寿綾乃という女 第4部 91
その夜、私は、考えた…
ひとりぼっちで、ベッドで寝ながら、考えた…
ナオキは、私の病気が、心配で、このマンションに戻って来たが、別室で、寝ている…
さすがに、同じ部屋で、寝るのは、嫌なのだろう…
嫌と言うのは、おかしいが、私に遠慮しているのだろう…
このマンションは、元々、ナオキのもの…
それを、私に譲ってくれた…
私名義に、所有者の名義を書き換えてくれた…
私が、一人で生きていけるように、してくれた…
それは、会社が、五井と提携したから…
もし、もう一歩進めて、提携から、五井の傘下に入るとしたら、社長のナオキが、いつ、どうなるか、わからない…
だから、その前に、私にマンションを、与えてくれた…
FK興産に、五井が資本参加したことで、いつ、FK興産が、五井に乗っ取られるか、わからない…
社長のナオキが、いつ、解任されるか、わからない…
だから、その前に動いた…
五井の指図を受ける前に、動いた…
そういうことだ…
そして、そのときに、私をFK興産の非常勤の取締役に任じた…
これもまた、ナオキの温情…
会社を辞めた私に対して、食い扶持を与えてくれたのだ(苦笑)…
私を非常勤の取締役にすることで、FK興産から、正式に給与を与えることが、できる…
いつ、なんどき、FK興産が、完全に五井の傘下に、陥るとも、限らない…
その前に、私を非常勤の取締役にして、お金を与えようとしたのだ…
なにしろ、今、私は、病気持ち…
満足に働けない…
それで、ナオキが、考えた…
私にお金を上げる方法を考えた…
そういうことだった…
私は、ナオキの愛人でも、なんでもないのだから、私が、理由もなく、お金を受け取らないことを、わかった上で、講じたナオキの策だった…
そして、それほど、私のために、動いてくれるにも、関わらず、今は、一歩も私の寝室に入らない…
私に気を遣っているのだ…
藤原ナオキという男は、そういう男だった…
実に、得難い男だった…
そして、それを、考えれば、不思議…
なにが、不思議なのか?
それは、伸明のことだ…
五井のことだ…
伸明が、FK興産に触手を伸ばしている…
いや、
伸明ではない、和子が、FK興産に触手を伸ばした…
それは、伸明の当主就任の祝い…
伸明が、正式に五井の当主に就任したことで、伸明の力を内外に示さなければ、ならない…
そう、思った和子が、FK興産を買収しようとしたのだ…
天下の五井から、見れば、FK興産など、吹けば飛ぶようなチンケな会社だが、それでも、伸明の当主就任に際して、伸明が、独力で、FK興産を五井の支配下に置いたとなれば、伸明の実力を内外に示せると思ったのだ…
結果は、FK興産は、五井の傘下に組み込まれなかったが、私とナオキが、五井に不信を感じさせるには、十分な出来事だった…
にも、かかわらず、今も、五井と付き合っている…
伸明のみならず、マミさんや、和子、そして、昭子と付き合っている…
それゆえ、傍から見れば、実におかしな関係に他ならない…
理解できない関係に他ならない…
そして、それは、おそらく、伸明のみならず、私たちが、関係した五井の人間が、皆、善人だからだろう…
なんとしてでも、FK興産を五井の支配下に置かない善人だからだろう…
五井が、本気を出せば、FK興産など、一瞬で、吹き飛ぶ…
それは、蟻と象の違いに似ている…
五井が、一瞬でも、本気を出せば、FK興産の商売を邪魔することなど、造作もないことだろう…
なにしろ、FK興産は、ほんの二十年前に、ナオキが、大学時代の友人数人で、コンピュータの修理を始めて、できた会社だ…
その後、コンピュータのプログラミング等、コンピュータの事業を柱に、他の事業を行うことを、視野に入れて、事業を拡げた…
コンピュータ会社にも、かかわらず、FK興産と名付けたのは、その理由による…
ちなみに、FK興産のFは、藤原ナオキのF…
FK興産のKは、寿綾乃のKだ…
そして、そんなことを、考えれば、私とナオキは、いつ、牙を剥くか、わからないライオンといっしょにいることになる…
そう、思っても、よい…
ライオンというのは、もちろん、五井…
五井が、本気になれば、FK興産など、簡単に潰せるし、私とナオキを路頭に迷わせることも、できる…
いわば、私とナオキは、五井の手のひらの上にいる…
孫悟空が、お釈迦様の手のひらの上で、暴れたように、五井の手のひらの中にいる…
五井が、本気になれば、ライオンが、人間を食べるように、呆気なく、私もナオキも、路頭に迷わせることが、できる…
そう、思った…
実に、そう、思ったのだ…
だが、おそらくは、そうは、しないだろう…
そうは、ならないだろう…
それは、なぜか?
