市長は水道管を直せません
【新規緊急危険を検知】
東部第2幹線水道管
状態:緊急
大規模漏水の可能性
黒瀬悠真は赤く変わった線を見つめた。
病院の問題を防いだばかりだというのに。
一つを解決した途端、また一つだった。
「圧力はどれくらい落ちていますか」
施設担当者が資料を確認した。
「正常時比61%です」
「今も下がり続けていますか」
「はい」
「漏水量は」
「まだ正確に計算できていません」
また。
正確にはわからない。
悠真は都市スキャンを拡大した。
東部地域を横切る太い線が一本、赤く光っていた。
その先につながる住宅地域。
商店街。
学校。
工場。
そして数字。
影響予想人口
41,083人
四万人。
さっきまでは電気が問題だった。
今度は水だった。
「復旧班は現場にいますね」
「はい。ポンプ場にいた六班が確認に向かっています」
「映像はつなげますか」
「可能です」
しばらくして災害対策本部の画面が切り替わった。
暗い道路が映し出された。
道路の真ん中から水が噴き出していた。
最初は雨水のように見えた。
だが違った。
アスファルトの隙間から水が絶え間なく噴き上げていた。
すでに片側車線は水に浸かっていた。
「思ったより酷いな」
悠真が言った。
画面の向こうでヘルメットをかぶった男が答えた。
――圧力が落ち続けています。幹線の方で間違いなさそうです。
三十代半ばに見えた。
作業服はすでに腰まで濡れていた。
「お名前は」
――中村豪です。水道施設管理公社、現場運営班長です。
「中村班長」
悠真は名前を覚えた。
「止められますか」
豪はすぐには答えなかった。
周囲を一度見回してから言った。
――止めます。
「方法は」
――まず漏水区間を隔離する必要があります。
悠真はシステムの地図を確認した。
赤い線の両端にバルブの表示が見えた。
E-17。
E-22。
二つ閉めればいい。
思ったより単純だった。
悠真が言った。
「E-17とE-22を閉めればいいんじゃないですか」
画面の向こうの豪が一瞬止まった。
――誰がそう言ったんですか。
「私が見ています」
――何をですか。
「……資料を」
システムだとは言えなかった。
豪が首を振った。
――E-22から確認します。E-17には触れないでください。
悠真の眉が動いた。
「なぜですか」
――E-17まで閉めると、東部地域の供給網が完全に分断されます。
「どうせ漏水区間を止めるなら分離するしかないんじゃないですか」
――違います。
きっぱりとしていた。
悠真はもう一度システムを見た。
確かにE-17を閉めれば赤い区間は途切れる。
漏水部分だけが孤立する。
(合ってるはずだが)
悠真は言った。
「とりあえず閉めましょう。水がずっと漏れています」
豪の返事はすぐに返ってきた。
――閉められません。
災害対策本部が静まり返った。
悠真もしばらく言葉がなかった。
「……何ですって」
――今は閉められないんです。
市長が命令した。
なのに現場の職員が拒否した。
悠真は自分でも気づかないうちに声が低くなった。
「理由を説明してください」
豪が画面の外の誰かに合図した。
しばらくして古びた図面が一枚、カメラの前に現れた。
――E-17のバルブは、今の図面と実際の配管が違います。
「違う?」
――三年前に仮設の迂回管をつなぎました。工事が終わったら撤去する予定だったのに、まだそのままです。
施設担当者が戸惑った。
「うちの資料にはありませんが」
――だから問題なんです。
豪が言った。
――E-17を今閉めると、漏水区間だけが隔離されるわけじゃありません。東部2区域と4区域の一部まで、圧力が一緒に崩れます。
悠真の表情がこわばった。
「何人くらい影響を受けますか」
――正確には計算し直さないとわかりません。
「おおよそでも」
――少なくとも七万以上です。
41,083人。
その数字を減らそうとしてバルブを閉めれば。
かえって七万人以上に問題が起きるかもしれなかった。
悠真はシステムを見つめた。
システムは何の警告も出していなかった。
E-17は今も平凡なバルブとして表示されている。
(システムにも知らないことがあるのか?)
