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あの凄惨で過酷な戦場が嘘だったかのように、何事もなく夜になった。
俺はベッドに倒れ込むと、一日の疲労が決壊していく感覚とともに、一瞬で意識を手放した。
気がつけば朝になり、陽の光が眩しく部屋に差し込んでいた。
目の前の現実にまるで変化はない……。
ここが夢ではない落胆よりも、無事に生き残ったことを喜ぶべきなのだろう。
支給された硬いパンと水で簡素な朝食を済ませた後、俺は部屋の片隅で一つの実験を試みていた。
「んんんん……っ!」
「……」
俺はブリュンヒルトの背中に両手をぴたりと当て、顔を真赤にして力んでいた。
昨日の話を聞いて、なんとか俺から魔力とやらを送り込めないかと試行錯誤しているのだ。気合を入れたり、へその下あたりに意識を集中させたりしてみるが、体内で何かが動く感覚などはまるでない。
振り返ったブリュンヒルトは、ひどく困惑したような、あるいは微笑ましい子供の遊戯を見守るような、なんとも言えない顔をしていた。
「だ、だめか?なんかこう、腹の底からグッっと押し出すような感じでやってるんだが」
「カナタ、お気持ちは大変嬉しいのですが……魔力は魂に宿るといいますから、そのように力んだところで注ぎ込むのは難しいかと」
「魂……」
「ええ、それに今の私はおそらく、眠っているセレアの魂との繋がりで顕現している状態です。仮にカナタが魔力を扱えたとしても、果たして私へと流れるかどうか……」
つまり、素人が気合でどうにかできる問題ではないらしい。
「そ、そうか……」
俺が気を落としていると、彼女は両手をすっと差し出すと俺を抱き上げ、その胸へと収める。
「どうか、お気を落とさずに。こうしているだけで……ええ、なんだがひどく活力が満ちてくるような気がいたします」
「そ、そうか!」
真面目な顔で言う彼女の白々しい言葉に、俺は申し訳なくなりながらも、少し気恥ずかしい気持ちになる。
(彼女は、優しい。こんな嘘をついてまで俺を励まそうとしてくれる……)
——コンコン。
その時、木の扉を叩く音が室内に響いた。
「起きてるか、あんたら」
顔を出したのはバルガスだった。疲労の色が濃いが、相変わらずその鋭い眼光は死んでいない。
「バルガス殿、何か動きが?」
「いや、外の魔物どもはあれから鳴りを潜めてるし、『凶星の灰竜』も今のところは姿を見せねぇ。日が昇ってから各所の生き残った戦力が合流してな。今後の対策会議を開くんだが、あんたたちにも出てもらいたい」
「我々も、ですか」
「ああ、今の状況じゃあ、あんたの強さが切り札になるかもしれねぇ。連携を図るにも顔合わせだけでもしてくれるとありがてぇ」
バルガスの言葉に、ブリュンヒルトが俺を見ていう。
「カナタ、どうします?」
まさか話が振られると思ってなかった俺は、焦る。戦略や戦術のことなど、まるで素人なのだ。
今だって邪魔にならないように路傍の石になっていたというのに。
「良いんじゃないか?
「では、そのように」
—————
バルガスに案内されたのは、城の奥にある会議室だった。
冷たい石造りの壁に囲まれた部屋の中央には、大きな長机が置かれ、その上には広大な古都と周辺の地図が広げられている。
重苦しい空気で机を囲むのは幾人もの男女。
傷を負った軍の隊長風の男や、煤で汚れた法衣を着た神官らしき若い女。その他に何人かが激しく議論をしているようだが、ほぼ全員が戦火の匂いを漂わせている。
そして上座に座っているのは、白髪と白い髭を蓄えながらも、背筋を真っ直ぐにのばした威厳のある老人だった。深く刻まれた皺は年月を語っているが、強い意志を湛えた眼は重厚な覇気を感じさせていた。
部屋に入った瞬間、空気が張り詰めるのを感じた。
だがそれも一瞬のことで、俺達を見ると皆一様に唖然とした表情が浮かぶのを隠そうともしなかった。
ただ一人、上座の老人を除いて。
(やけに注目されているな。まあ、無理もないか)
バルガスも立派な体躯をもっているが、それよりも頭一つは長躯の白銀の騎士。美貌もさることながら、その優雅で威厳に満ちた威容に目を奪われないわけがなかった。
視線を浴びながら、バルガスに示された席へと向かうと、用意されていた椅子は二つ。ブリュンヒルトは流れるような動きで椅子を引くと、俺を座らせた。
そして、自らは当然のように俺の斜め後ろにピタリと直立して控える構えを取る。
「ブリュンヒルト?」
「私はここで良いのです」
彼女は静かにそう返し、すっと目を伏せる。
有無を言わせぬ振る舞いに困惑しつつも、俺は彼女の指示に大人しくしたがうのだった。
部屋の空気を断ち切るように、上座の老人が重々しく口を開いた。
「それでは、会議を始めるとしようかの」