もし、そうならば、とっくに、五井は、FK興産を100%、子会社にしているからだ…
FK興産を、完全に支配下に、組み込んでいるからだ…
だが、それを、する最大の機会をすでに、逃した…
伸明の当主就任に際して、FK興産を、支配下に置き、伸明の手柄にする…
伸明が、誰の力も、借りずに、独力で、FK興産を子会社にしたことを、周囲の人間たちに、アピールする…
周囲の人間たちに、誇示する…
その最大の機会を、すでに、なくしたからだ…
だから、なんとなく、安心するというか…
手前みそな言い分だが、もう、五井が、FK興産に手を伸ばすことは、ないのでは、ないか?
そう、思う…
そう、思うのだ…
翌朝、私は、目が覚めてから、朝食の用意をした…
ホントなら、私一人ならば、朝食の用意など、しない…
冷蔵庫の中を、見て、ありあわせの食材で、なにか、適当なものを、見つけて、食べるぐらい…
ただ、今は、ナオキが、いる…
私の事実上の夫がいる…
それゆえ、さすがに、それは、できない…
自分一人のときと、同じ食事は、できない…
だから、事前に、近所のスーパーで、食材を買ってきていた…
昨夜のときも、そうだが、やはり、ナオキが、いると、調達する食材も、多くなる(苦笑)…
一人では、決して、食べないものも、買ってくるからだ…
今朝は、朝から、鮭の切り身を焼いた…
よく旅館で、朝食に出るメニューだが、正直、自分一人では、朝から、魚など、焼かない…
面倒くさいからだ(笑)…
自分ひとりでは、さっきも言ったように、冷蔵庫の中から、適当な食材を探して、テーブルに並べるだけ…
ベーコンやミニトマトなどを、探して、並べるだけだ(笑)…
私が、焼き魚を焼いていると、
「…いい匂いだ…」
と、言いながら、ナオキが、起きて来た…
「…おはよう、ナオキ…」
私は、ナオキの顔を見て、言う…
「…おはよう、綾乃さん…」
ナオキは眠そうな顔で、返した…
いかにも、たった今、目が覚めたと言う感じだった…
「…ナオキ、さっさと、顔を洗ったら…いかにも、もう一度、ベッドに入って、二度寝するって感じに見えるわよ…」
私の言葉に、
「…ホント?…」
と、驚いた…
「…昨夜、飲み過ぎたかな…昨日、諏訪野さんのこととか、色々、綾乃さんと、話していたから、ボクもつい、飲み過ぎて…」
「…ナオキ…酒を飲み過ぎるのは、いいけれども、その顔は、どうにか、ならない?…」
「…どうにか、ならないって?…」
「…四十を過ぎたオジサンが、深酒をし過ぎると、翌朝は、見られたものじゃないわ…」
私の言葉に、ナオキが、驚いた…
「…ウソ?…」
「…ホント…」
「…」
「…ナオキ、アナタ、イケメンだけれども、そのイケメンが、台無しよ…そんな顔じゃ、若い子は、口説けないわよ…」
私の言葉に、慌てて、その場から、去った…
きっと、自分の顔を見に行ったのだろう…
なにしろ、ナオキと出会って、十五年…
ナオキが、どんな行動を取るのか、わかっている…
それは、私も同じ…
ナオキもまた、言葉にしなくても、私が、どんな行動を取るのか、わかっている…
どんな思考形態を持つ女なのか、わかっている…
それは、お互い様…
お互い様だ…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、戻って来た…
「…ひどい、綾乃さん…そんなに、ひどい顔じゃ、なかったよ…」
と、呟きながら、戻って来た…
私は、それを、聞いて、
「…それは、ナオキが、そう思っているだけ…」
と、反論した…
「…目に生気がない…昨夜、飲み過ぎたのは、一目瞭然よ…ひげを剃ったら、嫌というほど、顔を洗いなさい…少しは、目も覚めるわよ…」
私が、言うと、
「…綾乃さんは、まるで、ボクのお母さんみたいだな…」
と、笑った…
私は、即座に、
「…それは、言い過ぎ!…」
と、返した…
「…私は、ナオキより、十歳は、年下よ…」
と、返した…
「…せめて、妹と言いなさい!…しっかり者の妹と言いなさい!…」
「…妹というより、小姑が、ふさわしいかな…」
ナオキが、笑いながら、反論した…
「…美人で、がさつな妹…」
「…がさつ? どうして、私が、がさつなのが、わかるの?…」
「…ほら、料理をする手つきが、ぎこちない…」
「…ぎこちない?…」
「…綾乃さん、昔から、料理は、イマイチだったから…」
ナオキが、痛いところを突いた…
私の弱点を突いた…
おそらく、私の顔色が、変わったのだろう…
即座に、
「…ごめん…」
と、ナオキが、誤った…
「…ごめん、言い過ぎた…」
私は、その謝罪を受け入れることにした…
「…ごたくは、いいから、さっさと顔を洗って、ひげを剃りなさい…食事は、それから…」
「…わかった…」
ナオキは、言って、再び、私の前から姿を消した…
こんな調子だった…
ジュン君が、いたときから、ずっと、こんな調子だった…
こんなやりとりが、普通だった…
こんなやりとりをする、男と女の間で、恋が、生まれるわけはない…
恋愛が、生まれるわけは、ない(爆笑)…
当たり前だった…
私と、ナオキは、恋人でも、夫婦でも、ない…
すでに、家族…
家族だった…




