給料を払えない市長
緊急財政警告
給与支払日まで
5日22時間
現在の不足額
720,000,000 C
【給与支払い失敗時】
行政機能の低下
公共サービス停止リスクの増加
職員信頼度の急落
ストライキリスクの上昇
そして。
都市鉄道
運行停止リスク:HIGH
黒瀬悠真は画面をしばらく見つめた。
7億2,000万クレジット。
数字が大きすぎて、むしろ感覚がなかった。
少し前までは2,000万クレジットを何に使うか悩んでいた。
なのに今度はその金額を36回集めても足りなかった。
「都市鉄道が止まったら、どうなるんですか」
結衣が答えた。
「平日基準で1日の利用客が約21万人です」
「アルカディアの人口は18万人ですよね?」
「乗り換えや往復利用も含めた数字です。市外から通勤してくる人もいますし」
悠真はうなずいた。
「バスで代替したら?」
財政局長が答えた。
「不可能です」
「全部でなくても——」
「保有するバスを全部投入しても輸送量が足りません。道路まで麻痺します」
電車が止まる。
通勤ができない。
工場の稼働が遅れる。
店の従業員が出勤できない。
病院の職員も遅れる。
企業の被害。
市民の不満。
税収の減少。
悠真の頭の中で問題が連鎖していった。
ゲームだったら。
交通需要グラフが赤くなって終わりだった。
現実では。
一つが止まると他のものも連動して止まった。
「労組が要求しているのは、正確には何ですか」
結衣が通話内容を確認した。
「今回の給与を正常に支払ってほしいというものです」
「追加の昇給や手当は?」
「ありません」
悠真の顔が少し硬くなった。
つまり。
働いた分の金を払ってくれというだけだった。
「これまでにも遅れたことはあるんですか」
一瞬の沈黙。
結衣が答えた。
「先月、夜勤手当の一部が遅延しました」
「……」
「2か月前にも一度、支払日が遅れています」
悠真は再びシステムを見た。
ストライキリスクの上昇。
ゲーム画面だけを見ると、労働者が都市を脅しているように感じられた。
だが実際には。
数か月間、給料がまともに入るか心配しながら働いている人たちだった。
「明日、労組代表に会います」
結衣が顔を上げた。
「直接会われるんですか」
「ええ」
財政局長が口を挟んだ。
「その前に方針を決めていただかないと」
「どんな方針ですか」
彼が給与支払表を画面に映した。
無数の項目が現れた。
給与および運営費支払予定
市庁一般職
施設管理人員
消防人員
公共医療支援人員
都市鉄道運営人員
環境美化人員
上下水道現場人員
その他公共機関
総必要額。
768,000,000 C
現在の給与支払可能資金。
48,000,000 C
不足額。
720,000,000 C
悠真は目をこすった。
「48万じゃなくて4,800万ですよね」
「はい」
「それじゃ……」
計算した。
約6パーセント。
「全員に6パーセントずつ払ったら?」
財政局長の表情が微妙になった。
「給与の6パーセント、ということですか」
「……言ってみて、余計に変な感じがします」
1か月働いて月給の6パーセント。
何の意味もなかった。
「一部だけ先に全額支払うのは?」
「可能です」
「じゃあ必須人員から——」
悠真は言いかけて止まった。
消防士。
病院職員。
上水道職員。
鉄道職員。
みんな必須のように見えた。
だとしたら。
誰が必須ではないのか。
市庁で市民対応をする人?
ごみを収集する人?
道路を管理する人?
