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13 焼け跡に立つ

旅の終わり……。

辿り着いた先に、帰る場所が残っているとは限らないのでしょう。


 河越から京へ輿入れした際は、輿に乗っての旅だった。急ぐ旅でもなかったし、たびたび休んでくれたので、つらい、と思うことはなかった。

 けれども、今度の旅はそうはいかなかった。輿などなかったので、美野は馬に乗った。


 上総介の娘であった頃、美野は、兄に乗馬を教えてもらっていた。久しぶりだったが、美野は楽観していた。体は憶えている、特に問題はないと考えていた。だが、それは間違いだった。

 上総国で乗馬を楽しんだのはほんのひとときのこと。疲れれば、館に戻り、休む。そんなのは、ほんの遊びだったのだと、美野は思い知らされた。


 馬上の景色を楽しめたのは、最初の一日……それも、乗り始めの数刻だけ。疲れから不安定な体勢になり、何度も馬から落ちそうになった。実際……一度は落ちた。その時の痛みと恐怖は、美野を落ち着かない気持ちにさせた。

 美野に疲れが見えると、行信が馬の口輪を取って、ゆっくり進めてくれるのだが、一度感じてしまった心許なさはなかなか消せない。すると馬は敏感に美野の不安を感じとり、歩行に乱れが生じる。そして、美野はさらに不安になる……といった悪循環を繰り返していた。


 落ち着きを失う原因のひとつに、美野がつい考え事をしてしまうことがあった。

 自分の行末、義経に誤解されたままの自分の立場、頼朝と義経の間の確執、そして、大物浦で嵐に遭い、遭難したという義経一行への心配、そしてなにより、梶原景時への恨み……。


 そんな中、唯一美野が温かい心で思うことが出来るのは、行信のことだった。


 風は冷たく、寒かった。夜になっても、人家を見つけることが出来るとは限らない。粗末な小屋でも泊まれれば運がよく、たいていは野宿となった。

 それでも、美野は慣れていった。一日馬上にいても、さほど疲れることもなくなり、やがて、景色を楽しむ余裕も出てきた。

 なによりも美野の心を安らげたのは、行信の背中だった。美野の馬の口輪をとり、前を進む行信の背中は頼もしく、それを見ているだけで美野の心には、明るい光が差した。後ろからついてきている雑色の存在も忘れ、二人きりで旅をしているように思うこともあった。


 旅立ってから、約十日で、美野は河越に着いた。しかし、河越に着いた美野を迎えたのは、優しい父・重頼の胸でもなく、兄・重房の笑顔でもなく、焼け落ちた河越の館だった。


 行信と美野が、焼け跡に立ち茫然としていると、


「美野さま!」


 と声をかける者がいた。そこに立っていたのは、白髪の武士だった。


「兼房……。いったい、これはどうしたの? 父上さまや、兄上さまは?」


 問い詰める美野の顔を見ると、兼房はその場に座りこみ、大声で泣きだした。


「兼房……いったいどうしたの? 早く答えてちょうだい」


 美野にせかされて、ようやく兼房は話し始めた。


「数日前……いきなり、頼朝さまの軍が、この河越の館を襲い……重頼さまも、重房さまも……」


「……まさか……」


「頼朝さまの命だということで……」


「……捕らえられているの?」


 兼房は、泣きながら首を横にふった。


「……お亡くなりに……?」


 兼房はうなずいた。

 美野はぼんやりとしていた。すぐには信じられなかった。


「何故……?」


「それは、つまり……」


 兼房は言葉を濁した。何か言いにくそうにしていた。


「つまり、何なの?」


 美野にせかされ、兼房は重い口を開いた。


「義経さまが、法皇さまから『頼朝追討』の院宣をおもらいになったので……」


 その言葉で、すべてが察せられた。


「九郎さまは謀反人。父上は謀反人の舅……ということね」


 つまり、娘の美野が義経の正妻であるがゆえに、重頼と重房は頼朝に誅されたというのだ。


「頼朝さまは……そういうお方なのね」


 美野を義経に嫁がせたのは、頼朝の正妻の政子だ。つまり、頼朝自身と言っていい。美野や、義経が望んだことではない。河越の父や兄の意向があったわけでもない。もちろん、義経に謀反をそそのかした事実もない。つまり、理由はどうでもいいのだ。義経の周囲にいる人間を端から殺して、義経を孤立させるのが目的だろう。


