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ブリュンヒルトと城へ戻るとそこではまだ地獄が続いていた。急造の医療所として使われている大広間や中庭には、多くの負傷者たちが横たわっており、完全にキャパシティを超えてしまっているようだった。
むせ返るような血の匂いが充満し、苦痛に呻く声が至るところから聞こえてくる……。
「しっかり抑えておけ!今のうちに縫合するぞ!」
「クソッ、魔力が足りん……」
「清潔な布と水を持ってきてくれ!」
数少ない医者や治癒師が、血眼になって走り回っている。しかし、圧倒的に人手が足りていない。何より、神官の数がまるで足りていないように見えた。
ゲームの知識ではあるが、神官職は優れた回復性能を持っているはずで、今の状況なら特に必要になる。だが——。
「あ、そうか……」
灰竜との戦いで宝珠を扱うために多くの神官が力を使い果たし、倒れていく様を思い出す。おそらく、彼らは未だ動ける状態にないのだろう。
次々と運び込まれてくる負傷者たちを前に、俺の心臓は嫌な音を立てて軋む。
この光景を作った要因の一つが俺であるという事実が、心を締め付けてくる。
『天眼の琥珀』をぎゅっと握りしめ、決意を込めて言った。
「ブリュンヒルト、俺も手伝いたい」
「……ええ」
俺には専門的な医療の知識もなければ、魔力を使った回復魔法も使えない。だが、『天眼の琥珀』があれば、少なくとも応急処置程度の効果は発揮するはずだ。僅かでも手助けになれば、この気持ちが和らぐかもしれない。そんな自分が、嫌になる。
大広間の入口に立ち、忙殺される人々に向けて声をかけようと息を吸い込んだ。
「あ、あの……っ!」
だが、俺のひ弱な声は怒号にあっさりかき消されてしまう。
たじろぐ俺の前に、すっとブリュンヒルトが進み出た。
「我々にも手伝わせていただきたい。この杖は命を繋ぐ秘宝——重傷者への応急処置に適してます」
凛とした声が、広間によく通った。
人々の視線が、突然現れた白銀の騎士と俺に向けられる。痛切な空気の中でのあまりの場違いさに、俺は思わず肩を跳ねさせ、ブリュンヒルトの後ろへ隠れてしまう。
だが、それも一瞬のこと。
今は誰も彼もが余裕がなく、すぐに自分の仕事へ集中し始める。
「それは助かる!こっちへ来てくれ!」
医者の一人に呼ばれるままに駆け寄ると、そこは重傷者ばかりが集められた区画だった。
「とにかく手が足りないんだ!少しでも治療を頼む!」
「わ、わかりました!」
俺は頷くと、すぐに動き出した。
どこを見渡しても、痛々しく包帯から血が滲み、足や手がまともではない負傷者が横たわっている。俺は床に膝をつき、苦痛に顔を歪める兵士の手に『天眼の琥珀』を握らせるように手を添える。
杖にはめ込まれた琥珀から淡い光が溢れ、兵士の身体を優しく包み込んでいく。
しばらくそうしていると、徐々に兵士の顔が和らぐのが分かった。「鉄の牙」の二人のときと同じ、鎮痛作用や最低限の治癒効果が働いているのだろう。
「出血が止まりました。もう大丈夫でしょう」
けが人の診断など、俺にはできない。ブリュンヒルトに全て任せ、俺はひたすら杖を握らせることに集中する。
俺のときほど劇的に治るわけではないが、今は応急処置だけでいい。死の淵さえ脱すれば、後は本職の医師や治療師に任せるのだ。
「次だっ……」
すぐに横で呻く別の重傷者の元へ急ぐ。そして、また杖を握らせる。
自己満足でいい、それで彼らが助かるなら……。今自分に出来ることをするべきだ。
「す、すぐに痛くなくなりますから」
恐怖と激痛で強張る彼らの顔を、しっかりと見て、必死に笑顔を作る。不安にさせないよう、声が震えないように気をつけながら。ブリュンヒルトの言葉を頼りに一人、また一人と、俺達はこの区画を這いずるようにして回っていく。
「大丈夫ですからね……」
杖を握らせた兵士の手から、不意に力が抜ける。顔は青白く、呼びかけにも反応がなくなる。杖の光も、行き場を失ったように露と消えていく。
「……もう息を引き取っています」
ブリュンヒルトが静かに告げるのを聞いて、視界が滲み、呼吸も苦しくなる。
それでも、隣を見れば弱々しく呼吸をする重傷人がいるのだ。泣いている暇などない。俺は乱暴に涙を拭うと、再び笑顔を貼り付け、次の負傷者の元へと向かう。
ここもまた、確かに血と死が支配する戦場だった。
—————
何度、同じことを繰り返しただろう。
気づけば太陽は西へ沈み、壁に取り付けられている動力不明の光源に照らされていた。
極度の緊張と疲労で、ふいに足から力が抜け、意識が飛びそうになったところを、ブリュンヒルトに受け止められる。
「重篤だった者たちの容態は、すべて安定しました。……本当に頑張りましたね」
「……ああ」
彼女の穏やかな声に、張り詰めていた何かが切れるのを感じた。
救えなかったものの重さと、確かに誰かの明日を繋いだという実感。相反する感情がぐちゃぐちゃに混じり合い、今はただ、泥のように眠りたかった。
「お嬢ちゃん、それに騎士様も……本当に助かった。私たちだけでは何人救えたか……後は任せて欲しい」
「カナタ様、助かりました……」
「か、感謝を……」
他の医師や治癒師も同様に、疲労の色が濃い。彼らはまだ仕事を続けるのだろうに、去ろうとする俺とブリュンヒルトに、深々と頭を下げる。未だ苦痛に呻く冒険者や兵士たちも、絞り出すように感謝の言葉を述べようとしている。向けられる眼差しは痛いほどにまっすぐで、俺は力なく「安静にしてくださいね」と返すのが精一杯だった。
ようやく休息をとるために、あてがわれた部屋へと向かっていた時だった。
薄暗い石造りの廊下の先に、一人の人物が佇んでいた。
深い森を思わせる深緑の装甲に、銀意匠があしらわれた鎧を纏い、強い意志を感じる瞳でこちらを見つめている。
人類の希望にして最高戦力たる『六英雄』にして、『竜騎士』シルヴィア・ローゼンクロイツ。その佇まいは、まさに英雄というに相応しいものだった。
「そなたらがカナタと、ブリュンヒルトであるな」
そこからの記憶はない。
精神と身体が限界に達していた俺は、これ以上の情報過多に耐えられず意識を失ったのだった。
次話から2話ほど視点が変わります。




