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一瞬の静寂の後、城壁の上に爆発的な歓声が沸き起こった。
「おおおおっ!」「すごいっ、本当にあの群れを……!」「助かった、助かったんだ……!」
張り詰めていた空気が一挙に弛緩していく。
武器を落としてへたり込む者や、隣の仲間と抱き合って泣き崩れる者もいた。
この場にいるのは経験の浅い兵士や冒険者ばかり。
そんな彼らが死の恐怖を目の前に戦い続け、解放されるやいなや安堵するのは仕方のないことなのかもしれない。
「馬鹿野郎ども、気ぃ抜いてんじゃ無ぇッ!」
バルガスが声を張り上げ、歓喜に沸く彼らを叱咤する。
「下回りの掃除が終わっただけだ!まだ街をぶっ壊した『本命』が雲の上にいるかもしれねぇんだ!負傷者の手当てと城門の補修を急げ!」
途端に緩んだ空気が引き締まり、慌ただしくそれぞれの持ち場へと散っていく。
やはりこの男は歴戦の冒険者なのだろう。自らをロートルなどと言ってはいるが、それだけ長く戦い続けてきた証でもある。
冒険者だけではなく、生き残った兵士たちの指揮をとっているのも納得だった。
彼らがいそいそと駆けていくのを見届けて、バルガスは深くため息をついて俺達へと向き直った。
「……すまねぇな。本当に助かった。あんたらがいなけりゃ、今頃どうなってたか、想像もしたくねぇ」
「お気になさらず。それよりも今は、今後のことを考えたほうがよろしいかと」
淡々と返すブリュンヒルト。バルガスは苦笑しつつ、顎をさすった。
「ああ、違ぇねぇ。……だが手札が少なすぎて、正直どうすればいいかわからん……。大量の避難民抱えて逃げられる場所もねぇから、結局はここに籠城だ」
バルガスは忌々しげに崩れ落ちた街を睨む。
「遠征してる奴らがいりゃ、この程度の敵、『凶星の灰竜』だろうがなんとでもなるのによぉ……。尖塔が崩れて連絡の手段がねぇ。帰ってくるまでに、今の戦力でどう防ぐか……」
「私もできることがあれば協力いたしましょう」
「ああ、頼り切りになるつもりはねぇが、もし奴が現れたときはよろしく頼む。今は飯でも食って休んでくれ。幸い非常時の備蓄物資だけは大量にあるからよ。嬢ちゃんをゆっくり休ませてやりな」
「そうさせてもらいましょう」
笑うバルガスに、ブリュンヒルトは軽く礼をすると俺のほうへと向かってくる。
俺は『天眼の琥珀』を杖に立ち上がるが、ふらりと、視界が傾く。
咄嗟に石壁に手をつく。足元から急激に血の気が引き、立っているのが億劫になるめまい。
異常事態の連続に麻痺していただけで、俺の精神はすっかり参ってしまっていた。
倒れ込みそうになる俺を、ブリュンヒルトが即座に俺の傍らに寄り、またしてもひょいと抱きかかえる。
「あ、ありがとう。自分で歩けるから……」
「色々ありましたからね。慣れぬことに疲れるのは当たり前のことです」
俺の言葉が聞き入れられることはなかった。
「頑張りましたね、カナタ」
その、ひどく穏やかで慈しむような声を聞いた瞬間だった。
無理やり保っていた何かが、ぷつりと音を立てて切れた。
目が覚めるとわけのわからない場所に放り出され、瓦礫の下敷きになったかと思えば、むせ返るような血の匂いと濃厚な死に晒され続けた一日。平和ボケした現代日本のゲーマーに耐えられるわけがないのだ。
みっともないと分かっているのに、視界がぐにゃりと歪む。
ポロポロと、自分の意思とは無関係に涙が頬を伝う。一度堰を切った感情は、しばらく止まることがなかった。
———
バルガスの厚意で、俺達は城内の比較的上等な部屋をあてがわれたようだった。
映像や漫画の世界でみる、豪華絢爛でこの世の贅を尽くしたような部屋——ではない。
木造りの家具に、足元には毛足の短い絨毯。大きくて清潔なベッドが置かれた、少し良い宿屋と言った風情の落ち着いた意匠の部屋だ。
先程までの戦場のイメージで、なんとなく石造りに直接簡易ベッドを置いたような冷たい空間を想像していたので、人心地つけそうな雰囲気にほっとした。