 義経が頼朝にうとまれている理由は、上総の父が考えたとおりだろう。鮮やかに平氏を滅ぼした義経を、頼朝は恐れている。

 このとき美野は、頼朝に対する憎悪が、梶原に対するそれと同じくらいに大きくなっていることに気づいた。


 色々な思いが胸の中を交錯していたため、美野は何か言うことも、することも、泣くことさえできずにいた。ただ茫然と立ちつくしていた。

 兼房は男泣きに泣いている。美野についてきた雑色たちは、不安をかくせず、お互いに何かささやきあっている。

 美野の目には、そんな人々も、焼け落ちた河越の館も映ってはいなかった。頭の中が、真っ白になってしまったようで、何も考えられなくなっていた。


 そんな美野を、真剣なまなざしで見つめている者が、一人だけいた。行信だった。

 行信は、美野を「いたわしい」という瞳で見つめていたが、やがてそっと美野に近寄ってきた。

 美野の背後に立ち、そっと腕をささえながら、


「お方さま」


 と耳もとにささやいた。

 行信の暖かい瞳に出合い、美野が泣きくずれそうになったとき、行信は穏やかに言った。


「お方さま、ご自分が、河越重頼殿のご息女であることを、お忘れになってはいけません」


 その言葉を聞いて、美野は、自分の頭の中の白いもやが消えていくのを感じた。

 わずかな期間だが自分は河越重頼の娘だったのだ。そして、上総介広常の実の娘だ。ふたりの父に恥じることはできない。美野は涙をこらえ、不安げに見ている雑色たちに言った。


「河越の館もこのようになってしまい、父も兄もない今、あなたたちにしてあげられることは、これだけです」


 そう言うと、義経から預かった砂金を公平に分けてやった。


「それぞれ、家族のもとに帰ってもよいし、他の主人を見つけて仕えるのもよいし、自由にしてください」


 雑色たちは砂金を手にし、お互いの顔を見合っていた。


「兼房」


 美野が呼ぶと、兼房は立ち上がり、そばへやってきた。


「あなたも、自由にしてくれていいのですよ。どうします?」


 美野がきくと、兼房は憤然として言った。


「私は、ずっと河越重頼さまにお仕えしてきたのです。これからもずっと、お方さまのおそばにおります」


「それならば、この者たちの世話をしてくれませんか?」


 美野は、雑色たちを指した。


「はあ、しかし、お方さまは……」


「しばらく、ここで後始末をしなければ……二日後にまたここで会いましょう」


「分かりました。それまでに、この者たちの落ち着き先を決め、必ず戻って参ります」


 兼房はそう言うと、雑色たちを連れていった。雑色たちは、名残惜しそうに去っていった。


 二日後に、またここで兼房と会って、そのあとどうするつもりなのか、美野は考えていなかった。兼房も、それは分かっていただろう。けれど、今の美野にそれを考えろと言うのが酷なことを、兼房は知っていたのだ。

 会ってから、一緒に考えればよい、そう判断したのだろう。美野自身も、これだけで今は精一杯だった。悲しみや苦しみを胸の奥に押さえて、何とかここまでやったのだ。

 美野と行信は、兼房たちを見送った。


 焼け跡にたたずむ二人の姿を、夕日が照らしていた。


『間もなく日が落ちる……』


 気がつくと、涙が頬をつたっていた。


「お方さま」


 行信が再び声をかけた。その言葉を待っていたように、美野は泣きくずれた。


「何故……父上さまや兄上さまが……こんな思い、二度としたくなかった。なぜ、二度までも……」


 自分を暖かく迎えてくれた重頼と、兄として優しく接してくれた小太郎が、もうこの世にいないということが、信じられない。だが、何一つ残されていない河越の館が、それを、容赦なく知らせてくる。

 上総の父と兄を失ったときの悲しみがよみがえる。そこに、新たな悲しみが重なる。

 喉からは嗚咽しか出てこない。いや、ひとたび言葉にすれば、それは、鎌倉の頼朝や政子、そして梶原に対する呪詛になる。

 そんな醜い言葉を、行信に聞かせたくはなかった。

 美野は、つぶされそうな自分の体を支え、うずくまり……悲しみに耐えた。

 行信は黙ってそんな美野を見守っていた。


 こんな風に泣いている自分を、行信が見守ってくれたことが、いったい何度あっただろう。京の堀川館で、そして旅の途中でも。

 行信はいつも、黙ってそばにいるだけだった。なぐさめの言葉をかけるわけでも、抱きしめるわけでもなく、ただ辛抱強く、美野が泣きやむまでじっと待っていてくれた。それが百万言の言葉よりも、はるかに美野の心を安らかにさせているのだった。


