補償する金がない
都市流動性危機
予想される最初の支払不能まで
6日14時間
黒瀬悠真は目の前の数字をしばらく見つめた。
6日。
14時間。
発電所爆発のときは42分だった。
あのときは時間が短すぎて怖かった。
だが今回は逆だった。
6日も残っているのに。
もっと途方に暮れた。
病院は故障した部品を見つければよかった。
水道管はバルブを閉めればよかった。
だが。
金がないというのは、何を直せばいいのかさえわからなかった。
悠真が訊いた。
「正確にいくら足りないんですか」
財政担当者が資料を広げた。
「何を基準に見るかによって変わります」
「どういうことですか」
「来週必ず支払わなければならない分だけ計算すると、約11億4000万クレジットです」
悠真の表情がこわばった。
「11億?」
「はい」
「うちにある金は」
一瞬の沈黙。
「即時使用可能な現金は約6800万クレジットです」
悠真は再び訊いた。
「さっきは実質ゼロだと言いませんでしたか」
「都市の規模を考えれば、6800万は実質ゼロです」
「……」
間違ってはいなかった。
必要な金。
11億4000万。
保有現金。
6800万。
悠真は計算した。
不足額は10億を超えていた。
だがそれも。
「被害補償金は含まれていないんですよね」
「はい」
「発電所復旧費は」
「緊急分のみ含めています」
「水道管は」
「まだ被害規模が確定していません」
悠真はゆっくりと額を押さえた。
計算するほど金額が膨らんだ。
ゲームでは財政の数字がマイナスになると赤で表示された。
それだけだった。
だが現実では。
そのマイナスの中に給料があった。
病院の運営費があった。
消防士の手当があった。
電車を動かす電気代があった。
そして。
昨日被害を受けた人たちへの補償金もあった。
悠真が訊いた。
「今すぐ払わなくていい金から後回しにすれば」
財政担当者が待っていたように資料をひとつ表示した。
「現在可能な支払い猶予項目です」
支払調整可能項目
公共施設維持管理費
都市開発事業費
民間委託代金の一部
補助金の一部
停電被害補償金
悠真の目が最後の項目で止まった。
「被害補償金」
「はい」
「これを後回しにすると、どれくらい確保できますか」
「まだ補償額自体が確定していませんが、当面の現金流出は防げます」
「他には」
「維持管理費をさらに削れば約1億3000万」
悠真は即座に首を振った。
「それは駄目です」
財政担当者が一瞬止まった。
「市長?」
悠真は窓の外を見つめた。
赤い点。
43個。
そのうちいくつが、過去に自分が維持管理予算を削って生まれた問題なのかわからない。
「維持管理費はこれ以上触りません」
「それでは選択肢がさらに減ります」
「わかっています」
「都市開発事業もほとんどすでに契約が締結されています」
「では残るのは」
財政担当者は答えなかった。
悠真が画面を再び見た。
停電被害補償金。
「……結局これですね」
その日の午後。
緊急財政会議が開かれた。
長い会議テーブルを囲んで財政局。
産業局。
福祉局。
施設局。
広報室の関係者が座っていた。
悠真は彼らの顔をひとりずつ見た。
いい顔をしている者は一人もいなかった。
財政局長が言った。
「現状では、被害補償の受付を一時中断するのが最も現実的です」
悠真が訊いた。
「受付を中断するんですか」
「正確には、補償基準が確定するまで審査を保留するということです」
産業局長が言葉を継いだ。
「企業側の補償要求も同様です。市が先に責任を認めれば、規模が手に負えなくなります」
広報室長もうなずいた。
「昨日の記者会見で市長が責任をお認めになったので、なおさら慎重にならなければなりません」
悠真の視線が動いた。
「私が謝罪したせいで、事態が大きくなったということですか」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙が答えだった。
悠真は苦く笑った。
「そういうことですか」
財政局長が慎重に言った。
「市長が間違っていたという意味ではありません」
「大丈夫です」
「ただ」
彼はしばらく言葉を選んだ。
「謝罪には金がかかります」
悠真は彼を見た。
不思議と記憶に残る言葉だった。
「責任を認めれば、そのあと人々は実際の責任を要求します」
当然の話だった。
だがゲームでは考えたこともなかった。
市民満足度が下がれば政策を変える。
補償イベントが発生すればボタンを押す。
金が足りなければ借りる。
それだけだった。
悠真が訊いた。
「補償しなかったらどうなりますか」
広報室長が答えた。
「法的に確定した責任でなければ、時間を稼ぐことはできます」
「市民の反応は」
「良いはずがありません」
システムが待っていたかのように小さなウィンドウを表示した。
政策予測
被害補償を即時推進
財政リスク:非常に高い
市民信頼:上昇の可能性
支払不能リスク:上昇
被害補償を全面保留
財政リスク:低い
市民信頼:下落の可能性
法的紛争リスク:上昇
一部先払い後審査
財政リスク:高い
市民信頼:小幅上昇の可能性
行政負担:高い
悠真はしばらくウィンドウを見つめた。
今回も正解はなかった。
金を出せば都市が危険になり。
出さなければ人々が背を向ける。
そのとき産業局長が言った。
「市長」
「はい」
「現在の市財政では、被害者全員を救済することはできません」
悠真は口をつぐんだ。
またその言葉だった。
全員は救えない。
発電所でもそうだった。
病院と水道の間でもそうだった。
今度は金だった。
悠真が訊いた。
