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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
23/44

23

 ブリュンヒルトと城へ戻るとそこではまだ地獄が続いていた。急造の医療所として使われている大広間や中庭には、多くの負傷者たちが横たわっており、完全にキャパシティを超えてしまっているようだった。

 むせ返るような血の匂いが充満し、苦痛に呻く声が至るところから聞こえてくる……。


「しっかり抑えておけ!今のうちに縫合するぞ!」

「クソッ、魔力が足りん……」

「清潔な布と水を持ってきてくれ!」


 数少ない医者や治癒師が、血眼になって走り回っている。しかし、圧倒的に人手が足りていない。何より、神官の数がまるで足りていないように見えた。

 ゲームの知識ではあるが、神官職は優れた回復性能を持っているはずで、今の状況なら特に必要になる。だが——。


「あ、そうか……」


 灰竜との戦いで宝珠を扱うために多くの神官が力を使い果たし、倒れていく様を思い出す。おそらく、彼らは未だ動ける状態にないのだろう。

 次々と運び込まれてくる負傷者たちを前に、俺の心臓は嫌な音を立てて軋む。

 この光景を作った要因の一つが俺であるという事実が、心を締め付けてくる。

天眼の琥珀(アンバーアイ)』をぎゅっと握りしめ、決意を込めて言った。


「ブリュンヒルト、俺も手伝いたい」

「……ええ」


 俺には専門的な医療の知識もなければ、魔力を使った回復魔法も使えない。だが、『天眼の琥珀』があれば、少なくとも応急処置程度の効果は発揮するはずだ。僅かでも手助けになれば、この気持ちが和らぐかもしれない。そんな自分が、嫌になる。

 大広間の入口に立ち、忙殺される人々に向けて声をかけようと息を吸い込んだ。


「あ、あの……っ!」


 だが、俺のひ弱な声は怒号にあっさりかき消されてしまう。

 たじろぐ俺の前に、すっとブリュンヒルトが進み出た。 


「我々にも手伝わせていただきたい。この杖は命を繋ぐ秘宝——重傷者への応急処置に適してます」


 凛とした声が、広間によく通った。

 人々の視線が、突然現れた白銀の騎士と俺に向けられる。痛切な空気の中でのあまりの場違いさに、俺は思わず肩を跳ねさせ、ブリュンヒルトの後ろへ隠れてしまう。

 だが、それも一瞬のこと。

 今は誰も彼もが余裕がなく、すぐに自分の仕事へ集中し始める。


「それは助かる!こっちへ来てくれ!」


 医者の一人に呼ばれるままに駆け寄ると、そこは重傷者ばかりが集められた区画だった。


「とにかく手が足りないんだ!少しでも治療を頼む!」

「わ、わかりました!」


 俺は頷くと、すぐに動き出した。

 どこを見渡しても、痛々しく包帯から血が滲み、足や手がまともではない負傷者が横たわっている。俺は床に膝をつき、苦痛に顔を歪める兵士の手に『天眼の琥珀』を握らせるように手を添える。

 杖にはめ込まれた琥珀から淡い光が溢れ、兵士の身体を優しく包み込んでいく。

 しばらくそうしていると、徐々に兵士の顔が和らぐのが分かった。「鉄の牙」の二人のときと同じ、鎮痛作用や最低限の治癒効果が働いているのだろう。


「出血が止まりました。もう大丈夫でしょう」


 けが人の診断など、俺にはできない。ブリュンヒルトに全て任せ、俺はひたすら杖を握らせることに集中する。

 俺のときほど劇的に治るわけではないが、今は応急処置だけでいい。死の淵さえ脱すれば、後は本職の医師や治療師に任せるのだ。


「次だっ……」

 

 すぐに横で呻く別の重傷者の元へ急ぐ。そして、また杖を握らせる。

 自己満足でいい、それで彼らが助かるなら……。今自分に出来ることをするべきだ。


「す、すぐに痛くなくなりますから」


 恐怖と激痛で強張る彼らの顔を、しっかりと見て、必死に笑顔を作る。不安にさせないよう、声が震えないように気をつけながら。ブリュンヒルトの言葉を頼りに一人、また一人と、俺達はこの区画を這いずるようにして回っていく。


「大丈夫ですからね……」


 杖を握らせた兵士の手から、不意に力が抜ける。顔は青白く、呼びかけにも反応がなくなる。杖の光も、行き場を失ったように露と消えていく。


「……もう息を引き取っています」


 ブリュンヒルトが静かに告げるのを聞いて、視界が滲み、呼吸も苦しくなる。

 それでも、隣を見れば弱々しく呼吸をする重傷人がいるのだ。泣いている暇などない。俺は乱暴に涙を拭うと、再び笑顔を貼り付け、次の負傷者の元へと向かう。

 ここもまた、確かに血と死が支配する戦場だった。




—————




 何度、同じことを繰り返しただろう。

 気づけば太陽は西へ沈み、壁に取り付けられている動力不明の光源に照らされていた。

 極度の緊張と疲労で、ふいに足から力が抜け、意識が飛びそうになったところを、ブリュンヒルトに受け止められる。


「重篤だった者たちの容態は、すべて安定しました。……本当に頑張りましたね」

「……ああ」


 彼女の穏やかな声に、張り詰めていた何かが切れるのを感じた。

 救えなかったものの重さと、確かに誰かの明日を繋いだという実感。相反する感情がぐちゃぐちゃに混じり合い、今はただ、泥のように眠りたかった。


「お嬢ちゃん、それに騎士様も……本当に助かった。私たちだけでは何人救えたか……後は任せて欲しい」

「カナタ様、助かりました……」

「か、感謝を……」


 他の医師や治癒師も同様に、疲労の色が濃い。彼らはまだ仕事を続けるのだろうに、去ろうとする俺とブリュンヒルトに、深々と頭を下げる。未だ苦痛に呻く冒険者や兵士たちも、絞り出すように感謝の言葉を述べようとしている。向けられる眼差しは痛いほどにまっすぐで、俺は力なく「安静にしてくださいね」と返すのが精一杯だった。


 ようやく休息をとるために、あてがわれた部屋へと向かっていた時だった。

 薄暗い石造りの廊下の先に、一人の人物が佇んでいた。

 深い森を思わせる深緑の装甲に、銀意匠があしらわれた鎧を纏い、強い意志を感じる瞳でこちらを見つめている。


 人類の希望にして最高戦力たる『六英雄』にして、『竜騎士』シルヴィア・ローゼンクロイツ。その佇まいは、まさに英雄というに相応しいものだった。


「そなたらがカナタと、ブリュンヒルトであるな」


 そこからの記憶はない。

 精神と身体が限界に達していた俺は、これ以上の情報過多に耐えられず意識を失ったのだった。


次話から2話ほど視点が変わります。

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