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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
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34

 地に伏す灰竜の骸から蒸気のように吹き出す灰が、緩やかに古都ヴァルハストとその周辺を飲み込もうとしていた。やがてこの地は灰の領域となり、人類はまた一つ重要拠点を失うことになるだろう。

 しかし今はまだ、人類の領域である火の世界と灰の世界が曖昧になりつつある状態。本来ならば時間をかけて灰竜を解体し、大規模な浄化を行えば問題ないのだ。


——オオオオオオオ……


 再び、哨戒に出ている風竜シルフィードの咆哮が轟く。

 前回よりも、よほど近い。空気の振動が直接肌に届いているように感じられる程に。


 太陽がすでに昇っているにも関わらず、雲霧にも思えない灰が乾いた大地に影を落としている。

 崩れた古都ヴァルハストの外壁を背にするように、俺達は陣を張り、灰の軍勢を待ち構える。壁の瓦礫が散乱し、およそ役に立つとは思えない、急ごしらえの柵がそこかしこに据えられている。

 都市の残存兵力は弱兵ばかりで千にも満たない。しかしながら、皆一様に意気軒昂でその士気は天を衝かんばかりである。

 

 そして、その中心にいるのは——


「姫!この命に変えても必ずお守りします!」

「カナタ様、なんとお美しい……勝利の女神が顕現なされたようだ……」

「ただ者じゃないとは思っていたが……、あんたに全て託すぜッ!


 何故か一人輿に載せられ、ぐったりと抜け殻のようになっている俺だった。

 何故かこの度、古王国の姫となった俺だった。

 

 集団心理とはかくも恐ろしいものか……。

 俺を取り囲むように人の石垣を作り上げている。捨て身の防御陣形だ。

 彼らの熱を帯びた呼気が、ひしめき合う鎧の擦れる音が、嫌でも俺という存在が彼らの拠り所になっていることを教えてくる。胃の奥が冷たく重いのに、周囲は火傷しそうなほどに熱い……。


 俺が静かに微笑んで見せると、その度に歓声が上がる。つらい。


 その熱狂の渦から離れ、ただ二人の英雄だけが最前線へと進み出ていた。


 美しい銀の意匠があしらわれた深緑の装甲に身を包み、極限にまで鍛えられた肉体で巨大な翠緑の槍を支える『竜騎士』シルヴィア・ローゼンクロイツ。

 『六英雄』たる彼女に並び立つのは、流麗なる白銀の鎧を身に纏う長躯の女騎士。すらりと背の高いシルヴィアより、更に頭一つ以上は抜きん出ている『白銀の騎士』ブリュンヒルト——自らの体躯に匹敵するほどの白銀の大剣と盾をやすやすと扱っている様は、その威容が決して虚飾ではないことを物語っている。


 やがて、灰の靄を切り裂き、一陣の風が吹き抜けた。艷やかな緑の鱗、『風竜』シルフィードが姿を現した。


「シルフィード!」


 シルヴィアの呼びかけに、上空を旋回していた風竜が小さく嘶くと、まるで羽が地に落ちるようにふわりと主の元へと舞い降りた。シルヴィアはその鼻を優しく撫でると、鋭く前方を睨みつけた。


「来るぞ、ブリュンヒルトよ」

「ええ……」


 ブリュンヒルトの声はひどく静かで、嵐の前の静けさを思わせた。


 そして、間を置かず地響きのような音が大地と空気を揺らし始める。カチャ、カチャと無数の金属音が灰の奥から響きわたる。

 灰の靄が晴れた、その先に現れたのは黒ずんだ鎧に身を包んだ、無数の兵士たちだった。


 それは一見すると人間の軍団のようだが、足並みは恐ろしいほどに揃い、苦痛や疲労を一切見せることのない能面のような表情はまるで命の鼓動というものを感じさせない。

 自分たちとは有り様が違う。

 生きる理が違う。


 火の世界を陸とするならば、灰の世界は暗く深い海——。

 ヒトが水中で生きられぬように、魚が陸上で泳げぬように、本来は交わることのない世界の住人達。


「く、来る……」

「勝てる……勝つんだ……」


 周囲から、張り詰めた糸が軋むような声が漏れる。先程までの狂騒的な熱気は、容易く死の恐怖に水をさされていた。



 しかし周囲の緊張とは裏腹に、俺の心は不思議なほどに凪いでいた。


——『灰の軍勢』


 それは『エターナルレジェンド』で見た通りの姿だった。ならば、俺にとってそれは恐怖の対象にはなりようがなかった。『凶星の灰竜』のようなレイドボスには幾度も辛酸を舐めさせられ、地雷扱いされつづけた俺であったが、彼らに対しては苦手意識はない。

 なぜなら、『灰の軍勢』は別にボスというわけではない。軍団長クラスの強大な敵との戦いに至るまでの前座、道中に配置された有象無象に過ぎなかったからだ。


 とはいえ、それは所詮ゲームの話。実際に目にしたその迫力たるや、俺の心臓は激しく脈打っている。

 整然と突撃してくる、幾万の死を運ぶ軍勢に、周囲の空気は明らかに動揺している。

 逃げ出さず、踏みとどまっているのが奇跡に思えるほどだ。


 だが、俺には漠然とした予感があった。

 もしもブリュンヒルトが、『白銀の騎士ブリュンヒルト』と同じスキルを使えるのだとすれば、今この盤面こそが彼女の真骨頂だと。

 


「ブリュンヒルト……」


 俺の小さな呟きを、白銀の騎士は戦場にあっても逃すことはなかった。

 振り返ることもなく、大剣を天へと掲げる。


「お任せを、カナタ。おそらくは貴女の想像以上を、お見せいたしましょう」


 その言葉と共に、空気が甲高く鳴動し始める。

 彼女の輪郭が歪むような、圧倒的な力の圧縮。『竜騎士』シルヴィアの翠緑の一撃に匹敵するほどの威圧感が、空間そのものを歪めているようにさえ感じられた。

 掲げられた白銀の大剣の切っ先から眩い光が迸ると、ブリュンヒルトの立つ地面を中心に、幾何学的な紋様が広がってゆく。

 平原を埋め尽くさんとする敵が、巨大な魔法陣の出現に戸惑いを見せている。

 灰の空気を浄化するような白銀の光が、粒子となって舞い上がっていく——。


「集え、我が同胞よ!『騎士団の英霊(エリシオンナイツ)』!」


 凛とした白銀の声が、世界に響いた。


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