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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
31/44

31

 シルヴィアはゆっくりと懐に手を入れると、手のひらに乗るほどの球体を取り出した。

 奇妙なほどに澄んだ、淡い光を放つそれは大きな宝石か水晶に見える。

 ビリビリと静電気が走るような感覚が肌を刺す。威圧的とは言わないまでも、それがただの宝石などではない、不思議な力を秘めているように感じられた。


「これはドランディーノ家が所有する、『調和の宝珠』だ」


 宝珠と聞いて、先日の会議でアルベルトが言っていた言葉を思い出す。確かアルベルトが言っていた、一族の秘宝とやらだったか。神官エレナたちはこれを用いて『凶星の灰竜』を灰の雲から引きずり出したのだった。

 実物を見るのは初めてだが、これ一つで城が買えると言われても納得してしまうほどの美しさと「何か」が感じられた。


「これには異なる魔力を同調させる力がある。これを使えば問題は解決できる、やもしれぬ」


 語尾を濁したシルヴィアの視線が、僅かに揺れた。

 常に前を向く彼女の黒真珠の双眸が、俺の顔を見て微かに伏せられる。


 曰く、俺とブリュンヒルトとの間には魔力的な繋がりがあるが、それは非常に細く、弱いらしい。宝珠の力でシルヴィアの魔力を俺を通して流し込むことができれば、ブリュンヒルトの本来の力を発揮できるのではないか。そういう算段だった。

 

(なんだ、そんなことか……!)


 内心で小さく安堵の息を吐く。

 一体何をするのかと身構えていた分、拍子抜けしたと言ってもいい。要するに、俺は宝珠を持って立っていればいいのだ。小学生のお使いのほうがよほど難しいように思えた。

 ただの魔力の通り道になるだけならば、特別な技術や知識がない俺にだって出来るはずだ。


「分かりました。貸してください」


 俺が戸惑いなく宝珠へと手を伸ばした瞬間、白銀の手が俺の視界を遮るように伸ばされた。


「カナタ、おやめなさい」


 風の音よりも冷たいブリュンヒルトの声に、俺はびくりと反射的に手を引いた。

 それは火遊びをしようとする子供を戒めるような、静かで有無を言わさぬ響きだった。


「魔力を扱うというのは、極めて危険な行為なのです。幼少から鍛え、専門機関での訓練を経てやっと魔術師を名乗ることが出来る……」


 ブリュンヒルトの凛とした横顔は、俺ではなくシルヴィアへと向けられている。

「シルヴィア様。カナタは魔力の扱いに関して全くの無知——街の幼子のほうがまだ理解していると思っていただいたほうがよろしいほどです」

「なんとっ……」

「おそらくは、貴女の魔力に耐えきれず、精神も肉体も焼き尽くされることになってもおかしくはない。カナタにそんなことは、させられません」

「……そうであったか」


 シルヴィアは痛みを堪えるように目を伏せ、宝珠を俺から遠ざける。


「許せ。カナタのその身体——セレアと言ったか。器と魂が別だという話を聞いてはいたが、まさか全くの素人だとは思いもしなかった」


 要するに、俺が魔力の扱い方をまるで知らないせいで、秘策の前提が崩れてしまったらしい。

 だれの口からも次の言葉は出ず、鉛のように重い沈黙が場を支配する。


「だが……、それでは……」

「私に直接、同調させることはできないのですか」


 ブリュンヒルトの問いにシルヴィアは重々しく首を横に振った。


「宝珠とて万能ではないのだ。前提として、何かしら魔力の道が通っていなければ……不可能だ」


 彼女にとってみても、現状を打破するための希望だったのだろうか。俯きがちになったその横顔には、英雄らしからぬ憔悴の色が見えた。


(俺が何も出来ないからだ……)


 自惚れなどではない。

 俺がきちんと実力を引き出してやりさえすれば、ブリュンヒルトは強い。おそらくは俺が知っている以上に、思っているより遥かに……。

 彼女が『六英雄』に求められるほどの力を発揮できたなら——。


 気づけば、足が前へと踏み出していた。

 無言のままシルヴィアの手から宝珠を奪い取ろうと手を伸ばす。


「っ!」


 だが、俺の指先が触れるよりも早く、シルヴィアの手首が滑らかに返される。澱みのない最小限の動きで俺の腕はいなされ、虚しく空を切った。


「……戯れをやめよ。これは玩具ではないのだ」


 シルヴィアの声は低く、静かな怒りすら帯びていた。

 空振った手を握りしめ、俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見返す。


「戯れなんかじゃありません。……それを使えば、状況が好転するかもしれないんですよね」


 脳裏をよぎるのは死力を尽くし戦い、傷つき倒れていった者たちの姿だった。

 神官たちは倒れるまで宝珠に力を注ぎ込み、バルガスやガーディムは己の身を顧みること無く『凶星の灰竜』へと立ち向かい一矢を報いた。その背中を決して忘れてはいけない。そう強く思った。

 彼らは皆、当たり前のように命を懸けていた。


「カナタ、いけません。貴女には……」


 白銀の装甲が、再び俺と宝珠の間を遮る。

 碧い瞳には、本気で心配している色が見える。


「……ああ、そうだな。無理かもしれない」


 自分でも驚くほど、ひどく乾いた声だった。

 握りしめた拳は、情けなく震えているのが自分でも分かる。


「俺は誰かのために命を賭けられるほど、立派な人間じゃない」

「カナタ……」

「俺は怖い……自分が死ぬのが怖いんだ。……だから守ってくれ、ブリュンヒルトっ!」


 一歩踏み込み、彼女の白銀の籠手を掴む。俺の小さな手ではとても包み込めない、頼りになる腕だ。冷たい金属の感触の奥に訴えかけるように、真っ直ぐに見上げる。


「お前が本気を出せたら、敵を倒せるんだろう!?だったら俺だってちょっとくらい危険を冒すさ!」


 ひどく身勝手で、情けない叫びだった。自分でももはや何を言っているのかわからない。

 だが、すがりつく俺の震える手を見下ろし、ブリュンヒルトは小さく息を吐いた。碧い瞳が困ったように、だがどこか熱を帯びたように揺れる。


「……あなたは本当に、どうしようもないですね」


 呆れているような、しかし愛おしむような響き。彼女の中でどのような葛藤があったのか、俺には知る由もない。


「……分かりました。そこまで覚悟を決めているのなら、私も腹を括りましょう。シルヴィア様、御覧の通りです」

「だが……いや、そなたらの心意気に敬意を……」


 ブリュンヒルトは俺の手をそっと外し、代わりに黒檀の杖——『天眼の琥珀(アンバーアイ)』をしっかりと握らせてくる。ずしりとした質量が、伝わってくる。


「……?」


 この行為に何の意味があるのか、俺が首を傾げていると、白銀の騎士から無慈悲な言葉が降ってくる。


「おそらく、文字通り死ぬほどの苦痛を伴います。杖の治癒があれば命の危険はないでしょうが、精神が耐えきれるとは限りません。気をしっかりと保っていてください」


 死ぬほどの苦痛。

 その不穏すぎる言葉の意味を脳が理解するよりも早く、シルヴィアが口を開く。


「安心しろ、カナタ。なるべく……そうだな、なるべく優しく注ぐよう善処しよう」


 俺を安心させようと微かに口角を上げているが、その瞳にはひどく張り詰めた緊張が宿っていた。どう見ても目が笑っていない。

 そうして、シルヴィアの持つ宝珠が俺の胸元へと押し当てられた。


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