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悲鳴を上げそうになった俺だが、あまりにも顔に笑みを固定しすぎていたせいで表情筋がピクリとも動かず、耐えることができた。
「カナタ殿?今、なんと……」
もはや、ここで沈黙など許されない雰囲気が形成されてしまった。皆が真面目に話しているところへ、ゲームの話などできるはずもない。ここが『サルキア』だったとして、俺の知るそれと同じだとは限らないのだから……。
俺はなんとか当たり障りのない言葉を探し、頭をフル回転させる。
「……お尋ねしますが、『凶星の灰竜』がこのように都市を襲ったということが、今までにありましたか?」
務めて落ち着いた、波一つない声色を取り繕う。
突然の問いに、アルベルトや会議の場の面々は顔を見合わせる。
「いえ、記録にある限りではそのようなことはなかったはずです。奴は遥か北方の魔境に住まう主……」
「ああ俺も若い頃にゃ仲間と挑んだことはあるが、『灰雲海』じゃ無敵だぜ、ありゃ。倒す以前に、戦う手段すら思い浮かばなかった」
バルガスの口から出た『灰雲海』という単語を聞いて、俺は密かに安堵した。
少しくらいゲームの話をしたところで、不自然ではなさそうだ、と。
「『灰海雲』から出たことがない『凶星の灰竜』、もしこの灰の雲に異変があれば、どうなるのでしょうね?」
俺は小首を傾げ、わざとらしく窓の向こうへと視線を向けた。
完璧だ。俺は「小娘が興味本位の質問をした」風を全力で装ったのだ。
多少怒られるかもしれないが、本当に議論の邪魔をするつもりなどなかったのだ。許して欲しい。
だが、帰ってきたのは怒声でも嘲笑でもなく、水を打ったような静寂。
俺は困惑してブリュンヒルトを見るが、彼女もまた何やら難しい顔をして沈黙するのみだった。
(…あ、あれ?)
「ガーディム——」
最初に沈黙を破ったのは、バルガスだった。
「俺が『灰海雲』に行ったのはもう何十年も前だ。お前の目から見て、この雲はどう思う」
「そうだな……俺等『鉄の牙』が挑戦したのは去年か、尻尾巻いて逃げ出してきたが、忘れもしねぇ——同じだぜ」
ガーディムはくつくつと自嘲しながら答えた。
「あれはただの雲じゃねえな。ま、見れば分かるか。息が詰まるような魔力の、空に浮かぶ『海』ってところか」
「ククッ。ってことは、奴はあの雲の中を泳いでるって理屈になるな。どういう訳かそんなもんがヴァルハルトの上にあるわけだが……もし、それが晴れちまったらどうなるんだろうなぁ?」
「待ってくれ!それはあくまで推測に過ぎないだろう!」
冒険者二人の会話に、血相を変えて割って入ったのは、文官らしき人物だった。
まるで『凶星の灰竜』相手へこちらから仕掛けようとしている会話に、口々に反論を述べていく。
「やつを刺激して、藪蛇になるかもしれないではないか!」
「そうだ!今は遠征軍が戻るまで籠城して時を稼ぐのだ!そうすれば——」
「その籠城すらできるかわからねぇから、さっきから頭抱えてるんだろうがッ!!もし上空からトカゲ野郎が襲って来れば俺等は終わる、今は運がいいだけなんだよ!」
バルガスの怒号が空気を震わせ、部屋は一瞬にして静まり返る。
「……俺はよぉ、この街が好きなんだ。朝から活気に溢れる市場に、広場を走り回ってたガキどもも、街の誇りだった白亜の城も。それが今じゃあこの有様だ。俺は、奴が許せねぇ……!」
歯を食いしばり、拳を震わせるバルガス。
彼だけではない、ここにいる者全てが沈痛な面持ちになっている。
「バルガスさんの気持ちはわかる。奴を地に落とせるという推測も一理あるかもしれない。だが、空を覆う雲を晴らすなど……我々にそのような余力は、残されてはいない……」
守備隊副隊長のコルトが苦渋に満ちた声で口を開いた。
現実的な問題として、籠城するのも困難な状況で、天候を変えるほどの術や兵器を用意できるはずもない。
「は、晴らすのは難しくとも、あの雲を乱すことくらいならできるかもしれませんっ!」
神官エレナが意を決した顔で叫ぶ。
震えながら机を支えに立つ彼女に、アルベルトが鋭い双眸を向ける。
「エレナよ、何か手立てがあるなら申してみよ」
「は、はい。城の結界術式を再展開する際に、要となる宝珠を見させていただきました。あれは、本来なら反発し合うはずの他者同士の魔力を調和させる秘宝です。それによって複数人による大規模魔術の発動を可能としているのですが、もしあの灰の雲に用いることができれば、あるいは……」
そう語る彼女の顔は疲労の色が強く滲んでいるが、瞳の奥には強い意志があった。
アルベルトは深く目を閉じ、口元を覆うように手を当てた。深く刻まれた皺がさらに寄り、その姿はまるで古い彫像のようだった。
誰もが固唾をのんで、決断を待っている。
重く張り詰めた沈思黙考の末、やがてゆっくりと目を開いた彼の瞳には、確かな覚悟の炎が宿っていた。
「あの宝珠は我が一族の秘宝……。古の時代、この地に大地を引き裂くほどの未曾有の厄災が訪れるも、初代当主が宝珠の力をもって荒れ狂う魔の奔流を鎮めたと伝えられておる。今は結界の維持にしか使っておらんがの」
アルベルトは、静かに顔を上げると俺を見た。
「……これもまた、導きかも知れぬ」
小さな呟きを拾えた者がどれほどいただろうか、アルベルトは立ち上がると、老体を感じさせぬ力強さで声を張り上げる。
「我々の背後には幾千の民がおり、ここはすでに死地である……。ならば我らは前へ征こう。天を覆う絶望を打ち払い、あの驕り高ぶった竜を我らの足元へと引きずり落とすのだ!」
その宣言に、部屋の空気は一変した。
バルガスが吠え、ガーディムが獰猛な笑みを浮かべて武器を手に取る。
コルトを始めとする守備隊の面々は、すぐさま文官たちと綿密な打ち合わせを行い、神官エレナもまた、一礼をすると他の神官を率いて宝珠の調整へと急ぎ足で向かっていった。
先程までの重苦しい雰囲気は完全に吹き飛び、誰もが死力と命を使う場所を見つけたかのような熱狂……。
俺とブリュンヒルトだけが、この石造りの部屋のようにただ冷たいままであった。