俺はその部屋の姿見の前に立っている。
そこに映っているのは、見慣れた冴えない男の姿ではない。
太陽を吸い込んだような琥珀色の肌に、燃えるような赤い髪は腰まで伸びている。
折れてしまいそうな華奢な手足に、服の上からでもはっきりとわかる、女性特有のやわらかな胸の膨らみ。潤いを湛えた金色の瞳が見ているのは「俺」。
例え情けない顔をしていたとしても微塵も衰えることのない、見る者を沈黙させる、圧倒的な造形の暴力がそこにある。
「……そう、だよな」
鏡の中の「彼女」は、あまりに現実だった。
もうほとんど確信していたことの確認作業。
「俺」は「彼女」なのだ。
「ブリュンヒルト……」
「なんでしょうか」
俺は問わずにはいられなかった。
「ここは、この世界は……『サルキア』なのか?」
彼女はまぶたを閉じ、わずかに間を置いてから答えてくれた。
「……私には記憶の欠落があります。この都市のことは知りませんし、セレアのことも自分自身のことも思い出せないことがある……。ですが、ここが『サルキア』と呼ばれていることは確かなはずです」
「そうか……」
夢や幻覚であってくれという願いは、鏡中の瞳に射すくめられて霧散した。
俺は『エターナルレジェンド』の舞台である世界『サルキア』にいるのだ。
なぜか、『セレア』の身体になって。
(受け入れよう。……受け入れるしか、ない)
嘆いたところで日本に帰れる保証なんてなく、こんなか弱い身体一つで途方にくれていたところで魔物に食われて死ぬだけだ。
幸い、俺は一人ではない。
よく知る世界、しかし何も知らない世界。そんな場所に孤独に放り出されたわけではないことは、間違いなく運が良い。
俺は両手でパンッと自分の頬を叩き、強引に思考を前へ向ける。
「なあブリュンヒルト、ここがゲームの世界だって話をさっきしただろう?」
「ええ、『えむえむおー』がどうとかいうお話でしたね」
「そこで俺はお前の戦いぶりを見ていたんだが、もっと色々な『スキル』を使って戦っていたんだ。さっきみたいな、剣と盾だけで敵に突っ込むような戦いはしていなかった。あれが本来の戦い方なのか?……それとも何か理由があったのか?」
ブリュンヒルトの瞳に、初めてわずかな驚きが見えた。
「何とも不思議な話ですが、確かにおっしゃる通りです。あのような戦い方は私の流儀ではありません」
「じゃあ、何故……」
先程の無双劇を見ていると、あえて本気を出す必要はなかったのかもしれない。しかし、ゲームでみたような広範囲の攻撃などを利用すれば、もっと楽に戦えたのではないだろうか。
俺の様子に何か合点がいった様子で、ブリュンヒルトは諭すように言葉を紡ぐ。
「カナタ、私はセレアとの契約によってこの世界に在ります。ですが今、セレアとの繋がりはひどくか細い……。流れてくる魔力の量がとても少ない状況なのです。この身を具現化するには十分なのですが、大掛かりな技となると、少々厳しいと言わざるをえません」
彼女の言葉に、俺は自責の念に駆られる。
つまり、彼女は俺という大きなハンデを背負って、あの凄惨な戦場を戦っていたのだ。
「お気になさることはありません。幸い、剣を振るう分には何の問題もないのです。私にも多少の心得がありますゆえ、あの程度の有象無象ならば草を刈るようなものです」
気落ちしている俺を慰めるように、ブリュンヒルトは優しく言いながら、またしても俺を持ち上げると、まるで大切な人形を扱うように膝の上へと降ろす。
俺はやっと理解した。
「そうか、やたらと俺を抱き上げたがるのは、少しでも魔力を補給しようと……」
違和感のある彼女の行動には意味があったのだ。
自分を守り、俺を守るための切実な防衛策。全てが繋がった俺は、彼女の期待に少しでも応えられるように身体を押し付けるのだった。
「……………はい」
やや間があって帰ってきたのは、短く、どこか含みのある肯定だった。




