ジニーのそばにいてあげてください
ダンカン様が二通の手紙を持って奥方様の机の部屋へ来たのは、早馬が戻った日の昼過ぎだった。
後ろに、早馬で王都まで往復した騎士が、小さな革袋を提げて立っていた。
「軍務院からだ。君宛てではないが、君が書いた届けの返事だ。先に開けてくれ」
ダンカン様は一通目を私の机に置いた。軍務院の封だった。
封を切る指が、少しだけ急いだ。書き写しを習っている若い騎士たちが、ペンを止めてこちらを見ている。兄はその後ろで、腕を組んでいた。
北の騎士団長閣下。騎士故ロブ寡婦キルスティの存命届、受理す。差し止めの分、並びに今月分、使いの騎士に託す。
そこまでは、役所の言い回しだった。その下に、別の手の細い字で、書き足しがあった。
書面整いたるにつき、一読にて処理す。添え状の書き手に、恩給掛より礼を申す。
一読にて。
私は、その言葉を、指でなぞった。
王都で何十通も書いて、三回目でやっと動いた役所が、一回で動いた。脇へ置く理由を一つも残さなかったから、係は紙を脇へ置かなかったのだ。三回目を頼む先にと知らせを置いておいた王妃宮には、何も頼まずに済んだ。
「一回で、届きました」
私が言うと、騎士が革袋を机の上に置いた。中で、銀貨が鳴った。
* * *
キルスティは、知らせを聞いて坂を駆け上ってきた。
黒い服の裾が、坂の土で汚れていた。戸口で一度足を止めて、息を整えてから、机の前まで歩いてきた。私は革袋の口を開けて、銀貨を卓の上に、月ごとの山に分けて並べた。
キルスティは、銀貨の山を一つずつ見た。数えなかった。北の人は、一回見れば分かるのだろう。
「ありがとうございます」
一回で言った。
それから両の手のひらに顔を埋めて、一回だけ泣いた。声はなかった。肩が何度か震えて、止まった。顔を上げたとき、目はもう乾きかけていた。
戸口には、いつの間にか騎士の妻たちが並んでいた。来たときより、人数が増えていた。一人が「一回で返事が来たんですか」と聞き、隣の一人が「軍務院から?」と目を丸くした。誰も、並んだまま帰らなかった。手に、それぞれ紙を一枚ずつ持っていた。
若い騎士の一人が、そっと新しいインク壺の蓋を開けた。
* * *
二通目は、キルスティと妻たちが帰った後で、ダンカン様が机に置いた。
ペンローズ伯爵家の紋の封蝋だった。宛名は、ストラウド辺境伯閣下。父の字だ。
「私宛てだが、君の家の話だ。読んでくれ」
封はもう切ってあった。私は便箋を開いた。
ストラウド辺境伯閣下。北の地にてご健勝のことと存じます。娘ウィラの婚礼につき、当家は家族そろって列席いたしたく、北への迎えの馬車をお手配願えましょうか。王都では心ない噂も立っておりますが、婚礼に家族がそろえば、自然と収まりましょう。ウィラは聞き分けのいい娘ですので、家族の列席を喜ぶはずです。
最後の一文で、私は目を止めた。
聞き分けのいい娘。父はまだ、それを書いている。娘の婚礼の手紙を、娘ではなく娘の夫になる人に宛てて、噂を収めるために。
「君に聞けと返す」
ダンカン様が言った。
「一回で、答えてくれ」
私は、心の中で数えなかった。
三回言う必要がなかった。これは、誰かに頼む話ではない。私が何を欲しいかを、一回で決めればいい話だ。
婚礼の日に、家族の席に誰がいてほしいか。
答えは、もう決まっていた。
私は新しい便箋を一枚取って、宛名を書いた。お父様、お母様。それから、ペンを一度も止めずに書いた。
婚礼の家族の席には、兄が座ります。お父様とお母様は、ジニーのそばにいてあげてください。あの子は手がかかりますから。
署名を入れて、ダンカン様に渡した。ダンカン様は読み終えると、私のペンを取って、署名の下に一行だけ足した。
花嫁の答えのとおりだ。ストラウド。
兄が、肩越しに便箋をのぞき込んだ。読み終えると、腕組みをほどかずに、大きな声で笑った。若い騎士たちが、ぎょっとして兄を見た。
「ウィラ。お前、お袋の言葉を、そのまま返したな」
「お母様の言葉は、十八年聞いてきましたから。覚えています」
兄は笑いすぎて、目尻を拭いた。
「どのみち、親父の頼んだ馬車は間に合わないけどな。北まで十日かかることを、親父は知らないんだ。六年、一度も来なかったから」
廊下から、ヘスター様が顔を出した。便箋に目を落として、言った。
「一回で書けたね」
「はい」
* * *
母の手紙が届いたのは、それから数日後だった。
便箋の頭に、日付が二つ書いてあった。一つは、私が北へ着いた頃。もう一つは、それからずいぶん後。書き始めてから書き終えるまでに、それだけかかったのだ。字の上に線を引いて書き直したところが、七つあった。
母が自分で書いた手紙を、私は初めて読んだ。
ジニーの先生への謝りの手紙を、どう書けばいいのか教えてちょうだい。宛名は執事に調べさせました。書き出しから分からないの。あなたなら、すぐでしょう。
父が辺境伯様に何を書いたのか、母は知らないのかもしれない。婚礼のことは、一言も書いていなかった。
私は、返事を一行だけ書いた。
先生、昨日は。
王都の荷造りの部屋で、ジニーの紙の端に書いたのと、同じ一行だ。続きは、ジニーが知っている。何をしたのか、何が悪かったのか、これからどうするのか。三つ書けば手紙になると、あの日、私はジニーに言った。
便箋をたたんで封をすると、グウェンが横から、黙って封蝋を差し出してくれた。
* * *
夏至の翌々日の朝、館の門の前に、王都からの荷馬車が一台着いた。
積んであったのは、大きな箱が一つだった。蓋に、見覚えのある几帳面な字で、宛名が書いてある。
ウィラ・ペンローズ様。マダム・ロシェより。




