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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
20/44

20

凶星(ディザスター)灰竜(ワイバーン)』が、天を仰ぐようにして大きく顎を開いた。

 その周囲の空気が、熱波と共に口内へと吸い込まれていく。禍々しくも圧倒的な熱量が、その喉の奥で臨界点に向けて圧縮されていくのがはっきり分かる。


 ゲームでは地面に表示される赤い範囲から外れさえすれば、敵の攻撃は簡単に回避できた。パターンも一定で、慣れたプレイヤーならば次の攻撃の場所を予測して立ち回ったりもしていた。

 だが、現実は違う。足元には石畳がめくれたむき出しの土と瓦礫ばかりで、親切な警告などありはしない。仮に直撃しなくとも、大規模な火炎は、その余波だけで容易に命を刈り取るだろう。


 背筋に強烈な悪寒が走る。

 熱波の中心にある赤黒い双眸——『凶星の灰竜』と視線が絡み合ったのだ。

 間違いない。おそらく放たれようとしてる致死のブレス。その射線上にあるのは、ここだ。


 殺意が、膨れ上がる。

 足がすくんで、一歩も動けない。

 そして、城壁すらも焼き尽くした灼熱が、ついに解き放たれた。


 最初に『凶星』を認識し、喉が潰れそうなほどの叫びを上げて警告してから、ほんの僅かの時間だった。広場の者たちはどれくらいが退避できただろうか——。


「あ、」

 

 思考が白く染まる。逃げることも、目を閉じることすら間に合わない。

 圧倒的な死の奔流が迫る。

 その刹那だった。


 ——視界が、眩い白銀に覆われた。


 鼓膜を破るほどの爆音と共に、世界が紅蓮に飲み込まれる。地面を溶かすほどの業火——しかし、俺達の身体が灰と化すことはなかった。


 眼前には、白銀の鎧を身に纏う騎士、ブリュンヒルトが立ちふさがっていた。

 彼女が顕現させた大盾は地面に深々と突き刺さり、俺達を覆うように半球状の光の壁を作り出している。激流のように押し寄せる炎を、軋みを上げながらも受け止めていた。凄まじい熱気が壁を通して肌を焼くが、致命的なほどではない……。

 

 未だ勢いの収まらない灰竜のブレスは、彼女の背中の向こう側で二つに分かれて、周囲の瓦礫を溶かしながら破壊の限りを尽くしていく。


「なるほど。カナタ、貴女の話した『レイドボス』の知識は、おおよその灰竜の特徴を捉えているようです」


 灼熱の中でも、ブリュンヒルトは涼し気な様子を崩さない。

 世界が終わりを迎えるかのような業火の嵐の中で、揺らぐことの無い城のような白銀の騎士。絵画から抜け出してきたような立ち姿は、神々しさすら感じられた。


 炎が収まり、焦げた匂いと黒煙が広場を包み込む中、ブリュンヒルトの叱責が飛ぶ。


「——ですが、このような危険を冒すのは褒められたことではありませんね。貴女の役目は刃を振るうことではないのですから」

「す、すまない……」

「全くです。なぜこのような——」


 背後にいる俺達をちらりと見たブリュンヒルトは、束の間、沈黙する。彼女の背後には、俺と数名の兵士、そして倒れ伏すガーディムたちがいた。

 彼女は一つ嘆息して、口を開いた。


「……例え戦いの中でも、貴女の身に危険が迫れば気づくことができますが、自分の命を第一に考えるのをお忘れなく」

「……あ、ありがとう。助かった……」


 勝手な行動を咎めつつも、身を挺して俺を守ってくれるという。その頼もしい背中を見上げていると、張り詰めていた糸が緩んでいくのを感じる。

 だが、その時だ。ピキリ、と不吉な音が響いた。 


「ブリュンヒルトっ……、盾が!」


 ブリュンヒルトの持つ大盾には、大きな亀裂が入っていた。そして幾筋もの罅が表面を走り、ガラスの割れるような音を立てると共に、光の粒子となって空中に溶けていく。


「少々、魔力を使いすぎました。……まずいですね」


 彼女が厳しい視線を向ける先、煙が晴れつつある広場の中央を見る。


(そうだ、そうだった……)