 美野が泣きやんだときは、日はもうすっかり落ち、星がまたたきはじめていた。


「見て……」


 美野は空を指した。冬の空にいつも見つける鼓星が輝いていた。上総の父といつも見ていた星だった。

 あの頃と比べると、美野の運命は大きく変わり、まるで違う世界にいるような気分だった。けれども、違っているように見えるこの世界にも、同じ星が変わらずにある。

 美野は、星に慰められた心持ちになった。


「三つ神様ですか……」


「え?」


「あの三つの星を、私の故郷では『三つ神様』と呼ぶのですが……。あの星のことではありませんでしたか?」


「いいえ。あの星です。けれど、わたくしは『鼓星』と教わりました。三つの星を四つの星が囲んでいる形が、鼓に似ているので、そう呼ぶそうです」


「確かに、鼓の形に見えます」


「でも、あの三つ星が神様なら、お願いをしましょう……」


 美野は、空に向かって手を合わせた。

 その隣で、行信も手を合わせる。

 互いに何を願ったのかは口にしなかった。それでも、二人は、長い時を三つ星に向かい、願い続けた。

 やがて、行信はひっそりと言った。


「お方さま……行きましょう」


「どこへ?」


 本当に聞いているのではなかった。ただ「行きましょう」と言われたので、反射的に「どこへ?」と問い返しただけだった。


「ここで夜を明かすわけにはいきません。どこか、休めるところを見つけましょう」


 美野はうなずいた。少しの時間、なにも考えたくなかった。明日になったら、これからのことをしっかりと考えなければならない。けれども、今だけは、なにも考えずに過ごしたい。すべてを、行信にゆだねてしまいたい。

 行信にうながされるまま、歩いた。

 どこをどう歩いたのかも分からず、行信がどうしてそんな場所を知っていたのかも分からないまま、美野は行信の案内した小屋へ入っていった。

 林の中にある小屋だった。行信が整えてくれた粗末な床で、美野は眠りに落ちたのだった。


 暗闇の中、美野はさまよい歩いていた。誰かをさがしているのだ。父か兄か……それが河越の父兄なのか、上総の父兄なのかもはっきりしない。それとも義経か、あるいは行信なのかもしれない。しかし、行けども行けども明かりは見えず、人の姿も見られなかった。

 突然、暗闇の中空に、男の顔が浮かび上がった。黒髪をふり乱した赤黒い顔色。目は異様に光り、唇はゆがめられている。浮かび上がったその顔には胴体はなかったが、それが梶原の顔であることは明らかだった。

 美野はおそろしさに震えあがり、その顔から逃げようとした。しかし、身体は指一本さえ動かせなくなっていた。叫ぼうとしても声も出ない。

 そうしているうちに、顔はどんどん近づいて、そして、すべてのものを飲み込もうとするかのように、大きく口が開かれる。美野は恐怖で気を失いそうになる。

 開かれた口がだんだん大きくなり、目も鼻も見えなくなる。口だけになったそれが美野を飲み込もうとした瞬間、やっと叫ぶことができた。


「あぁっー」


 自分の悲鳴で目がさめた。目がさめても、そこは夢と同じ暗闇だった。


「お方さま……?」


 心配そうな行信の声がした。


「どうかなされましたか?」


「夢を見ていたのです……恐ろしい夢……」


「お疲れなのでしょう」


 行信の声は、はっきりしていた。寝起きの声ではない。


「ずっと起きていたのですか?」


「……少しは、寝ました」


 その言葉が嘘であることはわかりきっていた。ずっと、美野を見守っていたに違いない。

 目が慣れてきたはずなのに、周りは相変わらず暗闇のままだった。夢の中の顔がまた出てきそうな恐怖が湧きあがる。


「行信……どこにいるのです」


 美野は手をさしのべた。行信の声はするのに、そばにはいないのではないか、そんな風に感じられてしまう。


「ここに、おります」


 行信が美野の手に軽くふれた。美野は、行信の胸に身体をあずけた。こうしていなければ、行信の存在をたしかめられない――そんな心持ちだった。


「お方さま」


 行信は、やんわりと美野の身体を押しもどした。美野はそれに抵抗し、ふたたび身体をあずけた。


「そばにいてください。不安でしょうがないのです」


 行信の胸は広く暖かく、一番安心できる場所……と美野に思えた。


「お方さま……」


 行信が、ふっと息を吐く気配を感じた。そのすぐ後――。そっと美野の身体を離し、床に横たえ、言った。


「行信は、おそばを離れません。御安心なさって……ゆっくりお休みください。まだ、夜明けまでには間があります」


 美野は手をさしのべた。


「さっきのようにしてください。そうでなければ不安なのです」


「お許しください」


 苦しげな声だった。


「行信……」


 美野が声をかけたとき、雲が切れたのか、月光が小屋の中にさしこんできた。薄明かりに照らされた行信の表情は、悲しみと苦悩が入りまじっていた。

 美野は言葉をのんだ。こんな表情の行信を見るのは初めてのことだった。いつ、どんなときでも、行信はその穏やかな表情をくずしたことはなかった。それが、死について語るときであっても。


「わたくしが、行信を苦しめているのですか?」


すべてを失った夜にも、星は変わらず空にありました。

美野と行信、それぞれが胸に抱いた願いは、まだ言葉になりません。

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