寿綾乃という女 第4部 98
伸明から、私に連絡が、来たのは、それから、まもなくだった…
私のケータイに、直接電話が、来たからだ…
私は、今、休業中…
働いていない…
だから、電話も、滅多に、来ない…
来るのは、ほんの一握りの親しい知人だけ…
それだけだ…
が、
これは、誰もが、同じ…
同じだ…
それまで、会社で、どれだけ親しく接していても、その会社を辞めれば、誰もが、その会社の人間とは、縁遠くなる…
連絡も、まったくなくなる…
誰もが、そういうものだからだ…
それゆえ、私は、すぐに、伸明の電話に出た…
私に、電話をかけて来るものは、ほぼいないからだ…
だから、どこから、かかって来たか、見て、すぐに、出た…
伸明の電話番号は、ケータイに入れてある…
諏訪野伸明と、入れてある…
だから、出た…
すぐに、出た…
「…ハイ…寿です…」
と、すぐに、出て、名乗った…
「…寿さん? 諏訪野です…ご無沙汰をしております…」
と、電話の向こう側から、言って来た…
私も、また、
「…お久しぶりです…」
と、言って、伸明に、合わせた…
それから、すぐに、
「…おめでとうございます…」
と、続けた…
「…おめでとう?…」
電話の向こう側の伸明が、呆気に取られた声で、返した…
「…なにが、おめでとうなんですか?…」
と、伸明が、返す…
「…だって、伸明さん、今度、ご結婚されるんでしょ? あのハルカという女性と…長谷川センセイの妹さんと…」
私は、言った…
自分としては、随分、控えめに言ったはずだ…
が、
伸明にとっては、皮肉…
皮肉以外の何物でも、ないだろう…
だから、
「…」
と、絶句した…
「…」
と、一言も、返って来なかった…
私自身、実は、こんな皮肉を言うつもりは、まったくなかった…
が、
つい、伸明からの電話に出たら、言ってしまった…
つい、意地悪を言って、しまった…
やはり、その根本には、嫉妬…
嫉妬がある…
あのハルカに対する嫉妬がある…
あのハルカが、伸明と結婚することが、羨ましい…
本音は、それだ!…
なにより、伸明は、私を好き…
好きと、言ってくれた…
私は、それに応えることは、できなかったが、それでも、伸明が、私を好きと、言ったことを、忘れることは、ない…
絶対、ない!
まあ、これは、どこの国の女でも、同じ…
同じだ…
女は、執念深いというか…
昔のことを、良く覚えている(笑)…
例え、二十年前、三十年前に、自分を好きだと言った男のことを、覚えているものだ…
それは、かつて、母や叔母が、私に言った…
子供の私に言った…
そして、その子供だった私自身、当時、私を好きだった、男のコのことを、覚えている…
すでに、記憶は曖昧になったが、覚えている…
私を好きだと、言ったことを、覚えている…
そんなものだ…
つまりは、誰もが、自分を好きだと、言ってくれるものは、少ない…
あるいは、美人やイケメンで、多く告白されても、大抵は、軽いもの…
「…申し訳ないけど…」
とか、
「…付き合う気持ちはない…」
と、さらりと言えば、呆気なく去ってゆく…
こちらが、
「…もう少し、粘れよ!…」
と、思わず、怒鳴りたくなるほど、呆気なく去って行く(苦笑)…
世の中、そんなものだ…
まあ、稀に、粘り強いものも、いるが、それは、例外…
しかしながら、その手の男女は、大抵が、粘着質な男女が多い…
だから、その手の人間は、願い下げ…
関わるのは、怖い(爆笑)…
まあ、なにが、言いたいかと言えば、伸明が、以前、私を好きだと言ったことを、私は、覚えている…
忘れていない…
だから、その伸明が、結婚する…
私以外の女と、結婚する…
そう、言われると、やはり、どうしても、皮肉を言いたくなる…
つい、言いたくなる…
そういうことだ…
実に、そういうことだ…
私が、そんなバカなことを、考えている間も、伸明は、黙っていた…
「…」
と、沈黙していた…
それゆえ、
「…あの…伸明さん、どうかされたんですか?…」
と、聞いた…
心配になったからだ…
だから、聞いた…
自分から、聞いた…
伸明は、少しして、
「…誰から、聞きました?…」
と、私に尋ねた…
「…それは、ナオキから…」
私は、あっさりと、答えた…
私が、今、ナオキと暮らしていることを、この伸明は、知っているか、どうかは、わからない…
ただ、私と、ナオキが、ずっと、男女の関係だったこと…
事実上の夫婦に近い関係であったことは、この伸明も、知っているからだ…
だから、あっさりと、答えた…
伸明の質問に、答えた…
伸明は、電話の向こう側から、
「…藤原さんが…」
と、言って、絶句した…
明らかに、驚いた様子だった…
それゆえ、私は、
「…どうか、されたんですか?…」
と、聞いた…
当たり前だった…
伸明は、即座に、
「…まだ、決まってませんよ…」
と、答えた…
「…決まってない?…」
と、私。
「…ハイ…決まってません…」
と、伸明。
「…ウソ?…」
「…本当です…」
伸明が、答える…
そこには、迷いは、なかった…
微塵もなかった…
だから、信じられる…
が、
だったら、なぜ、ナオキは、
「…今度、諏訪野さんは、結婚する…」
と、私に言ったのか?
