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「屍狼!?」
俺の叫びが合図であるかのように、屍狼の群れが一斉に襲いかかってくる。
警戒などまるでする様子のない、餌に飛びつくかのように……。
ゲーム内において、こいつらは決して強くない。
むしろ雑魚敵と言って良い部類の敵であり、単調な突進しかしてこないただの的。
だが、実際に目の前にしたらとてもそんな印象は持てない。
ポリゴンの塊でもなければ、頭上に赤いネームタグをつけたターゲットでもない。
凶悪な牙と爪を持った、羆ほどもあろうかという何体もの質量が、明らかに自分を喰らおうと直進してくるのだ。
今の俺の華奢な腕など一噛みで砕け散るだろう。
いや、腕などではなく命が散ろうとしている、そんな確信。
「ひ、ひぃ……っ、がっ!?」
俺は情けない声を上げて駆け出すが、慣れない身体のバランスに足がもつれる。
まるで生まれたての子鹿のようで、まともに走ることもできない。
迫る脅威に対し、あまりに頼りない細腕で『天眼の琥珀』を強く抱き寄せ、少しでも抵抗しようとあがく。
そのとき、
——私を呼びなさい、セレア——
脳内に直接、凛としたひどく透明な声が聞こえた。
「セレア」と呼ばれているのは、「俺」なんだろう。
幻聴か、などと疑問を挟む時間は欠片も残されていない。
敵は牙をむき出しにして、俺へと飛びかかろうとしているのだ。
セレア……20年かけて育てた俺の相棒なら、どうするか……。
そう考えると、自然とイメージできる「声」の姿。
その盾に、振るう剣に幾度助けられたことか。
白銀の鎧に身を包み、金糸の髪が映えるその騎士の名を呼んだ
「——ブリュンヒルトッ!」
瞬間、旋風が巻き起こる。
俺の中から何かが抜けていき、光となって形作られていく。
宙を舞うわずかに黒ずんだ風切羽とともに、重量に逆らうようにふわりと石畳に降り立ったのは、見上げるほどの巨躯を誇る戦乙女だった。
モニター越しに何度も、何年もみたその姿は、たとえ現実の解像度へと落とし込まれていようと見間違えるはずはない。
『白銀の騎士ブリュンヒルト』
ニメートルに迫る規格外の身長。月光を鍛え上げた白銀の鎧に身を包みながらも、シルエットは恐ろしいほどに女性的で、研ぎ澄まされた美しさを隠そうともしない。
彼女の体躯に見合うだけの巨大な盾と剣を軽々と扱う様は、この芸術品の持つ武が飾りではないことを示していた。
見慣れた姿? 否。
その威容は現実だからこそ、見るものを圧倒する。
気づけば屍狼の群れも足を止め、警戒する様子を見せていた。
もはやこの場を支配しているのは、彼らではない。
「我が主、セレア。随分と魔力が乱れていますね」
絶対者たる彼女から、毅然とした声が俺に向かって投げかけられる。
「あ、ああ。ブリュンヒルト……だよな?」
わずかな沈黙。
何かまずいことを言ってしまっただろうか。
俺が焦るよりも早く、彼女は動き出す。
「ふむ……。まずは状況を整理するといたしましょう」
白銀が目の前から消失し、風が走った。
一閃。
俺が認識したときには、視界に映るスカベンジウルフが一体(いやニ体か)、その巨体は容易く両断されていた。血飛沫が上がるより早く、返す刀で近くの敵へと跳躍し、反応する間も与えず大剣を振るう。また一体、首が無くなった身体が重い音を立てて倒れる。
一瞬の間に三体の仲間を失ったことに気づいたスカベンジウルフの群れは、ここでようやくその怒りの矛先を白銀の騎士へと向けた。
殺到する獣の群れ。
残りはもう十体もいないだろう。しかし、一つ一つは羆ほどもある巨体だ。突進を受けるだけでもただでは済まない質量弾である。
だが、白銀の戦乙女は揺らがない。
迫る顎を大盾の面ですべるようにいなし、体勢を崩した狼の首筋へ大剣を振るい、首を飛ばす。そのまま勢いを乗せて、背後の敵へと回し蹴りを食らわせる。獣の大きな影が球となって吹き飛び、瓦礫の山へと突っ込むと大きな土埃に何かが潰れる嫌な音をあげて動かなくなった。
無駄が一切ない。
舞踏のように優雅に、しかし圧倒的な膂力をもって、残酷なまでの効率で命を刈り取っていく。
数分もしないうちに立っているのは白銀だけとなった。おそらく返り血の一つも浴びていないであろう輝きを湛えて——。
まるで神話の一場面のようで、俺は唖然呆然としつつも彼女から目が離せないでいた。
そのときだった、視界の端、瓦礫の死角から一体の黒い影が俺へ向かって猛然と突っ込んでくる。
(まだ残ってたのかよっ!)
地面にへたり込んだままの俺は、敵を認識しつつも咄嗟に反応することができない。
しかし、その屍狼がこちらへとたどり着くことはなかった。
獣より遥かに疾く白い風が走り、巨大な盾でもって獣を地面へと叩き潰したのだ。
「屍狼は群れで狩りをする際、必ず一体は見張り役を置くのです。故に、最後まで気を抜いてはなりません」
戦いを終えたということなのか、大剣と盾を光に変えながら悠然と語る巨躯の戦乙女。
零れ落ちる黄金の髪には乱れ一つない。
「もっとも、それは全ての戦いに言えることですが」
常在戦場を体現したような佇まい。
武器を手にしていなくとも、彼女には微塵の隙もないようだ。
俺はなんとか自力で立ち上がろうと足に力を込めるが、泥に塗れた膝は情けなく震えるばかりで力が入らない。『天眼の琥珀』を握る手も、強張って開き方を思い出すことができない。
白銀の籠手が、すっと差し出される。
「す、すまない。助かる——うわっ!?」
ひょいと、まるで小型犬を持ち上げるように軽々と抱き上げられてしまう。
この身体が華奢なのか、彼女の膂力によるものか。あるいは両方だろうか。
間近に迫る顔。
血なまぐさい戦場にあってなお、彼女からは静謐な香りが漂っている。
月光に映えそうな、碧い双眸が俺を射抜く。
「それでは、お話しをいたしましょうか」
『白銀の騎士ブリュンヒルト』
『エターナルレジェンド』という数千万人が交錯した広大な世界であっても、彼女の契約できた者は片手で数えるほどしかいないと言われている、レア中のレア召喚獣。
セレアが最も使用した召喚獣であり、諸般の事情で炎上騒動すら巻き起こった問題児……。
その生きた質感に、俺はただ頷くことしかできなかった。




