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33話
——ォォォォォォォォ……
大気を震わせる、くぐもった重低音の咆哮が古都ヴァルハストの城壁上まで届いてきた。
俺が重い頭を上げ何事かと視線を彷徨わせるのとは対照的に、二人の英雄は纏う雰囲気を一変させ、鋭い視線を同じ方角に向けている。
「シルフィードが捉えたか……ついに、来おったようだな」
シルヴィアは、相棒の『風竜』シルフィードを警戒にあたらせていた。竜との意思疎通をが出来る『竜騎士』たる彼女ならではの広範囲索敵。
そのシルフィードの嘶きが意味することは、つまり……遥か地平、未だ視界に捉えることの出来ないが、あの先にいるのだろう。
息が詰まる重圧の中、シルヴィアは身を翻すと、眼下で忙しなく動き回る兵たちへ号令した。
「総員、戦闘準備!遠からず敵が来るぞ!」
雷鳴のように轟く声に、兵士や冒険者たちは弾かれたように駆け出した。
そこに統制された動きはないように見えた。怒号と悲鳴が交錯し、中には震えて泣き出す者までいる。
遠征軍は、ヴァルハストの精鋭部隊や冒険者の実力者ばかりを集めた討伐軍だったと聞く。つまり、今この都市に残っている者は必然、老兵や新兵などの弱者といっていい者たちばかりであり、先日の戦いで負傷した者も数多い。そして、身近に知る強者達が敗れた敵が、今まさにここへ攻め込まんとしているのだ。
全体の士気は絶望的に底をついていた。
シルヴィアは微かに眉をひそめると、再び腹の底から声を響かせた。
「戦える者はすべて正門前へと集うのだ!」
————
それから、どれほどの時間が経っただろうか。もはや猶予はないことだけは確かだった。
先日の『凶星の灰竜』襲来によって無惨に崩れ去り、補修もままならない外壁の正門前に今、この場には生き残った古都の戦士全員が集っている。
だが、誰もが多かれ少なかれ死の恐怖を顔に張り付かせていた。
「皆の不安はもっともだ。精鋭たる遠征軍は敗れた……灰の軍勢によってな。そして、古都の戦力はもはや、我々を残すのみとなった」
絶望的な事実を口にする英雄の姿に、場が水を打ったように静まり返る。
皆が悲嘆に下を向き、彼女を見上げる者もどこか縋るような、あるいは諦観の混じった視線を向けている。
「だが、諦めるにはまだ早い。この古都には我らがいる。カナタ、ブリュンヒルトこちらへ来い」
その言葉に、数多の視線が一斉に俺と白銀の騎士に注がれる。
俺と言えば精神的に疲れ果て、ブリュンヒルトの腕の中に抱かれている状態だ。何の打ち合わせもない状況に対する困惑と、突然浴びる注目に対する緊張も、もはや表に出す元気すらない。
だが、俺達を見た者たちの反応は顕著だった。
魔力供給を経て存在感の増したブリュンヒルトは、元々の長躯も相まってもはや人間とは思えないほどの威容を放っている。『六英雄』たるシルヴィアが鍛錬と死線の果てに辿り着いた人間の極致であるとするなら、今のブリュンヒルトの在り方は、神が最初からそのように設計したかのような圧倒的な完成品のそれだった。
一方の俺はというと、俺の外見が殊更に人目を引くことはすでに理解している。だが、向けられる視線は熱狂よりも戸惑いのほうが多いように感じられた。
いくら見目が良くとも、お供の騎士に抱えられてぐったりしている細腕の少女に、何を期待できようか。されても、困る。俺に出来ることなど、何もないのだから……。
すでに死線を共にしたとはいえ、俺もブリュンヒルトもこの古都ヴァルハストにおいては偶然訪れた旅人であり、よそ者なのだ。英雄であり王族でもあるシルヴィアとは、あまりに違う。全幅の信頼など寄せられるはずがなかった。
「しかし、あのような華奢な少女に何が……今にも倒れそうではないか」
「結局はよそ者だろ、命がかかれば逃げ出すかもしれねぇ」
「何を言う!あのお二方にどれだけの命が救われたか……」
