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灰のサルキア  作者: ぽわっとらんど
古都編
16/20

16

 朝早くに始まった対策会議が反撃の準備へと変わったのは、まだ日が昇りきらないうちのことだった。

 それからの動きは怒涛の如き早さで、瓦礫だらけの城内をボロボロの兵士や冒険者たちが怒号を交わしながら走り回り、辛うじて無事な兵器が運び出されていく。神官たちは額に脂汗を浮かべながら、城を覆う結界のいたるところで何か幾何学的な模様と格闘している。あの神官のエレナという女性は見えないが、きっと城の宝珠とやらの場所にいるのだろう。

 時間にして二、三時間といったところだろうか。急ピッチで作業は進められていった。


 俺とブリュンヒルトは、城壁の上でその喧騒をただ眺めていた。

 もしも今『凶星(ディザスター)灰竜(ワイバーン)』が襲ってきた場合に素早く対処するためだったが、幸いこの間には数匹の魔物の影以外はまともな襲撃はなく、空を覆う灰の雲は、嵐の前の静けさのように不気味な沈黙を保っていた。


 やがて、眼下で忙しなく動き回っていた人々の声が遠くなっていく。

 いよいよ作戦開始の時が迫っているのだ。

 配置についた者たちが、武器を握り締め、祈るように、あるいは決死の覚悟で灰の雲を見上げている。


(……穴だらけの作戦だ)


 俺が急場しのぎで零した言葉に、彼らは命を懸けている。

 もし敵が飛行能力を失わなかったら藪蛇になるだけ。敵が地に堕ちたとして満身創痍の戦力で倒せるとは限らない。もし——。


 そんな堂々巡りの思考に囚われていると、階段を若い兵士が駆け上がってきた。


「カナタ様、ブリュンヒルト様!作戦の準備は整ったとのことです!」


 その声は震えているが、恐怖をねじ伏せるような悲壮な意志が宿っていた。

 俺がブリュンヒルトを見ると、彼女は堂々たる態度を崩さず頷いた。


「わかりました。我らも直ちに動けるように備えます」

「はっ!」


 若い兵士が弾かれたように踵を返し、階段を下りていく。


 そして、静まり返った古都ヴァルハストに重々しい鐘の音が一度だけ響き渡った。

後戻りはできない。番えられた矢は、あとは放たれるしかない。



 視線の先、半ば崩れ落ちた尖塔の上で、エレナと神官たちが祈りを捧げている姿が見えた。おそらく中央には宝珠とやらがあるのだろう。


 変化は劇的だった。

 城を覆っていた薄い膜のようなものが、水を吸い上げるように一箇所——尖塔へと収束していく。極限まで圧縮されていくにつれて強くなっていく光は、地上に太陽が出現したかのような錯覚さえ覚えるほどだった。

 そして、太陽が弾けた。

 目を焼くほどのまばゆい光の柱が、天へ向かって伸びていく。

 直後、神官たちがバタバタと糸の切れた人形のように倒れ伏すのをみて、俺の心は鋭く抉れていく。


 光の柱が上空を覆う灰の雲を貫いた瞬間、その様相が一変する。

 どんよりと淀んだ泥の海のようだったそれは、たちまちに激流となり、巨大な渦を巻き始めたのだ。不気味に蠢く雲の中から、鼓膜を破るような雷鳴が轟いた直後——。


『——————!!』


 都市全体の空気を震わせる咆哮と共に、そいつは姿を現した。

 白亜の尖塔など軽くへし折れそうな巨体に六枚の翼をもち、全身が鱗の代わりに幾重にも硬質化した灰のようなもので覆われている。全身から高熱を発しているのか所々に紅蓮が見え隠れし、動くたびにボロボロと燃えカスが雪のように剥がれ落ちる。


『凶星の灰竜』


 その絶対的な異様に、俺は震えを抑えることができなかった。

 モニター越しに見ていたポリゴンの塊とは、天と地ほどの差がある威容。生物としての次元が違うのを、本能に叩き込まれる感覚……。


 だが、エレナ達神官の献身は無駄ではなかった。

 六枚の翼の羽ばたきは不規則で重苦しく、本来なら悠然と空を泳いでいたであろう姿はそこにない。空中で巨体をよじらせ、灰をまき散らしながら高度を保とうと足掻いている。()()、きっと誰もがそう思った。


