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白銀の風が、戦場となった古都ヴァルハストを駆ける。
長躯の女騎士が腕に抱くのは、琥珀色の肌に燃えるような赤髪が映える華奢な女——つまり俺だった。
——俺は、今認識していること全てをブリュンヒルトへ話した。
目が覚めると今の身体になっていたこと。
もしかすると、ここが異世界かもしれないということ。
死の恐怖を感じたときにブリュンヒルトの声が聞こえ、名前を呼んだ瞬間に彼女が現れたこと。
「日暮カナタ……ですか」
俺の要領を得ない話を聞き終えると、ブリュンヒルトは少しの考慮の後に口を開いた。
「まず、貴女がセレアでないことはわかります。私とセレアは契約で繋がっていますので、彼女の魔力を間違えるはずがありません。貴女とセレアでは、魔力の量も質もまるで違います」
静かな声が戦火の匂いが流れる空気に溶けていく。
「『あーるぴーじー』や『きゃらくたー』。聞き慣れぬ言葉も多く、異世界から来たという話も現状では証明は不可能です。ですが——」
彼女は白銀の装甲に包まれた腕で、俺の背中をそっと支え直した。
「事実として貴女は私を呼び出せている。セレアとの契約に縛られた私を、です。これは本来ならありえないことなのです。仮説は立てられますが、やはりこの場では証明の手段も時間もない」
碧い双眸が俺の瞳を真っ直ぐに射抜く。
圧倒的な力を見た後だというのに、まるで威圧感を覚えることはなかった。
「カナタ、貴女の中には確かに我が主セレアの気配を感じます。私はそれを信じるとしましょう……」
「そ、そうか」
ブリュンヒルトの冷静で理知的な姿に、俺は安堵するとともに感嘆の念を抱く。
彼女からしてみれば、契約者の身体をわけのわからない存在が乗っ取っているにもかかわらず、感情を表に出すことなく向き合っているのだ。
いや、むしろ彼女の視線には僅かな熱を感じる。もしかすると、俺の境遇を哀れみ同情してくれているのかもしれない。
戦いを司る戦乙女にして、高潔なる騎士。
『エターナルレジェンド』における彼女の印象とは全く違うものだった。
「ところで、もう多分自分で歩けるから、降ろしてはくれないか?」
「いえ、安全が確保できるまでは決して離しません。——大切な我が主セレアの身体ですから。」
食い気味に言うと、俺を抱きかかえる白銀の腕がわずかに力強さを増したような気がした。
「そ、そうか」
有無を言わせぬその態度に、俺は反論を諦めて身を任せることにした。
背景が流れるのが速い。人を抱えているにも関わらず、瓦礫をこともなげに乗り越えて走る彼女を見ていると、確かにこのひ弱そうな身体で走るより最適な選択なのかもしれない。
「それで、どこへ向かってるんだ?」
「生存者が集まっている可能性が高い場所です」
「知っているのか?」
「いえ、『古都ヴァルハスト』、でしたか。私はこの都市の構造は知りません。ですが、人間の行動原理というのは予測可能なものです」
ブリュンヒルトは前方に視線を向けたまま、淡々と状況を分析していく。
「まず、この都市は外周から攻撃を受けています。防衛機構が機能不全に陥った場合、非戦闘員の多くはより堅固な建造物、あるいは都市の中心部へと逃げ込むはずです」
「中心部……」
「ええ。そして、人間は絶望的な状況下において、物理的な堅牢さだけではなく精神的な拠り所を求める傾向にあります。宗教施設、あるいは権力者の居城といったところでしょうか」
俺の脳裏にある建造物が浮かび上がる。
『古都ヴァルハスト』の中心に位置する白亜の宮殿。多くのプレイヤーたちが集い、俺自身も何度も足を運んだ場所だ。だが、あそこは……。
「王城ならそれらしい場所ではあるんだけど、俺が最後に見たのは塔が崩れるところだったから、もしかしたらもう——」
続く言葉は、不意に開けた視界の残酷さに途切れる。
入り組んだ路地を抜け、かつて「真珠通り」と呼ばれた大通りへと出る。露店が立ち並び、プレイヤーたちのチャットが入り乱れていた美しい石畳は、今や商品の残骸や魔物の死体、黒焦げの「何か」で埋め尽くされていた。
その光景に、思わず悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえる。
視線の先には、かつての壮麗な尖塔が崩れ去った無惨な白亜の城がある。
『白亜の真珠』とも謳われたその白壁は無数の爪痕と血に汚れ、黒い染みのように魔物の群れが取り付いている。
俺の目には、もうここは地獄にしか見えなかった。
「に、逃げよう、ブリュンヒルトッ」
どこへ、などという代案はまるでない。
ただ、あの圧倒的な暴力と死の渦から一秒でも早く遠ざかりたかった。胃が激しくせり上がり、脳の奥で本能が「これ以上近づけば確実に死ぬ」とけたたましい警鐘を鳴らし続けている。
もしも今、地に足がついていたなら脱兎のごとく逃げ出していただろうが、ブリュンヒルトに抱き運ばれていることで、ただ震えることしかできなかった。
「魔物たちは城壁の中にまでは侵入できていないようですね。統率の取れた、良い守りが出来ているようです」
ブリュンヒルトは怯える俺の背をそっと撫で、しかしその視線は魔物が群がる城門へと真っ直ぐ向けられていた。
目の前の地獄を見ても、彼女の碧い双眸には微塵の揺らぎもない。
「……手土産が必要でしょうか」
「お、おい、まさかあそこへ行くつもりじゃないだろうな!?」
手土産。その言葉の意味するところに、俺は戦慄した。
大小様々な魔物が波のように打ち寄せている王城。そんな場所へ行こうとするなど、きっと正気の沙汰ではない。
「カナタ——」
だが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、白銀の騎士は、淡々と事実を述べるように言うのだった。
「私は、強いですよ?」