 ゲーム中の『凶星の灰竜』がもつ厄介な特性として、灰の中では急速に体力を回復することがあった。体力が減ると熱波を放出し、火炎を吐き出し自ら灰を作り出すのだ。こちらは近づけず、敵は急速に傷を癒す——故にゲーム内では即死級のブレス攻撃を避けながら、ギリギリの距離を保って攻撃をする手腕(プレイヤースキル)が求められた。

 そして、現実にそれが出来る唯一の存在、ブリュンヒルトは俺の側にいる。つまり——。

 

 焦熱地獄が終わり、世界は舞い散る灰に覆われていた。ある種、幻想的とも言える光景の中で、不気味な音が響く。『凶星の灰竜』が自らが生み出した灰を、その巨体へ吸い込んでいるのだ。熱と灰を糧にして、みるみるうちにひび割れ抉れた身体や、切断された尾すら再生していく。


「は、はは……」


 あまりの絶望に、乾いた笑いが漏れた。

 思い出したのだ。『エターナルレジェンド』で俺が『()()』と呼ばれていた理由を。


 俺はゲームが上手くない。否、下手だった……。幸運にも、ブリュンヒルトという超高性能な召喚獣を手に入れたときには、その流麗かつ力強い見た目に見惚れつつ、「これでやっと人並みに活躍できる!」と喜んだものだった。

『召喚士』とは召喚獣を顕現させて戦うクラスで、『エターナルレジェンド』では数え切れないほどの種類の召喚獣に、それぞれ独自のAIが搭載されていた。

 攻守に優れ、希少性も高い『白銀の騎士ブリュンヒルト』も当然ながら高性能な独自行動機能を備え「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」のである——敵への攻撃や味方への支援、全ての命令を無視して。

 召喚士は後衛で指示を出すのがメインのクラス。耐久力は低いが、そもそも被弾が少ないので問題にはならない、はずだった。

 ……そう、プレイヤーがまともならば。

 俺のセレアの操作は10年以上経っても拙いままで、ブリュンヒルトが本来の性能を発揮することはほぼなく、あらゆる戦いでパーティーの連携を破壊するだけの存在だったのだ。

 

 そしてこれは、ゲームではない。やり直しの効かない現実……。

 ずしりと重く冷たい罪悪感が、臓腑を締め付けてくる。

 灰竜はすでに再生を終えた無傷の翼を誇示するように広げ、低い唸り声を上げていた。


「カナタ、私がいなくなったあとは、アルベルト殿を頼りなさい」

「え……?」


 凛とした声。些かの揺るぎもなく告げられる言葉に、思考が止まった。

 俺の困惑に答えるまでもなく、大剣を構え、腰を大きく沈めるブリュンヒルト。それは、城壁の上で灰竜に向けていたものと同じだった。


『—————————!!』



『凶星の灰竜』の咆哮が、空間を揺るがす。力強く翼をはためかせ、吹き荒れる風と共に巨体が宙へと浮き上がる。再び、空からの無慈悲な蹂躙が始まろうとしている。


 ブリュンヒルトの全身から爆発的に何かが噴き上がるのを感じる。肌が粟立つほどの凄まじい圧迫感——闘気や剣気といったものがあるならこういうものを言うのだろう。周囲の空間を軋ませるほどの魔力が、大剣へと収束していく。

 ただでさえ魔力を消費している彼女が、これだけの技を放てばどうなるか、俺にだって分かった。俺の悲痛な叫びも、力の奔流にかき消されていく。


 その刹那だった。


「——『翠緑の流星(グリーンフォール)』」


 天からの涼やかな声と共に、上空へと飛び上がろうとしていた『凶星の灰竜』の頭上に、一条の流星が堕ちた。








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