寿綾乃という女 第4部 95
ナオキは、会社から、帰って来て、私の顔を見るなり、
「…綾乃さん、話しが、ある…」
と、言った…
いきなり、言った…
「…話? 一体、なんの話?…」
「…諏訪野さんだ…諏訪野さんが、綾乃さんに、会いたがっている…」
「…私に? どうして?…」
「…それは、わからない…」
ナオキは、短く、言った…
「…今日、会社にいるときに、諏訪野さんから、電話があった…」
「…会社にいるときに?…」
「…昼間だから、当然、仕事中だから、手短に、話した…当然、諏訪野さんも、仕事中で、仕事の合間に、電話をかけてきた…」
「…でも、どうして、伸明さんが、ナオキに電話を? 直接、私にすれば、いいのに?…」
「…それは…」
「…それは、なに?…」
「…きっと、諏訪野さんは、ボク抜きで、綾乃さんと、会う、と、電話をするのは、嫌だからだよ…」
「…どうして、嫌なの?…」
「…どうしてと、言われても…ほら、諏訪野さんは、ボクと綾乃さんの関係を知っている…だから、ボクに気を遣ったんじゃないかな…」
…そういうことか?…
私は、思った…
たしかに、あの伸明は、私とナオキの関係を知っている…
私とナオキが、愛人関係というと、言い過ぎだが、夫婦同然の関係だったということを、知っている…
だから、だろう…
私に連絡をするのに、わざわざ、ナオキを介して、連絡をする…
そうしなければ、ナオキに対して、後ろめたいのかも、しれない…
二人は、友人…
気の合う友人だからだ…
だから、私に連絡をするのに、ナオキがそれを、知らないのは、後ろめたいのかも、しれない…
私は、思った…
私は、考えた…
しかしながら、おかしな話だ…
私とナオキが、夫婦同然だったことを、知っているにも、かかわらず、伸明は、私を好き…
普通では、考えられないことだ(苦笑)…
が、
それも、あるかも、しれない…
それも、ありえるかも、しれない…
恋に、正解は、ない…
恋愛に、正解は、ない…
例えば、美人ならば、必ずしも、イケメン好きだとは、限らない…
これは、イケメンも、同じ…
イケメンならば、美人を好きとは、限らないからだ…
まあ、とにかく、普通は、イケメンと美人のカップルは、世間では、あまり見かけない…
これは、やはり、見かけも、大事だが、中身は、それ以上に、大事だと、言うことだろう…
いくら、イケメンと美人のカップルでも、話が、合わなければ、お互いが、嫌だ…
それが、一番だろう…
まあ、世の中、イケメンも、美人も、数が少ない…
その数が、少ない、イケメンと美人が、学校や職場で、知り合うのは、難しいし、さらに、気が合うのは、もっと、難しい…
そういうことかも、しれない…
私は、そんなことを、考えた…
そんなバカなことを、考えた…
伸明が、私を好きから、そんなバカなことを、考えた…
そして、私が、そんなバカなことを、考えていると、
「…綾乃さんは、大丈夫?…」
と、ナオキが、聞いてきた…
それで、現実に、戻った…
「…大丈夫って、なにが、大丈夫なの?…」
「…諏訪野さんと、会うこと…」
「…それは、大丈夫よ…どうして、そんなことを、聞くの?…」
「…いや、綾乃さんが、なんとなく、顔色が、悪いような…」
「…えっ? ウソ?…」
「…ホント…」
「…」
「…鏡で、自分の顔を見れば、わかるよ…」
ナオキの言葉に、私は、慌てて、部屋の奥に走って行って、鏡で、自分の顔を見た…
慌てて、見た…
が、
なにも、変わらない…
変なところは、なにもなかった…
いつもと、顔色が、なにも、変わらなかった…
私は、急いで、ナオキの元に、戻った…
ナオキは、玄関から、居間に、行っていた…
「…ちょっと、ナオキ…私の顔の、どこが、おかしいの? いつもと、変わらないわよ…」
私が、勇んで、言うと、ナオキが、
「…ぷっ!…」
と、吹き出した…
私は、唖然とした…
なぜ、ナオキが、
「…ぷっ!…」
と、吹き出したか、わからなかったからだ…
すると、そんな私の様子を見た、ナオキが、
「…今朝のお返し…」
と、笑った…
「…今朝のお返しって?…」
「…今朝、綾乃さんは、ボクが、凄い二日酔いだと、からかったでしょ? それのお返し…」
笑いながら、言う…
それを、聞いて、思い出した…
今朝のことを、思い出した…
たしかに、今朝、ナオキが、起きて来たときに、言った…
わざと、ナオキが、二日酔いが、ひどいようなことを、言って、からかった…
私のいたずらに、気付かなかったナオキは、慌てて、鏡で、自分の顔を見に行った…
それを、思い出した…
そして、それを、思い出すと、むかっ腹が立った…
四十を過ぎた男が、今朝のことで、根を持つ…
そんな、ナオキに、むかっ腹が立った…
「…ナオキ…アナタ、今、いくつ?…」
と、思わず、言った…