どこからか始まったささやきは、やがてどよめきへと変わっていく。
分かるのは、思うように士気が上がっていないということだけだ。
「——そもそも、あの二人は何者なのだ?」
結局、行き着くところはこれに尽きる。そして俺達には身の証を立てる方法がまるでない……。
僅かな、しかし決定的な疑念が、この場を侵食しようとしていた。これから寡兵で『灰の軍勢』という厄災に立ち向かおうというのに、兵たちの間に致命的な不和と動揺が広がり始める。耐えきれぬ恐怖は、僅かな疑惑の種を決して逃そうとしない。
シルヴィアが声を張り上げて場を収めようとするが、恐怖に怯える者たちに感染したざわめきは容易には止まらない——。
その時だった。
「皆の者——」
古都ヴァルハスト領主、アルベルトが歩み出る。領主とはいえ高齢の彼は、本来ならすでに非戦闘員達と共に避難しているはずであった。
アルベルトは杖をつきながらも、確かな足取りで壇上へと上がると、シルヴィアからひび割れ、役目を終えた宝珠を受け取る。そして、こちらをひとつ見やると、滔々と語り始めた。
「この『調和の宝珠』にまつわる、我がドランディーノ家の口伝を知っているか」
静かだが、意思の乗ったよく通る声。どよめきが、ピタリと止んだ。
「我家の歴史は古く、書物にも残らぬ昔からこの地にあり、現王家以前にいくつもの王家に仕えておった。その始まり、古王国に仕えた初代ドランディーノ家当主は、ここヴァルハストを治めることになったのだが、大きな厄災に見舞われ、存亡の危機となった。もはや、と覚悟を決めたとき、太陽のような美貌を持つ姫君と、彼女に仕える一騎当千の騎士がこの地へとやってきたのじゃ」
アルベルトの視線が、恭しく俺たちへと向けられる。それに釣られるように、数多の視線が俺と隣の白銀を行き来した。
「姫君は我が祖先にこの宝珠を授け、厄災を退けた。……見よ。口伝の姿そのままである彼女たちが、今まさに古都の危機に現れ、再び宝珠は光を放ったのだ。これが、ただの偶然であろうか?」
アルベルトの厳かな語り口に、実際に圧倒的な実力と威容を見せつけた白銀の騎士。そして見た目だけは完璧な俺。
もはや聴衆となっていた者たちの間に、さざ波のような衝撃が広がっていく。
そこへ追撃をかけるように、ブリュンヒルトが痛ましげに言葉を続けた。
「このカナタ様は、我が主である記憶がない……。戦う術など持たぬまま、気づけばこのヴァルハストへと降り立ち、この私を呼び出したのです。そして、命が理不尽に散るのを見過ごしたくはない、と私が戦えるように力を尽くしたために、このような……」
碧い双眸に涙を浮かべて見せる、流麗なる白銀の騎士。
間違ってはいないが、間違っている。
そりゃ俺に我が主の記憶はないし、疲労困憊なのも間違いではないのだが……。
出来すぎた神話の再現とも言える現状に、疑念に満ちていた視線が、次第に畏れと熱を帯びたものへと変わっていくのが肌で感じ取れる。虚飾に虚栄。だが、もはや止まることは出来そうになかった。
「古王国の姫君が、我らを導いてくださるのだ……!」
「カナタ様と、シルヴィア様……二人の姫君が……」
誰かが発した熱を帯びた声に応えるように、アルベルトが皆と同様に呆気にとられているシルヴィアのほうを見て、にやりと老練な笑みを作ってみせる。
それを見て、はっとした表情を浮かべた彼女が力強く頷き、翠緑の槍を天へと突き上げた。
「聞け、兵たちよ! 諸君らに、憎き灰の軍勢を打ち倒せとは言わん! 諸君らの役目はただ一つ。カナタを……姫君を守り抜け! 我ら深緑と白銀の矛が全力を振るえるよう、その身を盾とせよ!」
それが、引き金だった。
「うおおおおおお!!」
「姫君をお守りしろ!」
「俺たちが盾になるんだ!」
悲痛と絶望に満ちていた空間が、地鳴りのような歓声に包まれる。死の恐怖をそのまま転換したような狂信的な熱気が、古都の空気をビリビリと震わせていた。
謎風邪に苦しんでいます・・・




