
私は毎朝、東の窓から北街道の曲がり角を見た。数えるものがないので、日を数えた。
それから何日も過ぎた朝、坂の下から薪売りが上がってきた。
* * *
薪売りは、北街道を宿場と館の町の間で行き来している男だった。台所の裏口で薪を降ろしながら、ヘスター様に何か言っていた。ヘスター様はそれを聞くと、前掛けで手を拭いて、まっすぐ奥方様の机の部屋へ来た。
「ウィラ。宿場の話だ。本人から聞きな」
薪売りは戸口で帽子を取った。北の人らしく、一回で言った。
「宿場のブロムの倉に、北行きの札の付いた荷が積んだままになってます。樽も箱も。半月ほど前に、王都の荷馬車が降ろしていったやつです。俺が宿場を出た日も、まだ積んだままでした」
「問屋の荷馬車は」
「南の商人の荷を運んでます。秋の取り入れの頃は、南へ下ろす荷のほうが運び賃がいいんで」
薪売りは、声を落として続けた。
「ブロムは、北の荷は毎年最後でいいと言ってました。北の方は、雪の前に届けば文句を言わないからって」
私は、礼を言って、薪売りに銀貨を一枚渡した。薪売りは要らないと言ったけれど、ヘスター様が、受け取っときな、と言うと受け取った。
* * *
机の上に、全部を並べた。
八年分の表。王都で積んだ数の控えの写し。院長の書状。ブロムの署名のある、八年分の送り状。
王都では毎年、満杯で積んでいた。宿場で降ろしたときに、損じはなかった。損じは、ブロムが受け取った後で生まれる。荷が遅れるのも、ブロムの荷馬車が北を最後にするからだ。その荷が、今、宿場の倉に積まれたままになっている。
街道が雪で閉じるまで、あと二十日ほど。
書面で、もう三回言った。軍務院に二回、王妃宮に一回。三回目は届いて、王都の荷は出た。それでも、荷は館に来ない。今度届かないようにしているのは、王都の誰かではない。北街道の入口の、宿場の倉だ。
(自分の足で、取りに行きなさい)
祖母の声だった。
宿場町ウェスカーまで行って、倉で荷を積み、戻ってくる。急げば、二十日のうちに戻ってこられる。
ブロムに手紙を書くことも考えた。けれど、ブロムは北の書面に一回で答えたことがない。早馬で往復しても返事は「追って」で、その間に雪が来る。それに、八年分の送り状と王都の控えを突き合わせてきたのは、私だった。倉の帳のどこを見れば損じが分かるのかを知っているのも、私だけだった。
* * *
その日の昼、執務室へ行った。
ダンカン様は、峠の砦へ上る支度をしていた。冬の前の最後の見回りで、雪が深くなる前に、砦で冬を越す騎士たちを入れなければならない。辺境伯が自分で行く見回りだと、兄から聞いていた。
私は、宿場へ行きたいと一回で言った。薪売りの話と、倉に荷が積まれたままになっていることも。
ダンカン様は、地図から顔を上げた。
行くな、とは言わなかった。私が行く理由を、全部聞いた後だった。代わりに、私の顔を見て、一回だけ聞いた。
「大丈夫か」
大丈夫です、と口が動きかけた。
口が先に答える速さだった。王都の家で、北の宿で、叔母様の屋敷の机で、何度もその速さで答えてきた。今度も、そのまま言えば、この人は一回で信じる。三回聞くと誓った人だから、二回目を聞いてくれるかもしれない。けれど、それを待つのは違う気がした。
私は、口を一度閉じた。
「手を貸してください」
自分の声が、思ったより小さかった。
「騎士を何人か、兄と一緒に。荷を積むのに、人の手が要ります。帳を読むのは、私がします」
ダンカン様が、止まった。
地図の上に置いた手が、少しも動かなかった。灰色の目が、私の顔の上で一度だけ瞬いた。
「六人付ける」
それから、短く続けた。
「ジャーヴィスを連れていけ。馬車は、私の馬車を使え」
「はい」
「宿場で、何かあったら」
ダンカン様は、そこで言葉を切った。何を言うのか、私は待った。
「一回で、ジャーヴィスに言え」
黒い髪の下で、耳の先が赤くなっていた。
* * *
執務室を出ると、廊下にヘスター様が立っていた。台所へ戻る途中だったのか、わざと待っていたのか、私には見分けがつかなかった。
「聞こえたよ」
「……どこからですか」
「手を、のところから」
ヘスター様は前掛けの紐を結び直して、言った。
「一回目で言えたね」
紐を結び終えたときには、ヘスター様はもう廊下の角を曲がっていた。
グウェンは館に残ることになった。北街道の冬の手前の旅は、年寄りの体には寒すぎると、ヘスター様が一回で決めた。グウェンは黙って頷いて、私の馬車の座席に、毛布を一枚余分に入れた。
「お嬢様は、寒いと言わない方ですから」
グウェンはそれだけ言った。
* * *
その日の昼、私の乗った馬車は、騎士たちと兄に付かれて坂を下りた。
ダンカン様は、門の前で見送った。同じ日の午後、ダンカン様も峠へ上る。
膝の上に、書類入れを置いた。中には、八年分の表と、王都で積んだ数の控えの写しと、軍務院の院長の書状が入っている。
私は、その上に手を置いた。




