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シルヴィアは風竜を己の手足と化して戦場を駆ける。
まさに人竜一体。灰の空気にわずかな抵抗すら許さない。
碧い瞳と、一瞬の交錯。
白銀の騎士ブリュンヒルト。
彼女の実力が『六英雄』に匹敵するかもしれない、という予感はあった。事実、この規模の軍勢召喚など『三賢者』ですらできるかどうか……。何より、ブリュンヒルト自身の武技を未だ見せていないのだ。
自らを誇張無く英雄に足ると自負するシルヴィアをして、恐ろしいと予感させたその力は本物であることは間違いがなかった。しかし——
(もはや、猶予はないかっ……)
底知れぬ武を秘めたその横顔に翳りが落ちているのを見逃さなかった。彼女の消耗は予想以上である。
猶予はない。
戦線を支える彼女が崩れれば盤面は容易く瓦解する。一刻も早くあの脅威を取り除かなければならない。そこまでしてもまだ戦況は厳しいが、そう見立てていた。
バルバロスの大剣が空を切るたびに、歪に大気がひしゃげる。騎士達が吹き飛び、前線に大きな空白ができる。
あの暴食の刃が、『嘆きの渓谷』でどれだけの血を吸ったのか。
シルヴィアは奥歯が砕けそうなほどに噛みしめる。
脳裏を焼くのは数多の顔。
共に酒を飲み交わしたこともある冒険者達。いつも軍議では顔を顰めていた将軍。若い兵士たちを訓練で扱いてやったこともあった。裏をかいたはずの盤面は、容易くひっくり返されたのだ。遠征軍の壊滅という事実は、今もシルヴィアの臓腑を荒く締め付けている。
もし自分が残っていれば、あるいは『竜騎士』の機動力を活かした別の手立てがあったのではないか。
だが、どす黒い感情を吐き出す資格は、自分にはない。自らは『六英雄』にして『竜騎士』、そしてローゼンクロイツ王家の人間なのだ。人類最後の盾であり、敵を穿つ最強の矛。その責務のために研ぎ澄まされた翠緑の槍……。
『三頭作戦』の一つ、スタンピード鎮圧は絶望的となったが、最大の目的である軍団長クラスの古都ヴァルハストへの誘引は成功したのだ。戦況は悪いが、まだ想定の範囲内。
後は、それを撃滅するのみ。
最小の戦力で、最大の戦果を。もとより無謀な賭けにも近い作戦——カナタには逃げろなどと言ったが、ここで敗北すればもはや逃げる場所などありはしないのだ。
敵は『暴食の灰刃』バルバロス。奴が屠ってきた英雄の数は両手では足りない。
すでにこちらを捉えている黒い暴力は、愉快そうに嗤っている。
だが——『竜騎士』は見敵必殺。眼前に聳えるのがいかなる理不尽であろうとこの身を貫く意志が折れることはない。数多の死を背負い、ただ一つの命を穿つ。それが英雄の、否、シルヴィア・ローゼンクロイツの業。
シルヴィアは槍を深く引き絞った。風竜を更に加速させ、魔力とともに全ての風を翠緑の槍へと収束させていく。
風が死に、音が消える。
「——『翠嵐の穿星』
極限まで圧縮された神の雷槍が、漆黒の獣へと堕ちた。
———
光が、世界を食い破った。
一拍遅れて、鼓膜を破るような轟音が届く。
吹き飛ばされそうになる身体を必死で支える。衝撃と熱風で息が詰まりそうだ。
「ぐ、う……っ」
明滅する視界。
俺は飛びそうになる意識を繋ぎ止め、何とかまぶたを開くことが出来た。
何が起きたのか……。
空が焼け焦げている。翠緑の残滓が網膜にこびりついて離れない。シルヴィアと風竜が極小の点へ収束し、落下していく軌跡だけが辛うじて認識できた事実だった。
土煙が立ち込める中、大地を抉るすり鉢状のクレーターが現れる。
規格外の爆撃——極大の雷槍が引き起こした現象に、絶句するよりなかった。
灰竜を一撃で仕留めた技の比ではない。
ブリュンヒルトの『騎士団の英霊』を面での制圧力とするなら、シルヴィアのそれは一点の完全な破壊。もはや武という基準を超えた、極みに達している。
これほどの威力を直で食らって無事で済むはずがない。
クレーターの底で何かが動いた。
肌が粟立つ。
ひび割れた黒鎧。千切れかけた左腕からは、赤黒い血が吹き出している。
バルバロスは生きていた。
だが致命傷——そう断じかけた思考を遮ったのは底冷えのする哄笑だった。
「クククッ……極上だ。これほどの痛みを喰らうのはいつ——」
灰の奥から絞り出されるような歪な歓喜を吐き出しながら、漆黒の巨躯がゆっくりと立ち上がろうとする。
天から再び雷光が突き刺さった。
二度目の爆発。
一切の躊躇のない追撃。上空へと離脱していたシルヴィアが、そのまま反転し先ほどと同じ極限の雷槍を撃ち下ろしたのだ。
「カハッ……痛ぇ、痛ぇ。だが最高——」
言い切る前に、三度目の閃光が戦場を疾走る。
大地が砕け、泥が舞う。熱と光の暴風が収まらない。
「チッ……少しは語らせろ小娘がッ!」
苛立ちを孕んだ怒号を打ち消し、四度目の雷鳴が轟く。
もはや、地形が原型を留めていない。
焦土と化したクレーターの中で、再び立ち上がる黒い怪物『暴食の灰刃』バルバロスの異常性。そして、この光景を一人で生み出している『竜騎士』シルヴィア。どちらも生命から隔絶した領域に達していた。
戦場は完全に膠着していた。
圧倒的な暴力の応酬に、誰もが呼吸を忘れ縫い付けられている。
だが五度目の閃光が空を割ろうとした、その刹那。
「カカカッ……流石に見過ごせぬわい」
枯れ木が擦れ合うような不気味な声が戦場に木霊した。
クレーターの底。バルバロスの頭上に突如として巨大な竜が飛来し、自らを肉盾とするように覆い被さる。
雷槍が竜を貫き、悲鳴を上げる間もなく灰へと還っていく。
だが、それだけでは終わらない。
見上げた空の異変に気づく。
「は、灰の雲だッ!」
震える声で誰かが叫ぶ。
間違いない。『凶星の灰竜』討伐で消え去ったはずの『灰雲海』が突如として現れ、またたく間に上空を覆っていく。
そして嘶きと共に、大量の竜が灰の雲から這い出してくる。
空という絶対の優位が今、崩れ去ろうとしていた。
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