悠真は聞いた。
「必須人員の基準はあるんですか」
「あります」
「何人になりますか」
資料が再び整理された。
災害・消防。
上下水道。
電力関連支援。
必須医療。
交通安全。
最小限の行政人員。
そして金額。
約3億1,000万C
悠真は乾いた笑いが出た。
「それも払えないんですね」
「はい」
保有資金は4,800万。
必須人員だけに払っても、6倍以上足りなかった。
悠真は椅子に背を預けた。
病院では必要な部品を探せばよかった。
水道の問題は現場の専門家の判断に従えばよかった。
今回は専門家に聞いても。
ない金が生まれるわけではなかった。
そのとき、システムが現れた。
給与支払対応案
A. 全職員の給与支払延期
現金保存効果:非常に高い
職員信頼度:大幅下落
ストライキリスク:非常に高い
B. 必須人員優先支払
都市機能維持効果:高い
内部対立リスク:高い
必要資金:不足
C. 全職員に一部支払
公平性:高い
生計安定効果:非常に低い
必要資金:不足
D. 緊急借入
現在の信用状態では実行不可
悠真は最後の項目を押した。
【実行できません】
都市信用格付けが基準に達していません。
「借入もダメなのか」
財政局長が悠真を見た。
「市長?」
「いえ」
悠真はシステム画面をにらんだ。
4つの選択肢。
なのに。
実際に選べる選択肢が一つもなかった。
「これ、選択肢って言えるのか」
小さくつぶやいた。
*
翌朝。
市長室前の廊下から、様子がおかしかった。
職員たちは悠真を見ると挨拶をした。
だが以前とは違った。
目が合うとすぐにそらす。
二人ずつ集まって話していたが、悠真が通ると声が小さくなった。
悠真はその理由を知っていた。
給与問題。
まだ公式発表もしていないのに、噂はすでに広まっているようだった。
エレベーターを待っていると、後ろで小さな声が聞こえた。
「今回も遅れるらしいよ」
「本当に?」
「人事のほうから話が出たって」
「今月のローンの利息、どうしよう……」
悠真の手が止まった。
後ろを振り返らなかった。
エレベーターの扉が開いた。
悠真と結衣が中に入った。
扉が閉まった。
悠真が聞いた。
「結衣さんも給料もらえないかもしれないんですよね」
「はい」
あまりに淡々とした答えだった。
「大丈夫なんですか」
「大丈夫じゃないです」
悠真は彼女を見た。
結衣は正面だけを見ていた。
「私にも生活費が必要です」
「……そうですよね」
「給料をもらうために働いているんです」
あまりにも当然な言葉だった。
なのに悠真は、その当然の事実を少し忘れていた。
市長秘書。
財政局職員。
消防士。
鉄道運転士。
ゲームでは全部維持費だった。
毎月自動的に引かれていく数字。
だが今は。
誰かの家賃であり。
誰かの食費であり。
誰かの家族の生活費だった。
悠真が聞いた。
「給料が出なかったら、辞めますか」
結衣が彼を見た。
「なぜそれを聞くんですか」
「ただ、気になって」
結衣は少し考えた。
「一度くらいなら耐えられるかもしれません」
悠真がわずかに安心しかけた瞬間。
「二度目は、私にもわかりません」
エレベーターが到着した。
扉が開いた。
結衣が先に歩き出した。
悠真は少しそのまま立っていた。
システムが浮かんだ。
白石結衣
信頼:21
好感:3
警戒:75
数字は変わっていなかった。
だが。
初めて悠真は、好感度ではなく別のことを考えた。
(給料を払わなければ、この人も去るんだな)
当然だった。
自分の秘書だからといって。
NPCのように永遠に隣にいるわけではなかった。
*
午前10時。
都市鉄道労働組合の代表3人が市長室に入ってきた。
結衣が真ん中に座った男性を紹介した。
「アルカディア都市鉄道労働組合の高橋均組合長です」
悠真は席から立ち上がった。
「高橋組合長」
高橋組合長は軽く頭を下げたが、握手は求めなかった。
すぐに席についた。
悠真も向かいに座った。
「お越しいただき、ありがとうございます」
「市長が会いたいと言うから来ました」
第一声から空気が良くなかった。
悠真は率直に切り出した。
「給与問題のことだと承知しています」
高橋組合長が一枚の資料を取り出した。
「先月の夜勤手当の一部が、まだ入っていません」
「知っています」
「2か月前は給料が3日遅れました」
「それも聞いています」
「今回は全く払えないかもしれないという噂が流れています」
悠真は一瞬沈黙した。
否定できなかった。
高橋組合長が聞いた。
「本当ですか」
「……はい」
隣に座った組合幹部たちの表情が硬くなった。
一方の高橋組合長は落ち着いていた。
「どれくらい遅れますか」
「まだわかりません」
「1週間?」
「保証できません」
「1か月?」
悠真は答えられなかった。
高橋組合長が悠真を見た。
「市長」
「はい」
「私たちが電車を止めたくてこうしていると思いますか」
「いえ」
「運転士も家賃を払っています」
「知っています」
「保守員も子どもの学費を払っています」
