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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
41/44

41

 ブリュンヒルトの元へは、すぐに辿り着いた。

 元々それほど距離があったわけではない。だが、俺の運動能力だったならもっと時間がかかったに違いない。


 俺を乗せた輿が、白銀の騎士の背のすぐ後ろに下ろされた。

 ふわりと宝石を丁重に扱うような、優しい衝撃。彼らの想いが伝わってくるようだった。


 近くで見るブリュンヒルトの輪郭は、やはり仄かに揺らぎがあるのがわかる。

 傷一つ無い流麗な白銀の装甲は、その一部が光の粒子となり世界へ還っていっていた。

 流れ落ちる汗に、浅く短い呼吸。初めて見る、厳しい彼女の表情だった。

 すでに限界は近い。

 だが、俺の口から出るのは、そんな彼女を労う言葉ではない。

 

「ブリュンヒルト——」


 掠れた声だ。セレアの澄んだ声色も、俺が発すると随分と粗野に聞こえる。

 前方の灰の軍勢。その上空に在るザガンを睨みつけたまま、俺は彼女(セレア)ならどう振る舞うかを意識して、震える腹の底から言葉を絞り出した。


「あの水晶……、ザガンの持つそれを、砕くことは可能ですか?」


 白銀がわずかに揺れた。

 やっと俺達が側にいることに気がついたのだろうか。ほんの僅かの戸惑いの後、ゆっくりと振り返ったブリュンヒルトの碧い双眸が、俺を捉える。


「カナタ……」


 俺は泥に汚れ、周り者たちも恐怖と熱狂の板挟みといった様子だ。

 そして、吹けば飛びそうとはいえ防衛陣地を捨て前線に来た意味。

 彼女は俺の全身に視線を走らせる。膝を震わせ、それでも前を見据える俺の姿を確かめるように。


「……それが、貴女の選択なのですか」


 凛とした声は、しかしどこか遠い地平から響くように掠れている。

 複雑な感情の入り混じった問い。肯定を求めているのか、拒絶を求めているのか。読み取ることは出来なかった。


「……はい」


 俺は輿から下り、一歩彼女の隣へと踏み出す。


「お、私も闘わなければなりません。ここに、残ります」

「そう、ですか」


 ブリュンヒルトは、それ以上俺を止めようとはしなかった。ただ、ふっと視線を前方へと戻す。その横顔の、わずかに綻んだ口元が、諦念のようにも、あるいは誇らしげなようにも見えた。


「もう、何を言っても無駄なのでしょうね。頑固なところは、本当に——」


 言葉の最後は、戦場の喧騒に飲み込まれた。

 敵の勢いが更に増し、戦場の趨勢はいよいよ決しようとしている。周囲の者たちの間に、引き絞られた弦のような緊張が張り詰める。誰もが息を呑みつつ、灰の波と対峙する覚悟を決めている。


「……カナタ、多くは聞きません。あの水晶玉を破壊出来れば勝てるのですね?」


 その問いに、俺は一瞬言葉に詰まる。

 確証なんて何一つない。曖昧な情報に、勝手な推論。


「ええ、間違いありません」


 それでも、俺は無責任に断ずる。

 己の選択が背負う命の数と重さは、もはや計り知れない。

 戦わなければ、守れない。

 何かに突き動かされるように、俺は強く頷いた。

 

 言葉を聞いたブリュンヒルトは、小さく、しかしはっきりと頷いた。

 迷いは完全に消え去っていた。地に突いていた大剣を引き抜き、切っ先を天へと掲げる。金属が擦れ合う甲高い音が、灰のざわめきを切り裂いた。


「——全陣形を破棄……同胞たちよ、我らに道を拓く力を!」


 凛然たる号令が響いた瞬間、戦線を支えている無数の騎士達が一斉に光へと還っていく。

 それは無念の消滅などとは程遠い、想いを、力を託すような去り際だった。

 彼らの残り火が戦場を舞う中、残ったのは僅か数百の騎士。即座にブリュンヒルトの元へ集結すると、一切の無駄無くまたたく間に強固な楔——鋭利な鋒矢の陣が組み上がった。

 

 その陣形の中心で、俺の身体はふわりと白銀の腕に持ち上げられた。


「わっ」


 戦場の最中にあって、その動作は流れるように美しく、優しかった。

 輿の上へと壊れ物を扱うように下ろすと、ブリュンヒルトの背中が跳ねる。


「——これより、我らは敵を穿つ一本の矢となりましょう。総員、私に続きなさい!」

「応ッ!」


 数百の喉から放たれた咆哮が、大気を震わせる。

 先陣を切るのは白銀の戦乙女。もはや守りは不要とばかりに、その手に握るは大剣が一本。

 ブリュンヒルトが、大地を蹴る。それを合図に、数百の騎士達も重低音を響かせながら灰の海へと雪崩込んでいく。


 熱は瞬く間に伝播した。未だ拭いきれぬ恐怖の中にあるヴァルハストの兵や冒険者たちが、引力に引かれるように前へ踏み出す。怒号にも似た叫びが次々と上がり、小さなうねりとなって追随し始める。俺という存在をただ守り、送るためだけに——


 寡兵も寡兵。百倍ではきかないだろう数の軍勢への突撃。

 先頭を駆けるブリュンヒルトの姿は、凄惨なまでに鮮烈だった。

 圧倒的な膂力で振り抜かれる大剣は、敵の統制された防御を紙のように薙ぎ払う。たった一振りで十、二十という灰の兵士が骸を晒し、分厚い装甲に身を包んだ重戦士すら、その軌跡に触れた端から両断されていく。

 彼女がこじ開けた穴を、付き従う騎士達が錐で押し広げるように道を作る。押し潰されるのを待つだけだった戦況からの爆発的反転。彼らもまた選び抜かれた英霊なのだ。

 

 彼らが切りひらいた血路の背後で、ヴァルハストの者たちも死に物狂いで食らいついていく。僅かでも遅れれば、またたく間に灰の軍勢に飲み込まれる。飛び散る灰と血肉の雨の中、荒い息を吐きながら槍を突き出し、振り下ろされる剣を盾で弾く。


 ただ前へ、一歩でも前へ。


 生か死か、賽は投げられた。

 吹き荒れる灰の奥。ザガンが浮かぶ空は、もうすぐそこだった。


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