君の「大丈夫」は、三回聞く【ダンカン視点】
北では、一回聞いたことは、一回で信じる。
疲れていないか、と聞いて、大丈夫です、と返ってくれば、それで終わる。吹雪の中で二回目を聞いている暇はない。聞かれたほうも、それを知っているから、本当のことを一回で言う。北の人間は、そうやって冬を越してきた。
だから私は、ウィラの「大丈夫です」を、一回で聞いた。
叔母の屋敷に奥方様の机が置かれた晩に一回。次の晩に一回。その次の晩にも一回。三晩とも、同じ答えだった。三晩とも、私は「そうか」と言って帰った。
帰る前に、机の上に置かれた手は見ていた。右の中指のペンだこの横に、インクの染みが一晩ごとに増えていた。一晩目は指先だけだった。三晩目には、第二関節まで黒かった。
見ていて、私は聞かなかった。北の流儀に従ったからだ。
* * *
次の晩は、峠の見回りが長引いた。
雪解けの水で、峠道の石垣が崩れていた。騎士たちと石を積み直して館へ戻ると、夜半を過ぎていた。風は東から吹いて、指がかじかむほどではなかった。
坂の上の叔母の屋敷に、灯りが一つだけついていた。東の一室だ。
玄関を叩くと、叔母が燭台を持って出てきた。寝間着の上に肩掛けを羽織っている。私の顔を見て、何も言わずに廊下の奥へ顎をしゃくった。
東の一室の戸は、半分開いていた。
ウィラが、机に頬をつけて眠っていた。
右手はペンを握ったままだった。指は、もう第二関節どころではなく、手の甲の半ばまでインクで黒い。机の端に、書き終えた手紙が積んである。私は戸口から数えた。三十一通。反対の端には、まだ手をつけていない頼みごとの書き付けが、同じくらいの高さに積まれていた。
年寄りの侍女が、ウィラの肩に毛布を掛けていた。グウェンという名だ。私に気づくと、毛布の端を整えながら言った。
「お嬢様は、王都でも毎晩こうでした」
それ以上は、言わなかった。北の人間でもないのに、一回で言う侍女だった。
私は、ジャーヴィスが妹の手紙をたたんでいた日のことを思い出していた。
あれが北に来て、しばらく経った頃だ。妹の手紙をたたみながら、ジャーヴィスが言った。団長、妹の手紙の最後の行は、いつも同じなんです。私は大丈夫です、と。
それからも、その最後の行は変わらなかったと聞いている。七十何通、一行も変わらなかった。
大丈夫です、という言葉は、北では一回で信じていい言葉だ。だが、ウィラにとっては、手紙の最後に毎月書く言葉だった。何かを頼む代わりに、書く言葉だった。
私は三晩、それを一回で信じた。
廊下に出ると、叔母が燭台を持ったまま待っていた。
「ダンカン。北の流儀に、例外を作るのかい」
叔母は、私が何を考えているかをすぐに見抜く。子どもの頃からそうだ。
「作る」
叔母は燭台の火を見て、少しだけ口の端を上げた。
「あんたの父親も、母親のことになると、同じ顔をしたよ」
* * *
翌朝、私はジャーヴィスを連れて、叔母の屋敷へ行った。
ウィラは、もう机に座っていた。顔は洗ってあったが、手のインクは落ちきっていない。足には、町の靴屋が仕上げた新しい靴を履いていた。踵の布は、もう要らないらしい。
私は机の前に立った。
「ウィラ。君の『大丈夫』だけは、三回聞く」
ウィラが顔を上げた。ペンが止まった。
北の男が、同じことを三回言う。宿でオズに三回答えたとき以来だ。だが、あのときは聞かれて答えた。今度は、自分で決めて三回聞く。
「大丈夫か」
「大丈夫です」
一回目は、いつもと同じ速さで返ってきた。口が先に答える速さだ。私は動かなかった。
「大丈夫か」
「……大丈夫、です」
二回目は、間が空いた。ウィラの目が、私の顔から机の上の束へ、束から自分の黒い指へ動いた。
三回聞くのは、相手に三回、言い直す機会を渡すことだ。一回目で言えなかったことも、三回目なら言えるかもしれない。ウィラの家族は、ウィラが三回言っても、一回も振り向かなかった。私は、三回目まで聞く。
「大丈夫か」
ウィラは、ペンを置いた。
インクで黒い手を、膝の上で一度握って、開いた。
「……少し、休みたいです」
小さな声だった。吹雪の中なら、届かない大きさだった。だが、ここは叔母の屋敷の東の一室で、風は吹いていなかった。一回で、届いた。
「休め」
私は、まだ手をつけていない頼みごとの書き付けを、半分持ち上げた。
「ジャーヴィス。字の読める若い騎士を二人選べ。今日から、この部屋で書き写しを習わせる。教えるのは、お前だ」
「承知しました」
ジャーヴィスは短く答えて、それから妹の顔を見た。何か言いかけて、やめた。代わりに、私のほうへ向き直った。
「団長。俺は六年、妹に一回しか聞きませんでした。手紙で、元気か、と」
「知っている」
「三回聞けばよかったんですね」
ジャーヴィスはそれだけ言って、廊下へ出ていった。若い騎士を探しに行く足音が、いつもより速かった。
ウィラは、机の上に残った半分の書き付けを見ていた。それから、私を見上げて、小さく笑った。
「三回も聞かれたのは、初めてです」
私は何も言わなかった。言えば、耳が赤くなるのが自分で分かった。
* * *
早馬が王都から戻ったのは、それから何日もたった昼だった。
騎士が館の執務室に持ち込んだのは、軍務院の封が一通。同じ日の昼に街道の郵便馬車も着いていて、オズがもう一通を持ってきた。
厚い紙に、ペンローズ伯爵家の紋の封蝋が押してあった。
宛名は、ウィラではなかった。
ストラウド辺境伯閣下。私の名だった。




