寿綾乃という女 第4部 96
ナオキは、絶句していたが、ほどなく、
「…どういうこと? 綾乃さん?…」
と、私に聞いてきた…
食い気味に聞いてきた…
当たり前だった…
私は、即座に、
「…伸明さんの縁談…たぶん、ユリコが、絡んでいる…」
と、告げた…
明確に、告げた…
「…絡んでいる? どんなふうに?…」
「…伸明さんの、見合い相手が、長谷川センセイの妹さんなのは、知っているでしょ?
五井記念病院の私の担当医…」
「…それは、知っている…」
「…あの長谷川センセイは、五井西家の血を引いているけれども、今は、西家とは、無関係…それが、たまたま、西家の当主が、五井記念病院で、長谷川センセイと会って、それで、長谷川センセイの妹を、伸明さんに、紹介した…西家の血を引く娘だということで、紹介した…」
「…」
「…でも、五井西家は、五井北東家と、手を組んでいる…ナオキ、アナタが、伊豆で、幽閉されていたときの別荘が、五井北東家の別荘だったと、アナタ、言ったでしょ?…」
「…うん、言った…」
「…私、今日、昼間、家で、五井北東家のことを、知らべていたの…」
「…調べていた?…どうやって、調べていたの?…」
「…それは、ネットで、に、決まっているでしょ? 私のカラダじゃ、遠くへは、行けないし…」
「…」
「…それで、五井北東家の当主の団郁馬について、調べていたら、あまり、情報は、なかった…」
「…なかった?…」
「…唯一の情報が、平成研の会合に出席とあって、その平成研の代表が、ユリコ…あのユリコ…」
私が、言うと、ナオキの顔に、驚きが、広がった…
そして、その驚きが、落胆の表情に、変わるまで、さして、時間が、かからなかった…
そして、その落胆の表情から、出て来た言葉は、
「…まさか、ユリコが…」
と、言った言葉だった…
信じられない…
いや、
信じたくないと、いった感じだった…
が、
一方では、
…やはり!…
という感じだった…
あのユリコは、抜け目ない…
なにが、目的か、わからないが、伸明の見合いに、一枚噛んでいる可能性は、高い…
実に、高い…
そして、それを、このナオキも、また、わかっている…
なにしろ、旦那だ…
元、旦那だ…
ユリコの性格が、わからないわけはない…
当たり前だった…
「…ユリコが…またも、ユリコが…」
と、言って、打ちひしがれていた…
ショックが、あまりにも、大きいのだろう…
それは、理解できた…
十分過ぎるほど、理解できた…
私は、そんなナオキを見て、
「…ナオキ…とりあえず、お風呂に入ってきなさい…」
と、諭した…
まるで、小さな子供に言うように、諭した…
「…続きは、お風呂から、出て来たときに、しましょう…」
私が、ナオキに優しく言った…
それを、聞いたナオキは、苦笑いを浮かべ、
「…そうするよ…」
と、力なく、言った…
力なく、言って、その場から、去った…
お風呂に入るためだ…
私は、無言で、その後ろ姿を、見送った…
そして、私は、ナオキが、お風呂から、出て来るまでに、またも、色々、考えた…
ユリコの狙いを考えた…
考えざるを得なかった…
あのユリコ…
実に、厄介…
厄介な存在だ…
しかしながら、今回も、私の前に立ち塞がるとは?
なんだか、笑えて来た…
この寿綾乃の行くところには、必ず、ユリコあり、というか…
とにかく、私の前には、必ず、あのユリコが、立ち塞がる…
これでは、まるで、大昔の怪獣映画とか…
仮面ライダーに似ている(苦笑)…
ヒーローものには、宿敵が、付き物…
私が、主人公の物語では、ユリコが、不可欠…
私の前に、立ち塞がる宿敵として、ユリコは、不可欠な存在ということだ…
私は、そんなことを、考えた…
私は、そんなバカなことを、考えた…
そして、そんなバカなことを、考え続けていると、ナオキが、お風呂から、出て来た…
すっきりとした顔で、出て来た…
私は、そんなナオキを見て、
「…ナオキ…随分、すっきりした顔をしているわ…そんなに、お風呂が、良かったの?…」
と、聞いた…
別に意味は、ない…
単なる社交辞令だ…
いや、
単なる、会話に過ぎないのかも、しれない…
が、
ナオキは、それを、真剣に受け取ったようだ…
「…いや、お風呂に入って、ぼんやりと、湯船に浸かっていて、ふと、気付いたんだ…」
「…なにを、気付いたの?…」
「…諏訪野さんの狙い…」
「…伸明さんの狙いって?…」
「…案外、諏訪野さんの狙いは、ユリコなんじゃ、ないかって、気付いたんだ…」
ナオキが、突拍子も、ないことを、言った…
私ですら、考えたことのない、突拍子もないことを、言った…
それゆえ、私は、驚いた…
驚いて、ナオキに、食い気味に、言った…
「…どういうこと? それ?…」
と、食い気味に言った…
そんな私を見た、ナオキは、余裕の笑みを浮かべた…
余裕の笑みを浮かべながら、
「…とりあえず、ビール…」
と、笑った…
笑いながら、言った…
私は、そんなナオキを見ながら、冷蔵庫から、缶ビールを取り出して、ナオキの前に出した…