これまで当然だと思っていた。
自分に見える都市情報が最も正確だと。
だがシステムは都市を映し出すだけだった。
三年前に現場で仮設された配管まで把握しているわけではなかった。
そのとき豪が言った。
――それと、もう一つあります。
「何ですか」
――E-17は古いバルブです。今の圧力で急に閉めると、周りの老朽管まで破裂するかもしれません。
「バルブ一つ閉めるだけでですか」
――市長。
豪がカメラをまっすぐ見た。
――水道管はパソコンの画面じゃありません。
悠真は口をつぐんだ。
――バルブを閉めれば水がただ止まるわけじゃないんです。何十キロも動いていた水が一気に堰き止められると、圧力が別の場所に跳ね返ります。
田中誠が横で低い声で言った。
「水撃作用です」
悠真もその言葉くらいは知っていた。
だが。
知っていることと、自分で判断できることは別の問題だった。
豪が続けた。
――下手に閉めれば、今一つ破裂したのを三つに増やすことになりかねません。
災害対策本部にしばし沈黙が流れた。
悠真は目の前のシステムを見つめた。
都市スキャン。
危険箇所。
圧力低下。
影響人口。
膨大な情報が見えていた。
だが。
直す方法はなかった。
悠真は訊いた。
「では、どうすればいいんですか」
豪がしばらく悠真を見た。
さっきより表情が少し変わっていた。
――西部系統とつながっている緊急連携管があります。
「それを使えば」
――西部から水を一部融通してもらいながら、東部の圧力を先に下げます。
豪が図面を指した。
――E-22を少しずつ閉めて、分岐管二か所を先に遮断します。圧力が下がったところで、最後にE-17をゆっくり閉めます。
「それで四万人の断水は防げますか」
――完全には難しいです。
「どれくらい」
――一部地域は水圧が落ちます。高台では断水が起きるかもしれません。
「それでも四万人全体が止まるよりはましだと?」
――はるかにましです。
悠真はもう一度訊いた。
「できますか」
豪が答えた。
――この仕事、十一年やってます。
一瞬の沈黙。
――水道管については、市長より私の方が詳しいです。
何人かの職員がちらりと悠真の顔色をうかがった。
かなり無礼な言葉だった。
だが。
間違ってもいなかった。
悠真が言った。
「わかりました」
豪が少し驚いた表情を見せた。
「中村班長」
――はい。
「班長のやり方でお願いします」
――……よろしいんですか。
「その代わり」
悠真が画面を見つめた。
「必要なことがあれば、すぐに言ってください」
豪はしばらく悠真を見つめてから、うなずいた。
――わかりました。
作業が始まった。
西部緊急連携管開放。
東部ポンプ吐出圧調整。
分岐管順次遮断。
E-22バルブ操作。
悠真は災害対策本部で数字を見つめた。
東部給水圧
61%
↓
57%
↓
54%
「これだけ下がって大丈夫なんですか」
施設担当者が答えた。
「計画通りです。まず漏水量を減らしているところです」
悠真は黙ってうなずいた。
しばらくして。
豪からの無線が入った。
――E-22、30パーセント閉鎖。
「圧力は安定しています」
――E-22、50パーセント。
画面の漏水量が減り始めた。
予想漏水量
毎分4,200L
↓
3,100L
↓
2,400L
悠真の目が見開かれた。
いける。
「E-17は」
施設担当者が言った。
「まだです」
悠真はそれ以上急かさなかった。
少し前までなら、すぐに閉めろと言っていただろう。
今回は待った。
豪が現場を見ている。
数分後。
――西部連携供給、安定確認。
――東部高台、水圧低下始まりました。
災害対策本部の別の場所から報告が入った。
「東部7区域の一部地域で水圧低下の苦情が発生中です」
悠真が訊いた。
「現在の完全断水は」
「約1,800世帯です」
数千人。
小さな数字ではなかった。
だが四万人全体が止まるよりはよかった。
悠真は言った。
「給水車を準備してください。高台から配置します」
「はい」
そしてついに。
豪の声が聞こえた。
――E-17、操作開始します。
悠真の視線が地図に固定された。
10パーセント。
20パーセント。