謎だった…
謎だったのだ…
それゆえ、つい、
「…だったら、ナオキが、なぜ?…」
と、独り言のように、言ってしまった…
電話口で、言ってしまった…
それを、受けて、
「…たぶん、早とちりしたのかも、しれない…」
と、電話の向こう側から、伸明が、言った…
「…早とちり…ですか?…」
「…そうです…」
伸明が、断言する…
が、
果たして、そんな大切なことを、早とちりするだろうか?
疑問だった…
それゆえ、
…ナオキは、そんな大切なことを、早とちりする人間では、ありません!…
と、言おうと、思ったが、さすがに、口に出来なかった…
さすがに、まずいと、思ったのだ…
そして、伸明も、また、それ以上は、言わなかった…
だから、二人の間に、沈黙ができた…
「…」
と、沈黙ができた…
互いに、どう、言っていいか、わからなかったのだ…
すると、伸明が、沈黙を破った…
「…たぶんですが…」
と、言って、沈黙を破った…
「…藤原さんは、この前、ボクが、そろそろ、決婚を決めなければ、ならないと言ったのを、早とちりしたんだと、思います…」
「…早とちり?…」
「…先日、寿さんも出席した、ボクの縁談…そろそろ、決断をしなければ、なりません…それを、誤解したんだと、思います…」
「…誤解?…」
「…あのハルカという女性…勝気だし、正直、惹かれますが、子供過ぎます…」
「…子供過ぎる?…」
「…そうです…」
「…」
「…彼女が、もう少し、大人になれば、結婚できるのにと、藤原さんと、冗談混じりに、話していたんです…それを、たぶん、藤原さんが、誤解して…」
伸明の言い訳に、私は、プツンと来た…
文字通り、プツンと、切れた…
「…伸明さん、いい加減にしたら、どうですか?…」
と、思わず、大声を出した…
つい、大声を出してしまった…
「…いい加減…」
と、言って、電話の向こう側の伸明が、絶句した…
「…藤原ナオキは、そんな人間じゃ、ありません…」
と、怒鳴った…
「…そんないい加減なことを、言う人間じゃありません!…」
と、大声で、怒鳴った…
すると、やはりというか、
「…」
と、沈黙した…
なにも、言って来なかった…
だから、一瞬、言い過ぎたと、思ったが、構わなかった…
もはや、伸明に、どう思われようと、構わなかった…
どうせ、結婚できるわけでも、なんでもない…
ただ、知り合っただけ…
偶然、知り合っただけの、存在だ…
私の人生を左右する人間でも、なんでもない…
私の人生に関わる人間でも、なんでもないからだ…
それゆえ、大声で、怒鳴ってしまったのは、マズかったが、それを悔いることは、なかった…
…やっちまったものは、仕方がない!…
…言ってしまったものは、仕方がない!…
そんな気持ちだった…
そんな気持ちだったのだ…
二人の間に、沈黙が流れた…
重い沈黙が、流れた…




