7 ※別視点
『古都ヴァルハスト』よりほど近い『嘆きの渓谷』において、魔物の異常発生の兆候ありとの報告が上がったのが二月ほど前のことだった。
『スタンピード』
時として国家を滅ぼすこともある自然災害であるが、多くの場合は冒険者や軍隊によって沈静化される。
しかし、調査が進むにつれ、今回のスタンピードが過去数十年に遡っても最大規模のものであることが判明した。そして、厄介なことにスタンピードは時が経つごとにその勢力を増していく特徴がある。
事態を重く見た『連合評議会』は異例の素早さで決断を下す。
「ヴァルハストは交易の拠点であるとともに、前線における兵站の要である。速やかに脅威を排除するべきである」
老獪なる評議会議員ウォルター・クロムウェルの議案は即座に可決され、評議会は古都に駐留する防衛軍の八割と高ランク冒険者の大半を招集し、『嘆きの渓谷』への大規模な討伐軍が組織される。
人類の英雄たる『六雄三賢』の一人『竜騎士』シルヴィア・ローゼンクロイツを筆頭に、多くの英傑が参加した討伐作戦はこうして始められた。
街の活気と色めき立つ群衆に見送られ、討伐軍が古都を出発した数日後。
それは、唐突に訪れた。
晴れ渡っていた古都の空を、突如として不気味な灰色の雲が覆っていく。
真昼だというのに、冷たい死の影が美しい白亜の街並みを飲み込み、やがて地鳴りのような唸り声をあげて無数の魔物が津波となって押し寄せてきたのだ。
強固な盾も、鋭い矛もない。
壮麗なる古都ヴァルハスト。そのあまりに無防備な腹に、悪意の牙が迫っていた。
————
かつて白亜の真珠とも呼ばれた城は、今や凄惨な戦場と化していた。
古都の外壁はとうに突破され、市街地の至るところから火の手が上がっている。
生き残った兵士や市民はこの王城へと押し込められ、辛うじて命を繋いでいる状態である。
「撃ち続けろ! 一匹たりとも侵入を許すなッ!」
城壁の上で、一人の男が血の滲むような声で指示を飛ばし続けていた。
「バルカスさん!矢が、もう矢が無くなりそうですっ!」
「慌てるな坊主!闇雲に撃つから無駄になる。狙うのは先頭の奴だけでいい!殺し切る必要はねぇ、転ばせれば後ろが勝手につっかえる!」
「は、はいっ!」
「魔法使いのヒヨッコどもも同じだ! 強い魔法なんていらねぇ、火の粉で目を焼くなり足元凍らせて滑らせて時間を稼げ!」
怒号のような指示が飛ぶが、その的確で実践的な指示は、経験の浅い新米冒険者や若い兵士たちの呼吸を不思議と落ち着かせるものだった。
男の名はバルガス。
長くこの街を拠点とするベテラン冒険者である。
本来ならば、一介の冒険者に過ぎない彼が指揮官の真似事をすることなどありえないのだが、守備隊の本隊が壊滅し守備隊長も戦死という非常事態にあっては仕方のないことだった。
バルガスが面倒見のいい親父として慕われているということを加味しても、引退間際の冒険者以外に適任がいないということは、切迫した状況を示している。
(なんとか持ちこたえてはいるが……、どれくらい耐えられるか……)
バルガスは眼下で蠢く魔物の波を睨みつけながら、重く息を吐く。
屍狼に骸骨兵といった下級の魔物に加えて、大木のような混紡を引きずるオーガまでもが押し寄せている。
死を恐れぬ無限の波状攻撃。
対するこちらは経験も実力も足りていない新米ばかり。矢も魔力もそして体力も、少しずつ確実に削られている。
今は均衡を保っているが、補給のあてもなく援軍も望めない今、ひとたび決壊すれば待っているのは容赦のない殺戮の嵐だろう。
(それにヤツがいつ戻ってくるかもわからねぇ……)
上空を覆う灰色の雲の向こうは、まるで見通すことができない。
完全なるジリ貧。
真綿で首を締められるような戦局に、バルガスは奥歯を強く噛み締めた。
「バルガス殿……!あ、あれを!」
不意に横にいた若い兵士が悲鳴のような声を上げた。
敵の新手か、とバルガスは舌打ちしたい気分を隠しながら視線を向ける。
炎上する大通りの奥に、黒く蠢く魔物の群れを文字通り蹴散らしながら向かってくる一つの影があった。
「なんだ、ありゃ。魔物……じゃねぇな。騎士……?」
バルガスは己の目を疑った。
ニメートルはあろうかという長躯の騎士が、白銀の鎧に身を包み、驚くべき速度で一直線に向かってくる。その進路を塞ぐ屍狼はボロ布のように吹き飛び、骸骨は粉々に砕け散っていく。まるでいつか聞いた物語の、巨人が泥の海をこともなげに突き進む姿を想い起こさせる光景。
しかも、片腕には誰かが抱えられているように見えた。片手塞がりの状態で、この死の海を渡っているというのか。
バルガスが戦慄している間にも、白銀の騎士の進撃は止まらない。
瞬く間に城門へと接近すると、まさに城門へ取り付こうとしていた山のような巨体を持つオーガの背後へと肉薄した。
「おいおい、嘘だろ……」
バルガスは息を呑んだ。
騎士は減速するどころかさらに速度を上げ、空高く跳躍したかと思うと、オーガの肩へと着地したのだ。
一閃。
それが騎士が片手で操る大剣の軌跡だと気づいたのは、振り切った騎士の姿勢を見たからだった。
分厚い岩のようなオーガの首が何の抵抗もなく宙を舞う。
倒れる巨体を踏み台に、まるで重力という概念が存在しないかのように、ふわりと白銀が城壁の上へと舞い降りた。
凄惨なこの戦場にあって、返り血一つ浴びていない神々しいまでの白銀の女騎士。
そして、その片腕が大切に抱きかかえているのは、炎のように鮮やかな赤髪と琥珀色の肌をもつ、立派な黒壇の杖を握りしめた華奢な女性。血と灰に塗れたこの場では、彼女の存在は精巧な芸術品のように穢れを知らず、ひどく現実離れした美しさを放っている。
絶望に染まりかけていた冒険者や兵士たちは魔物が迫っていることも忘れ、その美貌と威容に見惚れてしまっていた。
彼らの心に等しく浮かぶ「何か」。
人はそれを「希望」と呼ぶ。