30パーセント。
バルブがゆっくり閉じていく。
何も起こらなかった。
50パーセント。
70パーセント。
悠真は自分でも気づかないうちに息を止めていた。
90パーセント。
そして。
――完全閉鎖。
水道管の圧力グラフが揺れた。
しばらくして安定した。
漏水量が急激に落ちた。
毎分2,400L
↓
870L
↓
120L
↓
隔離完了
災害対策本部のあちこちで安堵の息が漏れた。
悠真の前のシステムも変化した。
東部第2幹線水道管
状態:緊急 → 隔離
緊急危険地点
44 → 43
また一つ減った。
悠真は今回、大きく喜ばなかった。
代わりに画面の中の豪を見つめた。
「中村班長」
――はい。
「ありがとうございます」
豪がしばらく黙っていた。
――自分の仕事をしただけです。
「それと、さっき命令を拒否したことも」
豪の顔が少しこわばった。
――それは……。
「よくやってくれました」
今度は豪が本当に何も言えなくなった。
悠真が言った。
「私が間違っていたら、これからも言ってください」
――……市長。
「はい」
――自分、口調が少しきついので。
悠真が思わず笑った。
「それは私も知っています」
災害対策本部に小さな笑いが広がった。
悠真の視界の片隅に小さなメッセージが現れた。
【都市運営経験を獲得しました。】
すべての問題を自分で解決する必要はありません。
悠真はその一文をしばらく見つめた。
ゲームでは自分一人で都市を運営していた。
道路も。
電力も。
水道も。
税金も。
すべて自分が決めていた。
だがここでは違った。
電気に詳しい人がいた。
水道に詳しい人がいた。
病院に詳しい人がいた。
おそらく自分より都市を知っている人間は他にも大勢いる。
悠真は初めて考えた。
(自分が答えを見つけるんじゃなく。)
(答えを知っている人間を見つけるのも、市長の仕事なのか。)
そのとき豪がまた言った。
――市長。
「はい?」
――一つ確認していただきたいことがあります。
悠真の眉間が狭まった。
最近はその言葉を聞くだけで不安になった。
「何ですか」
――この水道管のことです。
「はい」
――本来は更新予定でした。
悠真が止まった。
「いつですか」
――半年前です。
災害対策本部が少し静かになった。
悠真がゆっくり訊いた。
「それなのに、なぜ更新しなかったんですか」
豪は答えなかった。
代わりに画面に資料が一枚映し出された。
東部第2幹線老朽管緊急更新事業
悠真は文書を読んだ。
施設の老朽度。
漏水リスク。
更新の必要性。
すべて書かれていた。
一番下。
赤い文字が目に入った。
事業保留
理由:
大規模開発事業の財源確保に伴う予算調整
悠真の手が止まった。
「大規模開発事業?」
施設担当者が困った顔で言った。
「……国際空港です」
悠真は何も言えなかった。
次のページに、当時の予算調整の内容があった。
上水道老朽施設改善予算削減。
道路維持補修予算削減。
公共施設補修予算削減。
そして。
そうして作られた金の行き先。
アルカディア国際空港建設事業。
悠真の頭の中に、ある記憶がよみがえった。
六か月前。
パソコンの前に座っていた自分。
空港建設費が足りなかった。
だから。
維持補修予算を削った。
ゲームでは大した迷いもなかった。
故障確率が少し上がるだけだった。
数年持ちこたえれば、また予算を増やせばいいと思っていた。
マウスを動かした。
そしてクリックした。
予算削減。
それだけだった。
悠真はゆっくり画面を見つめた。
今日破裂した水道管。
故障した発電所。
止まった病院機器。
赤い点、四十三個。
もしかすると。
すべて突然起きた問題ではなかったのかもしれない。
結衣が静かに言った。
「市長」
悠真は答えなかった。
窓の外、遠く。
自分があれほど欲しがっていた国際空港の管制塔が見えた。
ゲームでは。
空港ひとつを建てるために、数字を少し減らしただけだった。
だがここでは。
その数字のひとつひとつが。
都市のどこかを腐らせていた。
悠真は初めて、きちんと理解した。
アルカディアを壊した人間は。
誰かではなかった。
自分だった。