「…いくつって?…」
と、ナオキ。
「…こんな子供みたいなことを、して…そんなに、今朝のことが、悔しかったの?…」
私が、全力で、怒ると、意外にも、ナオキが、ニヤニヤした…
楽しそうに、ニヤニヤした…
私は、それを、見て、カーッとした…
つい、カーッと、頭に血が上った…
だから、つい、
「…ナオキ…なに、その笑い? 私をバカにしているの?…」
と、問い詰めた…
全力で、問い詰めた…
が、
あろうことか、ナオキは、さらに、笑った…
さらに、ニヤニヤと、楽しそうに、笑った…
私は、それを見て、カーッと来た…
今まで、以上に、カーッと来た…
今まで以上に、むかっ腹が立った…
「…ナオキ、どういうつもりよ!…」
と、いますぐ、ナオキをぶん殴る勢いで、ナオキに、迫った…
が、
ナオキは、笑いながら、
「…良かった…」
と、言った…
「…良かった? なにが、良かったの?…」
「…綾乃さんが、いつもの、綾乃さんに、戻った…」
「…いつもの、綾乃さんって?…」
「…綾乃さん、今、見たら、なにやら、深刻な顔をしているから、心配になって…」
…そういうことか?…
納得がいった…
実に、納得がいった…
昼間、諏訪野伸明のこと、団郁馬のこと…そして、なにより、あのユリコのことを、考えて、憂鬱になった…
それが、表情に出ていたのだろう…
あのユリコは、私の栄養剤…
あのユリコのことを、考えると、私の反骨心に、火が付く…
そうは、言ってみたが、現実は、憂鬱…
実に、憂鬱だ…
できるならば、敵に回したくない…
いや、
すでに、ユリコは、敵に決まっているが、できれば、会いたくない…
戦いたくない…
戦えば、疲れるからだ…
全力で、疲れるからだ…
これは、ボクシングなど、格闘技に似ている…
ホントは、試合は、やりたくない…
仕事だから、やる…
仕事=ビジネスだから、やる…
が、
本当は、やりたくない…
疲れるし、殴られれば、痛いからだ…
だから、やりたくない…
それと、似ている…
実に、似ている…
私とユリコの関係に似ている…
ユリコは、どう思うか、知らないが、私は、ユリコと闘いたくない…
ユリコと争いたくはない…
が、
ユリコは、違うだろう…
なにが、なんでも、私にケンカを売ってくるだろう…
ユリコというのは、そういう女だ…
そういう人間だ…
話せば、わかる人間では、決してない…
ずっと、以前、私が、ユリコから、このナオキを寝取ったから、私に復讐したい…
どんなことを、しても、私に復讐したい…
その気持ちは、わかる…
わかるが、それだけではない…
とにかく、ユリコは、私が、嫌いなのだ…
私という人間が、嫌いなのだ…
おそらく、同じ、この地上にいることが、気に入らないのだ…
もっと、ハッキリ言えば、この私をこの世から、抹殺したい…
それほど、私を嫌っている…
それゆえ、私も、当然、ユリコを嫌いになる…
率直に、言って、ナオキを寝取った後ろめたさは、正直、あった…
最初の頃は、あった…
が、
そんなものは、当の昔に、吹っ飛んだ!…
跡形もなく、吹っ飛んだ!…
なにしろ、相手が、私を見れば、いつも、殴りかかってくるのだ…
当たり前だが、こちらも、殴り返さなければ、ならない…
そうしなければ、自分の身を守れない…
そういうことだ…
だから、いつも、ユリコのことを、考えると、憂鬱になるが、それ以上に、カーッと、胸が熱くなる…
敵が、攻めてくる…
ユリコが、攻めてくる…
それゆえ、私は、それに、立ち向かわなければ、ならないからだ…
いかに、ユリコに立ち向かうか?
それを、考えれば、熱くなる…
私の胸が熱くなるからだ…
そして、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…どうしたの? 綾乃さん、すごい顔をしているよ…」
と、聞いてきた…
「…すごい顔って?…」
と、私。
「…なんだか、怒っているような…そんなに、今のことが、頭に来た?…」
ナオキが、恐る恐る言う…
が、
私は、それを、否定した…
「…違う…ユリコよ…」
と、言って、否定した…
「…ユリコ?…」
と、ナオキは、言って、動揺した…
まさか、ここで、ユリコの名前が出て来ることは、想定外…
思っても、みなかった想定外の出来事だったろう…
まさか、いきなり、ずっと以前に、別れた妻の名前が、出て来たことに、驚いたに違いない…
「…ユリコが、どうかしたの?…」
ナオキが、動揺した様子で、聞く…
私は、即座に、
「…絡んでいるのよ…」
と、言った…
「…絡んでいる? どういう意味?…」
「…伸明さんの、見合いに…」
「…えっ!…」
思わず、ナオキが、絶句した…
当たり前だった…
私は、そんなナオキを、冷静に、見つめた…
ただ、ただ、冷静に、見つめた…




