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26話
深い泥の底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上してくる。
瞼の裏に微かな光の刺激を感じて、俺は目を覚ました。
「……ん」
「目覚めましたか、カナタ」
朝の陽光と共に、真っ先に耳に入ってきたのは凛とした声だった。
ぼやけた視界が明瞭になると、ベッドのすぐ傍らにブリュンヒルトの姿があった。
窓から差し込む光を受けて、白銀の鎧が神々しく輝き、まるで絵画から出てきたような佇まい。こちらを見つめる視線に少し熱がこもっていたように感じたが、瞬きをするといつもの涼やかな碧い双眸に戻っていた。寝起きで見間違えたのだろうか。
「おはよう、ブリュンヒルト……。俺、いつの間にか寝てたのか……あんまり憶えてないや」
「昨日は多くのことがありましたから、お疲れだったのでしょう。無理もありません。これをどうぞ」
ブリュンヒルトは流れるような所作で『天眼の琥珀』を差し出す。俺は訳もわからず受け取ると、淡くほのかに温かい黄金の光がわずかに瞬いた。
するとどうだろう。先程まで身体の芯にこびりついていた鉛のような疲労感が抜けていくではないか。ほんの僅かな回復で全快するとは、恐るべき硝子の身体である。
「……あ」
すっかり身体が軽くなったところでベッドから起き上がり、改めてブリュンヒルトの姿を見て俺は息を呑んだ。一見するといつもの流麗な鎧を身に纏っているようであるが、至るところにできた傷や焦げ跡は残ったままだった。
「その傷、直ってないんだな……」
「ええ、本来なら剣や盾と同じく魔力で修復させるのですが、今の状態ではなかなか……」
涼しい顔で言う彼女に、俺は唇を噛む。もしも俺がセレアであれば、ブリュンヒルトにあれほどの無茶をさせることもなかっただろう。こんな、限られた魔力をやりくりするカツカツの貧乏生活のような真似をさせていることが、ひどく申し訳なかった。
「お気になさらず。一晩その杖からの回復を受けていたので、多少はましになっていますよ」
「ごめんな、俺がもっとしっかりしていれば……。あ、そうだっ!」
昨日の俺が意識を失う前の記憶が、徐々に浮かんでくる。
肉体的にも精神的にも疲労困憊で部屋にたどり着く直前に出会った人物。その底知れない存在感と威圧感がトドメとなり、俺は意識を失ったのだ。
「シルヴィア……竜騎士のシルヴィアが居て、それで——」
シルヴィアは人類最強たる『六英雄』の一角にして、この世界の王族でもある。そんな相手に出会い頭で倒れるなど、第一印象で不興を買ったに違いなかった。
俺は一気に血の気が引き、頭を抱える。
「ま、まずいぞ……。この世界に不敬罪とかあったら……最悪、首が飛ぶんじゃ……」
俺のそんな不安をかき消すように、ブリュンヒルトは冷静な表情を崩さずに告げた。
「ご安心を。シルヴィア様とは昨夜、大変有意義な会談を行うことができました」
「有意義な会談?」
「ええ、私からシルヴィア様にカナタの保護をお願いしたのです。貴女についての情報を丁寧にお伝えしたところ、快諾して頂きました」
情報を伝えた……なるほど。
俺の持つ、ゲームを通して得たこの世界の知識は、言わば予言書のようなものだろう。それが有用だと、戦略的に判断されてもおかしくはない。
(でもたぶん、今の状況って『エターナルレジェンド』がサ終してからの話だから、わかることなんて何もないんだけど……)
現在の状況ですら、本来であれば起きるはずのない『古都ヴァルハスト』での『凶星の灰竜』との戦いだったのだ。もしこれからの展開などの話になれば、話せることは何もなかった。
内心で冷や汗をかきつつも、『六英雄』の一人が味方をしてくれるのなら、これほど心強いことはないと笑みをこぼす。
「なんとか役に立てるように、頑張るしか無いか」
「……?カナタはそのままでも十分に素晴らしいと思いますよ」
俺の不安げな決意に、ブリュンヒルトも肯定を込めた声で頷いてみせた。
「それより、先ほどシルヴィア様より会議を行うとの伝令が届きました。内容は聞かされていませんが、私たちにも参加して欲しいとのことです」
「俺にも?」
会議と聞いて、昨日の灰竜への反撃へと至った流れが脳裏をよぎる。
あの時、俺がつい余計な発言をしてしまったことが、結果的に大きな影響を与えてしまった。その結果が惨状へと繋がってしまった。脅威を排除できたとはいえ、俺が背負ってしまったものは、あまりに重すぎた。
俺は、今度こそ置物のように黙っていようと心に誓った。
「ええ、ですがその前に湯浴みというわけにはいきませんが、体を綺麗にしておきましょう」
言われてみれば、昨日あれだけのことがあったのだ。服や肌が汗や血で大変なことになっている。もはや感覚が麻痺してしまっているが、いくらなんでもこの有様で会議に出るわけにはいかないだろう。
部屋の隅にお湯と清潔な布が用意されていることに気づき、俺は足早に近づいた。
「それじゃあ、パパっと拭いちゃうからあっち向いててくれ」
この身体はセレアのものだが、中身の俺は男なのだ。着替えやあられもない姿を女性であるブリュンヒルトに見られるのは、流石に気まずく羞恥心が勝る。
慌てて背を向けようとした俺の肩を、ブリュンヒルトが優しく、がっしりと掴んだ。
「大丈夫です。これでもセレアが子どもの頃はよくお世話をしたものです」
「い、いや、ほんと自分でできるから!」
「慣れぬお身体でしょう。どうか私にお手伝いさせてください」
「や、やめ——」
いつも通りの涼しい顔をした白銀の騎士の膂力に、俺が抵抗できるはずもなく、隅々までぴかぴかに磨かれることとなった。
とはいえ、男である俺にとって、女性特有の長い髪の手入れや、繊細な肌の扱いなどがわかっていないのも事実。恥ずかしさで死にそうになったものの、お湯で絞った布で手際よく汚れを落としていく彼女の所作は、驚くほど心地よかった。
流石はブリュンヒルトという思いと共に、どこか弄ばれたような、釈然としない思いも抱えることにはなったが。




