15
慌ただしく準備が進む中、門外漢である俺にやれることはなく、一度あてがわれた部屋へ戻ることになった。ブリュンヒルトは残るかとも思ったが、彼女の出番は『凶星の灰竜』が地上に降りてきてからであり、俺へ付き従うように部屋への廊下を歩いている。
靴音が等間隔に響く中、俺はぽつりとこぼす。
「なんか、ごめん……」
会議で俺が不用意に呟いた言葉が、どうにも議論の流れを変えてしまった気がするのだ。
防衛から打倒へ。あるいは、慎重からやけっぱちへ……。
「まったくです。おかげで私の計画が台無しになりました」
「……計画?」
彼女の言葉に足を止めるが、その声色に怒りや呆れは混じっていなかった。
俺の疑問に彼女は淡々と答える。
「前提として、私は今の魔力が尽きればこの身を維持し、顕現し続けることはできません。つまり、今後いかなる状況でも私がカナタを守れるという確証はないのです」
告げられた現実に、一瞬、心臓が止まった気がした。
彼女はセレアとの細い繋がりで辛うじて召喚されているだけに過ぎない。予想していたことではあるが、もし繋がりが絶たれたり、そうでなくとも魔力を激しく消費するようなことがあれば……。血と灰にまみれた異世界で、一人きりになってしまう。何一つ身を守る手段をもたない、この身体で——。
俺は自分が薄氷の上に立っていることを、ようやく理解した。
「ゆえに、最悪の事態を想定しておく必要がありました。例えば、カナタがどこかの高貴な身分、あるいはそれに準ずる何かであるならば、彼らは積極的に保護に動く……。そういう腹積もりでした」
「で、でも俺には別に特別な身分なんて何もないぞ?」
「そうなるように振る舞い、誘導するのです。無論、彼らが勝手に思い込むだけのことですが」
事もなげに言い放つブリュンヒルトに、俺は目を白黒させる。
思い返してみると、この城に来てからの彼女の行動は、確かに主従の関係を殊更に強調しているような気がしなくもない。「お忍びで旅をする貴族の令嬢と護衛騎士」とでも言えばいいのか。
「そもそも『凶星の灰竜』とやらが再び襲ってこなければそれで良し。もし襲撃があり、私の手に余る化物であったなら……躊躇なくこの街を見捨て、カナタを連れて逃げるつもりでした」
彼女の碧い瞳がすっと細められる。そこに宿っていたのは、一切の甘さも見えない合理性、冷酷とも言える優しさだった。
「カナタ、優先順位を間違ってはいけません。貴女は自らの生存を第一に考えるべきなのです。私はそのためなら子供も、善人も見捨てることに迷いはない——」
「それは……」
真っ直ぐにこちらを見つめてくる彼女の真剣な瞳に、返す言葉が思い浮かばなかった。
この身体は彼女の本来の主であるセレアのもの。俺が死ぬとということは、セレアが死ぬということなのだ。
主の身体を動かす得体のしれない存在。それでも彼女は俺を守るという強い覚悟のもと思考し、行動している。
「ですが、今となっては状況が大きく変わりました。貴女の言葉が彼らを動かした……背を押してしまった。これは、私にも責任がありますが、まさかここまでとは……」
何故か呆れ顔で俺の顔を見つつ、ブリュンヒルトは小さく嘆息する。
「吉と出るか凶と出るか、もはやわかりません。ですが、彼らの決死が道を拓くならば、勝機は十分にあるでしょう。脅威そのものを排除できるのなら、それが最も安全な策であるとも言えるのです」
そこで彼女は言葉を切り、雰囲気を変えるように大げさな手振りをしてみせる。
「今、我々がすべきなのは情報の共有です。さあ、カナタ。『凶星の灰竜』について知っていることを洗いざらい話してもらいます」
わざとらしく凄んでみせる彼女の口調には、どこか冗談めかした響きがあった。これ以上、空気が重くならないように彼女なりに気を使っているのだろう。
「わかった。ただ、あらかじめ言っておくけど、俺の知っているのはあくまで『ゲーム』の知識だ。現実の生きた化物にどれだけ当てはまるかわからない」
「構いません。私にとっても未知の脅威。少しでも仮説を立てて戦いに挑むことは必要なことなのです」
ならばと、俺は過去の記憶を必死に掘り起こし、思い出せる限りの『凶星の灰竜』の情報を語った。
空から放たれる広範囲の即死ブレスとその予兆。地上に落とすためのギミックや、地上戦においてのヘイト管理や部位破壊の重要性。そして、体力が減った敵が最後にする攻撃のパターン。
俺の口からは『タゲ』や『部位破壊』などと言ったゲーム用語がいくつも出るが、そのたびにブリュンヒルトは冷静に質問し、それ以外は基本的には黙って耳を傾けていた。俺の突拍子もない知識が、彼女の中でどういう風に解釈され、現実に落とし込まれているのかわからない。
それでも、きっと何かの役に立つ。そう信じて必死で話し続けた。
やがて、伝えられることが無くなると、俺は震える声を抑えることができなかった。
「……俺が余計なことを言ったせいで、あの人たちは死ぬのかな」
ぎゅっと握りしめた両手が、ひどく冷たい。
俺の不用意な一言が彼らを死地に追いやったのではないか、籠城していれば何事もなく済んだのではないか。考えずにはいられなかった。
だが、ブリュンヒルトは静かに首を振る。
「それは違います、カナタ。貴女は可能性を提示したに過ぎません。そこに命を懸けると決断し、死地に立ち向かうことを選んだのは彼ら自身です。……貴女がその重さを背負う必要はありません」
諭すような、どこか不器用な慰めの言葉。
だが、俺の心を締め付ける重苦しさは消えなかった。
「お、俺は今でも現実感がない……。自分がなぜここにいて、なんでこんなことになってるのか、全然わからない……」
画面越しで見ていただけだったはずの、古都を包む血と灰の匂い。響き渡る怒号。
ただの現代日本のしがないゲーマーだった俺に耐えられるものではない。今すぐにでもしゃがみ込んで、耳をふさぎたくなる。
それでも——先程の会議室で見たバルガスたちの顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「俺はあの人達に死んでほしくない。『手の届くところにある命が理不尽に散るのを、ただ見過ごしたくはないんだ』」
ぽつりと、魂の底からこぼれ落ちるように出た本音。
それを聞いた瞬間、ブリュンヒルトの表情はかつてなく愕然と目を見開いていた。
彼女の息を呑む音が、静かな廊下に落ちる。
やがて、白銀の騎士は何か眩しいものを見るような目をして、ようやく口を開いた。
「……ふふっ、欲張りさんなのですねカナタは」
不意にこぼれたのは、ひどく柔らかで、どこか愛おしむような笑みだった。
どこか冷たさのあった雰囲気は消え、その碧い瞳には静かな熱と、深い慈愛のようなものが宿っている。
「え?」
豹変した様子に困惑する俺に、彼女の両腕が迫る。
俺をひょいと抱き上げると、彼女は高らかに宣言したのだった。
「安心してください。貴女のこの身体もその心も、守り抜いてみせましょう!」
勇猛で頼もしく、気品に溢れていた彼女が、唐突に親戚のお姉さんのように——。
仮面の剥がれたその表情を見て、俺はある確信を得るのだった。
「もしかして、やたらと抱きたがるのって……趣味?」
「……セレアは怒りますから」
俺も怒ったほうがいいのかな、と少しだけ思った。