「……」
「駅員も生活のために働いています」
悠真の頭に、あの食料品店主の言葉が浮かんだ。
私には数字ではありません。
高橋組合長が続けた。
「市が苦しいという話を、何か月も聞いてきました」
「申し訳ありません」
「申し訳ないという言葉も、何か月も聞いてきました」
悠真の言葉が止まった。
高橋組合長は声を荒げなかった。
むしろそれがより重かった。
「今回も給料が入らなければ、全組合員投票にかけます」
「ストライキを、ですか」
「はい」
「電車が止まれば市民が被害を受けます」
高橋組合長の表情が初めて変わった。
「では私たちはどうなんですか」
悠真は口を閉じた。
「私たちが被害を受けてもいいんですか」
「そういう意味ではありません」
「では誰に我慢してもらうつもりですか」
悠真は答えられなかった。
それが今、自分が解決すべき問題だった。
誰に。
待ってくれと言うのか。
誰に。
今月だけ我慢してくれと言うのか。
高橋組合長が席を立った。
「支払日までに、正常給与支払計画を持ってきてください」
悠真が聞いた。
「持ってこられなかったら?」
「組合員が決めます」
高橋組合長がドアのほうへ歩いた。
そして立ち止まった。
「一つだけ言っておきます」
悠真が彼を見た。
「私たちも、この都市を潰したいわけではありません」
一瞬の沈黙。
「ここで暮らしている人間ですから」
ドアが閉まった。
*
悠真はしばらく空いた椅子を見つめた。
敵ではなかった。
労組も。
市庁職員も。
鉄道職員も。
誰も都市を潰したいわけではなかった。
ただ。
みんな自分の生活があった。
「結衣さん」
「はい」
「給料を払わずに働いてほしいと言うのは」
悠真が苦く笑った。
「ゲームでだけ可能なことだったんですね」
結衣は答えなかった。
そのとき財政局長が再び入ってきた。
最近はあの顔を見るだけで胸が苦しくなった。
「市長」
「金、見つかりましたか」
「いえ」
「そうだと思いました」
財政局長が厚い資料を机に置いた。
「給与支払いのために削減可能な支出を全部もう一度出しました」
悠真が資料をめくった。
広報費。
イベント費。
出張費。
一部の研究委託事業。
市長室運営費。
各種業務推進費。
悠真の目が止まった。
「これを全部なくしたら?」
「約4,100万クレジットです」
悠真の顔が硬くなった。
不足額。
7億2,000万。
節約できる金額。
4,100万。
6パーセントにも届かなかった。
「こんなに削っても、これだけなんですか」
「はい」
悠真は資料をめくり続けた。
そして、ある項目で手を止めた。
市長報酬および市長室関連予算
市長月給
2,800,000 C
市長業務推進費
市長室運営費
公用車維持費
その他
悠真は数字を見つめた。
市長の月給。
280万クレジット。
「……」
これをもらわなければ?
280万。
7億2,000万のうち。
280万。
悠真は虚しく笑った。
「ゲームなら、これでも削れば何かになる気がしたのに」
財政局長が聞いた。
「何ですか」
「いえ」
悠真は再び数字を見た。
効果はほとんどない。
自分の給料を全て放棄しても。
都市は生き返らない。
だが。
悠真の手はその項目から離れなかった。
結衣が聞いた。
「何を考えているんですか」
悠真が言った。
「他の人の給料を払えないと言わなければならないのに」
彼が自分の給与項目を見つめた。
「自分だけ先にもらうわけにはいかないでしょう」
結衣の表情が少し変わった。
財政局長がすぐに言った。
「市長、その金をなくしても財政にはほとんど影響ありません」
「わかっています」
「象徴的な措置にしかなりません」
悠真がうなずいた。
「それもわかっています」
そしてペンを取った。
市長月給。
その数字の上に線を引いた。
2,800,000 C
→
0 C
悠真が言った。
「まずここから始めましょう」
財政局長がため息をついた。
「市長」
「はい」
「申し上げましたが」
彼が悠真をまっすぐ見た。
「これで解決することは何もありません」
悠真はペンを置いた。
「だから」
窓の外の都市を見つめた。
「今度は本当に金を探さないと」
その瞬間。
システムが静かに現れた。
市長給与
2,800,000 C → 0 C
財政危機改善効果
0.39%
悠真の口の端が固まった。
「……本当に無意味だな」
だが次の文章が続いた。
市民にまだ公開されていない決定です。
効果を評価できません。
悠真はその文章をしばらく見つめた。
見せるためにやったことではなかった。
だとしたら。
わざわざ知らせる必要もなかった。
そのとき財政局長が言った。
「市長」
「はい」
「もう一つあります」
悠真が顔を上げた。
「今度は何ですか」
財政局長が新しい資料を取り出した。
表紙には一行が書かれていた。
アルカディア市保有資産現況
彼が言った。
「金がないなら」
悠真の視線が資料に向かった。
「持っているものを売らないと」




