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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
19/44

19

 『凶星(ディザスター)灰竜(ワイバーン)』の巨大な身体がのたうち回り、僅かに残った広場の石畳が次々と砕け散る。そこへ、ブリュンヒルトは容赦なく追撃を重ねていく。

 尾を失った灰竜の挙動には、明らかな狂いが生じていた。姿勢を立て直そうと踏み込んだ前脚がもつれ、無様に体勢を崩す。苛立ちに任せて巨大な顎で噛み砕こうと首を振るが、距離感が狂っているのか空を切るばかりだ。その隙をついて、白銀の剣が無慈悲に灰の殻を粉砕していく。


 俺はハッとして視線を巡らせた。

 先ほど吹き飛ばされたガーディムと重戦士が、広場の端の瓦礫に倒れ伏している。他の冒険者や兵士たちは暴威から身を守るのに手一杯で、動けない二人の元に向かえそうなのは、最も近くにいる俺達だけのように思えた。



 広場の惨状に足が竦む。

 だが、このままでは彼らは瓦礫の下敷きになるか、戦闘の巻き添えを食って確実に死ぬだろう。

 そう思うと自然と口が動いていた。



「あ、あの人たちのところへ行こう……!」

「そ、そんな!危険です!」


 一緒に隠れていた兵士たちの顔が、より一層青ざめる。元より彼らは恐怖に震え、ここで息を潜めていたのだ。急に化物が暴れ狂う死地へ飛び出せと言われて、すんなり頷くはずもない。

 震える手で杖——『天眼の琥珀(アンバーアイ)』を握りしめる。今ここで眺めているだけの自分が無性に恥ずかしく、ひどく情けなく思えた。



 実際のところ、今の俺の役割はブリュンヒルトが戦えるように近くにいること。あえて危険を冒す必要なんてどこにもなく、むしろ可能な限り安全な場所でじっとしているのが戦術的に正解なのだ。もっとも、彼らがそれを知る由もないだろうが……。

 頭では分かっている。

 それでも、魂の奥底から湧き上がってくる何かが、告げるのだ。ここで動かねば、きっと後悔すると。


「……ごめん、俺行くわ」


 制止を振り切って、俺は瓦礫の陰から飛び出した。

 吹き荒れる風と、飛散する何かの破片が容赦なく頬を掠める。恐怖で心臓が破裂しそうになるのを必死にこらえ、暴力の嵐の中を無我夢中で駆け抜けた。息を切らして二人の元へとたどり着き、急いでその身体を覗き込む。


「ガーディムさんっ!しっかりしろ、生きてるかっ!?」

「がッ……嬢ちゃん……?馬鹿野郎、死にたいのか……早く、下がって……」


 口の端から血を流しながらも、ガーディムは辛うじて意識を保っていた。側に倒れている重戦士の方も、ひしゃげた鎧の下で浅く息をしている。


(よかった、生きてる……)


 心底安堵して、俺は慌ててガーディムの傷口に手を伸ばした。だが、流れ出す鮮血を前にして、手がピタリと止まってしまう。心臓の鼓動が早くなり、足元が揺らぐ感覚。


(ぬ、布で抑えて……いや、止血はどこか縛るのか?)


 現代日本でただのゲーマーだった俺の応急処置の知識なんて、精々人工呼吸やAEDの使い方程度のものだった。震える手で自分の服の裾を破り、何かで見た姿を真似て傷口を強く縛ろうとしてみるものの、血の勢いは一向に収まらない。

 俺の不器用な手当にガーディムが痛みに顔を歪めるのを見て、焦りが募っていく。


「せ、せめて安全な場所に……」


 鎧を掴み、必死に後ろへ引こうとするが、華奢な身体の細腕ではぴくりとも動かすことはできなかった。自分の無力さに歯噛みし、泣きたくなってくる。

 その時、骨折していそうな場所の添え木にしようとして諦めていた『天眼の琥珀』、その黒檀の杖にはめ込まれた琥珀が、鈍く光を放っているのに気がついた。


 『天眼の琥珀』は俺がセレアに似合うという理由だけで、夏のボーナスを注ぎ込んで手にいれたガチャ装備。決して高くはない性能に加えて、様々な事情が絡んで炎上騒動にもなった……。

 その最大の特徴に使用者に対する『自動回復オートヒール』があるが、効果は高くなく——。


「ああっ!」


 もしも、あの効果が現実でも存在するのなら——いや、俺はすでに経験したはずだ。記憶の中に散らばる欠片が形を成していく。俺が最初に重傷を負った時に、助かったのは間違いなくこの杖のおかげだ。


 俺は悲鳴を上げたい気持ちを抑えながら、ガーディムの血に濡れた重い手を引っ張り『天眼の琥珀』へと無理やり触らせる。俺は涙目になりながら祈った。


(頼む!発動してくれっ!)


 すると杖にはめ込まれた龍の目のような琥珀は呼応するかのように淡い黄金の光を放ち、彼の傷口を包み込んでいく。春の陽光を煮詰めたような柔らかな光——間違いない、あの時に見たものだ。


「お、おお……。痛みが、引いていく……?」


 驚愕に目を見開くガーディム。目に見えて出血が止まり、彼の顔にわずかに血色が戻り始めた。同じことを重戦士にも行うと、やはり光が僅かに彼を回復させているように見えた。どうやら上手く行ったようだった。


「よかった……」


 へたり込みそうになるのを堪えていると、俺は背後に気配を感じ、振り返る。

 さっきまで共に隠れていた兵士たちが、恐怖を振り切ることができたのか、すぐ側にまで追いかけてきていた。そして、なぜか唖然と立ち尽くしている。戦場にいることなど忘れているかのように……。


(なんで突っ立てるんだ!?早く手を貸してくれっ!)


 『天眼の琥珀』の治癒は俺の時ほど劇的なものではなく、あくまでも出血を止め、苦痛を和らげている程度しか効果を発揮しておらず、二人は未だ自力で動けそうにはなかった。

 ここは未だ死地、飛んでくる瓦礫の一つでも直撃したなら致命傷になりかねない。早く二人を物陰へ運ばなければ。

 俺が彼らへと声をかけようとしたとき、広場の中央から、地鳴りのような重低音が響き渡った。


 視線を向けると、全身を覆っていた灰の殻がひび割れだらけになっている『凶星の灰竜』の姿。その殻の下に見える赤の身体が脈打ち、ひときわ強く紅蓮の光を放つ。

 全身から凄まじい熱波を放っているのだ。

 空気が陽炎のように歪み、広場に熱風が吹き荒れる。比較的離れたこちらにまで頬を焼く熱が伝わってくる。先程までは翻弄し、圧倒していたブリュンヒルトであっても、超高温の放射を前にしては距離をとるしかないようだった。


 そして、熱波の中心で鎌首をもたげた灰竜の、赤い双眸が突如として禍々しく赤黒い光を放ち始めた。

 その輝きこそが『凶星』たる由来——俺の中にあるゲーマーとしての記憶が、最大級の警鐘を鳴らしている。熱波の放出、凶星の発生……。間違いない。広範囲に及ぶ即死級のブレスの予兆だった。


「逃げろおおおおおおおッ!!」


 肺がちぎれても良い、そんな俺の絶叫が戦場に響いた。




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