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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
43/44

43

 灰の軍勢が押し寄せてくる。

 視界の端には震える者や、最後の抵抗を見せようとする者たちが映っている。

 地鳴りのような足音や悲鳴すら、今は耳の奥を滑り抜けていく。

 思考はもう回す必要はない。

 ただ想い描くのは、幾度も見た彼女の姿。

 琥珀色の肌に、燃えるような赤髪。まるで太陽のような召喚士——


 黒檀の杖を握る。

 左足を半歩引き、杖を前方へと差し出す。

 重心は後ろ。背筋は天を貫くように。

 空いた左手は僅かに開き、胸元へ。

 顎を引き、ただ敵を見据える——


『ブリュンヒルト——』

 

 地に膝をつき、消えゆかんとする騎士の名を呼ぶ。その刹那、己の心臓が一際強く拍動し、全身の血管を何かが押し広げていく。

 激痛。だが、この感覚には覚えがある。

 魂の奥底から湧き上がってくる、魔力の奔流。煮え滾る濁流のようなそれが、ブリュンヒルトへと向かって注ぎ込まれていく。

 鼓膜が破れんばかりの耳鳴りに、赤く染まる視界。鼻の奥からつっと生暖かいものが流れる。

 

 だが、その変化は劇的だった。

 白銀の騎士が爆発的に輝きを取り戻し、薄れた輪郭が確かな質量を伴い大気を軋ませる。

 碧い双眸が限界まで見開かれていた。


「——御意」

 

 唖然としたのもほんの僅か。

 交わした視線だけで意図は伝わった。彼女もまた、セレアの相棒なのだ。

 ブリュンヒルトは弾かれたように立ち上がり、即座に大剣を顕現させる。


『我が命を剣に、敵を討て。誓約を果たせ——』


 口が自然と動いた。

 画面越しに何千回と繰り返したそれは、セレアが技の行使を命じる詠唱——


「ぐっ……」


 直後、身体の内側から臓腑をごっそり抉られたような強烈な虚脱が襲った。

 血の気が急速に引いていく。膝から崩れそうになるのを、杖に縋って必死に耐える。


 白銀の騎士が大剣を構え、腰を大きく沈めた。

 ブリュンヒルトの全身から魔力が噴き上がり、迫る灰の軍勢を土ごと吹き飛ばす。

 恐ろしいほどの力の奔流が大剣へと集束していく。空間が歪み、大気に罅が入っている錯覚をするほどの圧迫感。肌が粟立つのが止められない。 


 やがて荒れ狂っていた力が一点へと凝縮され、戦場に不気味な静寂が落ちた。

 極限まで引き絞られた力が、灰の奥へと向けて解き放たれる。


「——『銀翼天閃(セラフィック・レイ)』」


 凛とした声が響く。


 一閃。

 ブリュンヒルトが大地を踏み砕き、白銀の線が奔った。


 放たれたのは純白の閃光。

 地形ごと敵を抉り取るようなシルヴィアの破壊力とは違う。どこまでも鋭く、一切の無駄を削ぎ落とした斬撃。

 世界そのものを斬るような光の刃が、一直線に戦場を断っていく。

 狙いはただ一点、『灰骨の愚者』軍団長ザガンのみ。


「何を——」


 振り返った枯れ木のような顔が硬直する。

 回避など間に合わない。

 光の刃が老人の腕ごと、その手にある水晶玉を容赦なく撃ち抜く。

 硬質な破砕音が、戦場に響き渡った。




——————




「ぐ、オオオオッ!?」


 獣の断末魔のような絶叫が大気を震わせた。

 ザガンが水晶玉を失うと同時に、灰の軍勢の統制がにわかに乱れ始めた。戦場を支配していた見えない糸が弾け飛んだように。

 一糸乱れぬ動きで騎士団を押し込んでいた軍団の姿はなかった。


 だが、その灰の海といえる物量は依然としてそこに在る。

 有象無象の集団に戻ったとて、こちらに対処する術はないのだ。

 絶望的な状況。 


 俺は荒い息を吐き崩れそうになる膝を杖で支え、必死に前を睨む。

 まだ、終わっていない。


「貴様ら、許さ——」

「——『翠嵐の穿星(エメラルドノヴァ)』」


 ザガンの怒号を遮ったのは、涼やかな声。

 同時に一条の雷槍が落ちる。

 凄まじい衝撃の後、轟音が届いた。地面は抉られ、大きな土煙が舞う。


 見上げれば、『灰雲海』が激しく波打っている。

 統制を失ったのは地上だけではない。上空を埋め尽くしていた竜の群れもまた、ザガンの軛から解き放たれていた。


「うおおおおおおおおお!!」


 足場を失い、群がる竜に噛み付かれながら黒の狂戦士が苛立たしげな咆哮を上げて落下していく。


 残されたのは天を支配する英雄『竜騎士』シルヴィアのみ。翠緑の槍を構え、眼下のザガンへと再び狙いを定めていた。


 盤面は完全に砕け散った。

 一方的な蹂躙から、互いの喉元へ刃を突きつける間合いへ。


「カ、カカッ……全く、忌々しい。はあ、骨折り損じゃな……」


 ザガンは顔を歪めると、ついに号令を発した。


——退けいッ!


 



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