ナオキは、私の目の前のソファに座った…
二人の前には、テーブルがある…
テーブル越しに、互いに、相手を見つめた…
「どういうこと?…」
と、もう一度、言った…
「…諏訪野さんの狙いは、ユリコかも、しれないと、言ったこと?…」
ナオキは、缶ビールを飲みながら、ニヤニヤしていた…
私は、そんなナオキの顔を見ながら、
「…どういうこと?…」
と、辛抱強く、聞いた…
我慢の限界だった…
一刻も、早く、ナオキの答えを知りたい…
それゆえ、我慢の限界だった…
忍耐の限界だった…
が、
ナオキは、そんな私の態度を楽しむように、
「…諏訪野さんは、ユリコのことを、知っているでしょ?…」
と、私に聞いた…
いきなり、聞いた…
「…それは、知っていると、思うけれども…」
私は、曖昧に、言った…
「…たしか、以前、綾乃さんが、言っていたでしょ?…」
「…なにを、言っていたの?…」
「…ユリコが、五井の分家から、株を買い取って、五井の女帝に、高く売りつけたと…」
「…たしかに、言ったわ…それが、どうかしたの?…」
「…当然、そのことは、諏訪野さんの耳にも、入っているはずだ…」
そう、言われて、考えた…
たしかに、そう、言われれば、わかる…
たしか、あのとき、伸明は、いなかった…
ユリコが、五井の女帝、諏訪野和子に、五井の分家から、買い取った株を、高値で、引き取れと、迫ったときには、あの場にいなかった…
が、
当然、その後、和子は、伸明に、そのことを、告げているだろう…
そのような事実が、あったことを、告げているだろう…
まして、あのユリコは、このナオキの元の妻…
そして、このナオキは、伸明と親しい…
それゆえ、当然、ユリコのことは、知っているはずだ…
私は、思った…
私は、考えた…
「…だから、諏訪野さんは、ユリコの動きに、目を光らせていたはずだ…」
ナオキが、断言した…
「…目を光らせていたはずって?…」
「…五井の株を買い占めて、五井に牙を剥いたんだ…そんな人間を忘れるはずないでしょ?…」
「…それは…」
「…諏訪野さんは、五井家の当主…ボクや綾乃さんより、はるかに、人脈は、広いし、情報は、たくさん、入る…そんな諏訪野さんに、ユリコの情報が、入らないわけは、ないよ…」
「…」
「…だから、今回のことも、たぶん、お見通し済み…」
「…お見通し済み?…」
「…ユリコが、五井北東家だったっけ? その当主と、組んで、五井本家に牙を剥いたのは、お通し済みだと、思うよ…」
ナオキが、言った…
淡々と言った…
そして、その言葉は、私に刺さった…
実に、私の胸に刺さった…
なぜなら、納得できるからだ…
実に、納得できる説明だからだ…
たしかに、言われて、見れば、あの伸明の交友関係は、私やナオキの比ではないだろう…
なんと言っても、五井だ…
四百年の歴史のある五井だ…
ポッと出の、ナオキとは、違う…
格が、違う…
あらゆるところに、情報網があるとまでは、言わないが、昔からの付き合いのあるひとや企業から、たくさんの情報が、得られるだろう…
それは、当たり前だが、私や、ナオキの比では、ない…
当たり前のことだ…
そして、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…もしかしたら、ボクも、綾乃さんも、諏訪野さんの手のひらの上で、遊んでいるようなものかも、しれないよ…」
と、笑いながら、言った…
実に、楽しそうに、言った…
「…手のひらの上って? どういう意味?…」
と、私。
「…ほら、孫悟空が、お釈迦様の手のひらの上で、移動したでしょ?…」
「…手のひらの上で、移動した?…」
「…孫悟空は、お釈迦様の手のひらから、飛び出して、はるか、遠くまで、行ったつもりだったけれども、ホントは、お釈迦様の手のひらから、一歩も外の世界に、出ていなかった…」
「…」
「…案外、それと似ているかも、しれないよ…」
「…それって、お釈迦様を、伸明さんに、例えているわけ?…」
「…その通り…」
ナオキが、断言する…
「…諏訪野さんと、ときどき、飲む機会があるけれども、諏訪野さんは、ボクや綾乃さんとは、違うよ…」
「…違う? どう違うの?…」
「…まずは、人脈…」
「…人脈?…」
「…諏訪野さんは、実に、顔が広い…いっしょに飲んでいても、諏訪野さんを一目見て、諏訪野さんに、挨拶に来る、ひとは、多い…男も女も、多い…」
「…」
「…そして、たぶん、それが、ボクや綾乃さんとの違い…」
「…違い?…」
「…生まれながらの金持ち…だから、人脈も広い…」
「…」
「…そして、人脈も広ければ、情報も、入る…そういうこと…」
「…そういうことって?…」
「…たぶん、諏訪野さんの元には、ユリコは、元より、その北東家の当主のことや、西家のことなど、情報が、たくさん、寄せられていると、思う…」
「…」
「…そして、それこそが、五井…五井の当主なんだと、思う…」
ナオキが、断言した…
ナオキが、力強く、断言した…