「今だ!撃てぇぇぇ!!」


 副隊長コルトの怒号を合図に、城壁に設置された複数のバリスタが一斉に発射される。

空気を裂き、丸太のように太い矢が何本も『凶星の灰竜』へ向かっていく。

 間違いなく直撃——したかに思われた。


「嘘だろ……」


 俺の口から、絶望の混じった呟きが漏れた。

 矢は確かに灰竜の身体に届きはした。しかし、その巨体をわずかも傷つけることは叶わず、硬い金属のような音を立てて落ちていった。硬質化した灰の殻の硬さは、攻城兵器すら弾く、圧倒的な硬度なのだ。

 次弾が装填され、同じことが何度も繰り返されるも、結果は変わらない。そしてまた次弾——。


 荒れ狂った灰の雲が、徐々に凪いでいく。

 それに合わせたかのように『凶星の灰竜』の体勢も、ゆっくりとだが持ち直しているように見えた。


「……仕方ありませんか」


 ブリュンヒルトの呟きを拾うと、彼女は難しい顔で灰竜を見つめている。

 そして、静かに大剣を顕現させると、腰を沈めて構えを取る。


「何を——」

「まあ、待ちな騎士様」


 俺が声を掛けるより早く、彼女を静止する存在がいた。

 バルガスだ。

 彼の手には、一本の無骨で重厚な槍が握りしめられている。


「あんたの仕事は、まだ先だ。ここは俺に任せてもらうぜッ!」


 言うが早いか、バルガスは城壁の縁ギリギリに立ち、槍を大きく振りかぶった。

 投擲するのだろうか。だが、相手はバリスタの矢すら弾く怪物だ。例え届いたところで効果があるとは思えない。


 直後、素人の俺から見ても尋常ではない雰囲気をバルガスが纏い始める。


「若ぇ頃に灰雲海に行ったときゃ、あいつは雲から出てこなかったからなッ!」


 それは、何か得体のしれない熱のようなものだった。

 バルガスの身体から、陽炎のようなゆらめきが立ち上り、構える槍へと吸い込まれていく。肌がピリピリと痺れるような重圧に、周囲の空気が軋むような音を立てるような錯覚。おそらくは魔力と呼ばれるそれが、槍の穂先に極限まで圧縮されていく。

 そして、ついに臨界に達した時、バルガスが吠えた。


「喰らええッ!『国崩し』ッッ!!」


 空気を切り裂く凄まじい轟音と共に、槍が放たれた。

 一条の流星が、天を穿つように空へと駆け上がる。

 灰竜は初めて回避するような動きを見せるが、動きは重く、まるで間に合っていない。


『—————ッ!?』


 鼓膜を破るような絶叫が響く。

 先程まで攻城兵器すらものともしていなかった灰の殻が大きく抉れ、内側から爆発したかのように弾け飛ぶ。灰の爆炎の下から現れた六枚翼は、その何枚かが無惨な姿を晒している。

 灰竜の巨体が大きくバランスを崩し、きりもみしながら落下していく。


 凄まじい地響きと共に、城下に見える広場に巨大な土煙が舞い上がった。



「『凶星の灰竜』が落ちた!」「おおおおおおっ!」「やった、やったぞっ!!」


 一瞬の静寂の後、城壁のあちこちから割れんばかりの歓声が湧き上がった。

 俺のあやふやな言葉を信じ、神官たちが命を削り、そして最後はバルガスが繋いた奇跡。俺もまた、心臓の鼓動が高鳴っているのを感じる。


「ガハハッ、ざまぁみろ……グッ」


 だが、今の点を穿つほどの一撃の代償は大きく、バルガスもまた無事では済まなかった。

 振り向いた俺の視界に入ったのは、ドクドクとあふれ出す大量の血飛沫。彼の身体は——その右肩から先が、無い。

 老いた身体の限界を超えて無茶をしたのだろう、満足げに笑った直後、その場に崩れ落ちていく。

 俺が声にならない悲鳴を上げた時には、すでに動いている影があった。

 倒れ込むバルガスの身体を、ブリュンヒルトが素早く抱きとめる。


「バルガスさん!!」

「旦那っ!」


 周囲にいた若い冒険者数人が、血相を変えて駆け寄ってくる。


「出血がひどい、すぐに治療所へ」


 ブリュンヒルトは冷静に告げ、彼らにバルガスの身体を預けた。

 素早く応急処置を施され、運ばれていくバルガス。彼の容態も心配だが、それを気にしている暇はないようだった。


 広場をいまだ覆う土埃の向こう側から、明らかな殺意と熱波がこちらに向かって膨れ上がってくるのを感じた。


「さあ、ここからは私の仕事です」


 静かに、しかし絶対の自信を持って言い放つと、ブリュンヒルトは白銀の大剣を構え直し、眼下の敵意へと鋭い視線を向けるのだった。



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