「最も被害の大きい人たちは誰ですか」
財政局長が資料をめくった。
「企業は被害額自体が大きいです」
「企業以外で」
「小規模事業者と低所得世帯の一部が、当面の生活問題を抱える可能性があります」
「その人たちから先に支給できませんか」
会議室が静まった。
福祉局の担当者が初めて口を開いた。
「緊急生計支援という形なら可能かもしれません」
悠真が彼女を見た。
「補償金ではなく?」
「はい。被害額全体を賠償するのではなく、停電のため当面生活が苦しくなった世帯に、最低限の生活費を先に支給する方式です」
「いくら必要ですか」
「対象基準によって変わります」
悠真が小さく笑った。
もうその言葉にも慣れていた。
「計算してください」
「はい」
財政局長が割り込んだ。
「市長、それも金です」
「わかっています」
「今は1クレジットも惜しまなければなりません」
悠真は彼を見た。
「では、被害のせいで今すぐ店を閉めなければならない人はどうなりますか」
「……」
「都市が破産しかねないからといって、個人が先に破産してもいいんですか」
財政局長は答えられなかった。
悠真もわかっていた。
感情だけで決められる問題ではなかった。
一人を助ける金が。
別の誰かの給料かもしれなかった。
悠真はしばらく目を閉じた。
「全額補償はできません」
人々が彼を見た。
「そんな金もありませんし」
悠真が言葉を続けた。
「代わりに、今すぐ持ちこたえられない人から支援します」
財政局長が訊いた。
「上限を決めなければなりません」
「決めてください」
「いくらまで許容されますか」
悠真はすぐには答えなかった。
システムを見た。
保有現金。
6800万。
来週の不足資金。
10億以上。
どの数字を入れても大きくは変わらなかった。
「2000万」
何人かが驚いた。
「2000万クレジットでですか」
「全部解決しようというのではありません」
悠真が言った。
「今日、店を閉めなければならない人に、明日まで持ちこたえる金だけ渡しましょう」
福祉局の担当者が素早くメモした。
「基準を作ってみます」
システムが現れた。
緊急被害生計支援
最大予算:20,000,000 C
想定対象:算定中
そして。
保有可能現金。
68,000,000 C → 48,000,000 C
悠真は数字が減っていくのを見つめた。
気分が良くなかった。
だが取り消さなかった。
会議が終わったあと。
結衣と二人だけになった。
悠真は椅子にもたれて天井を見つめた。
「結衣さん」
「はい」
「市長というのは、元々こういうものですか」
「どういう意味ですか」
「何を選んでも金がなくなっていく気がするんですが」
結衣がしばらく考えた。
「元々、金はなくなるものです」
悠真が彼女を見た。
「まったく慰めになりませんね」
「事実を申し上げました」
「わかりました」
悠真は小さく笑った。
システムは現れなかった。
最近は結衣と話すたびに、数字が動くかどうかを先に待っている自分が少し情けなくなった。
それでも。
こっそり見た。
白石結衣
信頼:21
好感:3
警戒:75
変化なし。
(本当に上がらないな)
結衣が訊いた。
「また何をご覧になっているんですか」
「何でもありません」
「最近、私を見ながらよくぼんやりされています」
悠真がびくりとした。
「そうですか」
「はい」
「……気をつけます」
結衣がしばらく彼を見た。
好感 3 → 4
悠真の目が見開かれた。
(なぜだ)
本当に理由がわからない。
そしてすぐに。
好感 4 → 3
(何なんだ)
悠真の表情がこわばった。
結衣が訊いた。
「なぜ急にそんな顔を」
「本当に何でもありません」
悠真は今、確信していた。
これは都市運営より難しい。
そのとき扉をノックする音が聞こえた。
財政局長が再び入ってきた。
「市長」
悠真は本能的に身構えた。
「今度は何ですか」
「人事局から連絡がありました」
彼が書類を一枚置いた。
悠真が読んだ。
アルカディア市給与支払予定表
支払日。
6日後。
対象。
市庁舎職員。
消防。
公共施設現場人員。
一部医療支援人員。
都市鉄道公社支援金。
一番下の総額。
悠真はゆっくりと顔を上げた。
「この金がないということですね」
財政局長がうなずいた。
「はい」
「どれくらい足りませんか」
「現在の見込みでは」
彼が答えた。
「約7億2000万クレジットです」
悠真は何も言えなかった。
7億2000万。
少し前。
2000万クレジットをどう使うかで、あれほど悩んだ。
だが必要な金は。
その数十倍多かった。
悠真の目の前にシステムが現れた。
緊急財政警告
給与支払日まで
5日22時間
現在の不足額
720,000,000 C
そして新しい文章が現れた。
【給与支払失敗時】
行政機能低下
公共サービス中断リスク上昇
職員信頼度急落
ストライキリスク上昇
悠真は最後の項目で視線が止まった。
ストライキ。
その瞬間。
結衣の携帯電話が鳴った。
電話を受けた彼女の表情が、少しずつこわばっていった。
「はい」
「……わかりました」
電話を切った。
悠真が訊いた。
「何かありましたか」
結衣が彼を見た。
「都市鉄道労働組合です」
「なぜですか」
一瞬の沈黙。
「賃金支払いがまた遅れれば」
結衣が言った。
「全面ストライキに入るそうです」
悠真の目の前で、新しい警告が赤く光った。
【都市機能異常検知】
都市鉄道
運行中断リスク:HIGH
悠真はゆっくりと椅子の背にもたれた。
電気は戻った。
水道も救った。
病院も持ちこたえた。
だが都市を動かす人々に。
払う給料がなかった。




