例年どおり、の八年分
婚礼の翌日、奥方様の机は、ヘスター様の屋敷の東の一室から、館の東の一室へ移った。
卓と椅子とインク壺を、騎士たちが坂の上まで担いでくれた。書き写しを習っている若い騎士の二人、エイモスとガーニーは、自分たちの紙とペンを抱えてついてきた。窓からは、三本の林檎の木が見える。
その部屋の壁に、先の書記の棚があった。
「冬の物の控えなら、たぶん全部ここだ」
兄が棚の前にしゃがんで、下の段から紙の束を引き出した。紐でくくった束が、八つあった。一年に一束ずつ、表に年が書いてある。先の書記の爺さんは字はひどかったけれど、物を捨てない人だったらしい。
* * *
北の騎士団の冬の物資は、灯りの油と、薬と、毛布の三つだ。薬は、凍傷の軟膏と熱冷まし。
騎士団が夏に注文を一通出すと、王宮の軍務院の補給掛が手配して、王都で荷馬車に積む。荷馬車は本街道を、宿場ごとに馬を替えながら走って、北街道の分かれる宿場町ウェスカーで荷を降ろす。そこから先は坂が急で、王都の荷馬車では上れない。宿場の問屋ブロムが自分の荷馬車に積み替えて、北街道を館まで運んでくる。
兄の説明を聞きながら、私は八つの束を年の順に並べた。
どの束にも、紙が二枚入っていた。一枚は騎士団の出した注文の控え。もう一枚は、荷と一緒に届いた宿場の問屋の送り状だ。
注文の控えは、八年とも同じだった。
例年どおり。ストラウド。
「父の頃は、書記が品と数を一つずつ書いていた」
机の向こうで、ダンカン様が言った。
「私が継いでから、一行にした。数は前の年と同じでいい、という意味だった」
「軍務院には、それで通じたのですね」
「通じた。毎年、荷は来た」
私は送り状のほうを並べ直した。こちらは一行ではなかった。
軍務院より受け、灯りの油六十樽。うち道中の損じ二樽。八年前の送り状には、そう書いてある。
私は指で一行ずつ押さえて、去年の束まで下りた。損じは、年ごとに増えていた。
うち道中の損じ二十二樽。
薬も毛布も、損じは一度も減った年がなかった。そして、送り状の日付は毎年少しずつ遅くなっていた。去年の最後の荷が館に着いたのは、雪で街道が閉じる三日前だった。
「エイモス。紙を一枚ちょうだい」
エイモスが慌てて真っさらな紙を差し出した。私は八年分を、年ごとに一行ずつ書き写した。積んだ数、損じ、届いた数、届いた日。王都で、ジニーの割った物の弁償を何年分もまとめて父に見せたときと同じ書き方だった。
表ができると、机の周りの空気が変わった。
* * *
その日の午後、奥方様の机の部屋に、騎士の妻たちが頼みごとを持ってきた。私は頼みごとを聞く前に、表を見せた。
「冬の終わりは、毎年、灯りを半分にするんです」
一人が、表の油の行を指でたどりながら言った。
「雪が一番深い頃から、夜は台所に一つだけ。子どもたちは早く寝かせて」
「薬は、春まで足りたためしがありませんよ。凍傷の軟膏が切れたら、獣の脂で代わりにするの」
「それが、北の冬だと思ってました」
誰も、怒っている声ではなかった。そういうものだと、八年かけて覚えた声だった。
「去年、油が足りないと、一行書いて送った」
ダンカン様が言った。
「返事はなかった。北の者は、二回は言わない。足りなければ、足りない分で冬を越してきた」
私は表から目を上げなかった。
顔を上げたら、何かを言ってしまいそうだった。
八年前から、北はずっと同じ一行で頼んできた。数は前の年と同じでいい、と。王都の誰かは、その一行を読んで、北は手がかからないと思ったのだろう。毎年何も言ってこない。去年一度だけ足りないと書いてきたが、一行だけで、二度目は来なかった。急ぎではないのだろう、と。
あなたは手がかからないから。
王都の家で十八年聞いた言葉と、同じ形をしていた。
(でも、損じは)
私はもう一度、損じの列を見た。
王都の家で後回しにされると、届くのが遅くなる。足りなくなる。それは分かる。けれど、損じは別だ。樽は割れ物ではない。それが八年のあいだ、一度も減ることなく、毎年前の年より多く割れている。運ぶ道も、運ぶ人も、八年同じなのに。
壺が毎年少しずつ多く割れていたら、私なら割っている人を探す。
* * *
一回目の書面を書き上げたのは、何日かたった夜だった。
その前に、館の倉へ下りて残っている油の樽を数え、騎士団の家が何軒あるかを兄に聞き、砦で冬を越す騎士の数をオズに聞いた。数を一つ決めるたびに、紙の上の「例年どおり」が一つずつ消えていった。
宛先は、軍務院の補給掛。油、薬、毛布の数を、一つずつ書いた。例年どおり、とは書かなかった。届けてほしい日も書いた。街道が雪で閉じる一月前まで。八年分の表を写して添え、最後に、王都で荷馬車に積んだ数の控えを、八年分写して送ってほしいと書き足した。
係が脇へ置く理由を、一つも残さないように書いた。キルスティの恩給の添え状と同じ書き方だ。
書き終えた紙を、ダンカン様に渡した。ダンカン様は灯りの下で一枚ずつ読み、読み返さずに印を押した。
「三枚になったな」
「一行では、足りませんでしたから」
ダンカン様は何か言いかけて、やめた。代わりに、印を懐へしまった。
私はペン先を拭きながら、空になった棚の段を見た。書類の束がなくなると、棚はがらんとしていた。
「読むための本を、一冊も持ってこなかったんです」
言うつもりのなかった言葉が、口から出た。
王都から持ってきた本の箱には、手紙の文例集と、紋章院の届けの書式集と、作法の本しか入っていない。荷造りの日、役に立つ本だけを詰めたら、箱は一つで足りた。
「冬の夜は、長いのでしょうね」
ダンカン様は返事をしなかった。ただ、棚のほうを一度だけ見た。
* * *
その夜明け、早馬が坂を下りていった。
私は東の窓から、蹄の音が町の向こうへ消えるまで聞いていた。
(一回目)




