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白亜の城壁は十メートルほどもある。
転落すればただでは済まないであろう高さであるが、ブリュンヒルトは僅かな躊躇もなく石畳を蹴った。
跳躍。
重力に引かれるままに、白銀が眼下の魔物の群れへと落下していく——。
凄まじい轟音が戦場を揺らす。
カナタを抱いていた時の、羽が舞うような着地ではない。それは明確な破壊を伴う墜落。
黒い津波が、弾けた。
落下地点に群がっていた多くの屍狼は、悲鳴を上げながら吹き飛び、凄まじい衝撃と共に後方の群れを巻き込んでいく。ボロ布のように宙を舞う魔物たちのあとには、ぽっかりとクレーターのような空白地帯が生まれた。
その中心で、もうもうと立ち込める土煙が晴れていく。
ブリュンヒルトは巨大な大盾をクッションにして、墜落の衝撃を完全に殺していた。
役目を終えたかのように光の粒子となって消えていく盾を見届けることなく、彼女は右手に握った大剣をゆったりと構え直した。
勇壮にして美麗。
白銀の騎士はたった一人での突撃を開始する。捨て身の攻撃、などではなかった。
そこから始まったのは一方的な戦闘——いや、蹂躙だった。
魔物の群れが状況を理解する前に斬り込むと、大剣を振り抜く。
空気を切り裂く轟音が響き、ただの一振りで夥しい数の肉塊が生まれていく。
「敵」を認識した骸骨兵たちが槍衾を成し圧殺せんとするのを、出鼻を挫くように肉薄すると、その骨を両断し、叩き潰す。
鋼のような肉体で組み付こうとしているのは、大きな猿の魔物『エイプ』。死角からの攻撃に、視線を向けることもなく僅かに身体を逸らすと、エイプは大きな「スカ」をくらう。体勢が崩れたところへ、流れるように足払い。巨体がその勢いのままごろごろと転がり、周りの屍狼たちも巻き込んでいった。
圧倒的な膂力だけではない、凄まじい技量をも感じさせる戦いぶり。
「グガアアァァァッ!」
魔物の海を押し分けるようにして、巨大なオーガが進み出てくる。
城壁前で倒した個体よりも一回りは大きく、丸太のような棍棒を振りかざし、ブリュンヒルトの頭上へと叩き落とす。
堅い城門すら一撃で破壊できそうな質量攻撃に対し、彼女は左手に光を纏うと一瞬で大盾を顕現させた。
激しい衝撃。彼女はオーガの渾身の一撃をその盾で受け止め——否、かち上げた。
「ガ、ァ……ッ!?」
物理法則に合わない現象。子猫に倒される象のような唖然とした顔で、後ろへと倒れていくオーガの巨体。
その無防備な腹へとブリュンヒルトは猛然と踏み込み、追撃する。
炸裂する、渾身のシールドバッシュ。
空気を叩き割るような衝撃音と共に、五メートルはある巨体がまるで砲弾のように弾き飛ばされたのだ。
そうして吹き飛んだオーガの巨躯は、背後に密集していた数百の魔物の群れをボウリングのピンのようになぎ倒し、押しつぶしていった。
もはや恐慌状態だった。
たった一人の白銀の騎士を相手に、魔物の海が悲鳴を上げて逃げ惑っている。味方を突き飛ばし、踏み潰し、我先にと白亜の城から遠ざかっていく。
土埃と悲鳴が入り混じる戦場で、ただブリュンヒルトだけが、返り血の一滴も浴びることなく静かに残されたのだった。
こうして彼女の掃除は終わった。
———
眼下で繰り広げられる戦いに、俺は目を奪われていた。
(これが、あの『ブリュンヒルト』なのか)
彼女の戦いを見るのは初めてではない。屍狼との戦いや、城壁前の突破劇。
「現実」に見たのはこれくらいのもので、どちらも何が何やらわからぬまま、気がつけば全てが終わっていた。
ゆえに、冷静に観察できたのはこれが最初だった。
素人の俺が見ても分かる、彼女の圧倒的な実力。
背後から襲われそうになったときには思わず声が出たが、こうして大剣を振るうたびに敵が吹き飛び、足を進めるたびに魔物の海が開かれていく様をみていると戦いと言っていいのかさえ怪しく感じられた。
「はは、ありゃ人間業じゃねぇな……」
隣で同じように固まっていたバルガスが、乾いた声を漏らす。
「同じことが出来るやつは、まあ俺も何人か知ってはいるさ。魔法で吹き飛ばしたり、あるいは力任せに薙ぎ払ったりな。だが……あの騎士様は違う。凄まじいのは「技」だな。無駄な動きが一つもねぇ」
「無駄がない……?」
「ん?ああ。あんな規格外の膂力がありゃぁ、いくらでも力任せに暴れられそうなもんだが……よく見てみろ。わざと敵の勢いや倒れる体を利用して、自分の力を極力使わないように被害を広げてるんだ。恐ろしく洗練された曲芸みたいなもんさ」
「そういう、もんか」
バルガスが感嘆する理由は、素人の俺にはあまりわからない。
だが、俺にも思うところはあった。
確かに彼女の動きは洗練されており、残酷なまでに美しく見える。
俺の最もよく知る『ブリュンヒルト』は『エターナルレジェンド』での彼女だ。
決められたプログラムにしたがって、特定の予備動作から固定のモーションを繰り返すだけの存在。平面の無機質な、冷たく数値化された戦闘力しか知らない。
それがどれだけ矮小な枠に落とし込まれていたものだったのか、目の前の彼女の「生きた」動きを見れば一目瞭然だった。
だが、だからこそ思う。
(通常攻撃しか、していない?)
ゲームの中のブリュンヒルトは、召喚獣でありながら豊富なスキルを用いて戦うキャラクターだった。広範囲スキルの光の刃や、衝撃波も用いたノックバックスキル。現状で有用なスキルはいくらでも思いつく。
もし、そういったスキルも「ゲーム」という仕様の中で再現されたものだとするなら、今の彼女は——。
(手加減をしている……?)
眼下で魔物を一方的に粉砕している白銀の背中からは、疲労も、あるいは手を抜いているような驕りも読み取れない。
魔物の海がみるみるうちに干上がっていく。
そのあとに残されるのは凄惨な殺戮の跡……。
やがて戦いの喧騒が静寂に変わった時、不意に視界の端で白銀の姿が揺れた。
城壁の高さなどものともしない跳躍。
ふわりと羽が舞うように着地をする彼女の鎧には、返り血一つも見えなかった。
大剣を光へ還しつつ、ブリュンヒルトは周囲を見回しながら静かに言う。
「お待たせいたしました。これで差し当たりの脅威は去ったと言うところでしょうか」
あれほどの戦場をこなした後だというのに、彼女の纏う雰囲気はひどく穏やかで、静謐ささえ感じるのだった。




