寿綾乃という女 第4部 89
「…私が、知らない情報って、なに?…」
私は、聞く…
ナオキに、食い気味に聞く…
「…さっき、言った諏訪野さんの結婚のこと…」
すっかり、忘れていた…
肝心のことを、忘れていた(苦笑)…
「…諏訪野さんが、結婚するのは、その北東家の当主を牽制するためだと、言っていた…」
「…牽制? どういうこと?…」
「…五井西家の紹介で、会った女性と結婚すれば、西家は、本家に対して、色々言ってくるかも、しれないが、同時に、本家に、取り込むことができる…つまりは、今は、西家と北東家が、タッグを組んで、色々、やって来るが、それを、引き離すことができる…西家の紹介で、出会った女性と結婚すれば、西家と北東家を引き離すことが、できる…それが、今回、結婚を決めた理由だと、言っていた…」
「…」
なるほど…
たしかに、そう言われれば、わかる…
そう言われれば、納得する…
それに、なにしろ、西家の紹介で、あのハルカと、伸明が、結婚したところで、西家は、本家に、それほど、強気に出られないだろう…
言葉を変えれば、本家の運営に、口を挟めないだろう…
なにしろ、あのハルカという女性は、長谷川センセイの妹…
西家の女性では、ない…
西家夫妻の娘では、ない…
あくまで、先祖が、西家の人間だと、言うだけ…
先祖が、五井西家に繋がる人間だと、言うだけで、あの現五井西家当主とは、直接は、なんの関係もない…
ただ、あの西家当主が、五井記念病院で、長谷川センセイと知り合い、その長谷川センセイの妹を、本家の伸明に紹介した…
それだけの付き合いに他ならないからだ…
もし、仮に、伸明が、あのハルカという女性と結婚するとしたら、あの西家夫妻は、結婚式の仲人というところだろうか?
つまりは、仮に伸明とハルカが、結婚すると、しても、それほど、西家夫妻と、あのハルカという女性の縁は薄い…
縁が薄い=西家が、本家にそれほど、ものを申せないということだ…
しかしながら、あのハルカを紹介した縁で、これまでよりは、本家に口を挟むだろう…
しかしながら、何度も言うが、あのハルカは、西家夫妻の娘でも、なんでもない…
たいして、口を挟めないのが、実情だろう…
それよりも、ハルカと結婚することで、あの西家夫妻を、本家に取り込める可能性が、高い…
そして、西家を本家に取り込むことで、西家と北東家を別れさせるつもりなのだろう…
つまりは、伸明の狙いは、北東家…
五井北東家の当主、団郁馬だ…
私は、あらためて、思った…
私は、あらためて、考えたのだ…
そして、おそらく、伸明は、父である、建造の苦労を、間近で、見ている…
五井家の序列を崩そうとする、北東家の動きを見ている…
なにしろ、伸明は、四十代前半…
子供では、ない(苦笑)…
その五井北東家の扱いに、苦慮した建造の苦労を近くで、見ている…
だから、余計に、あのハルカと、結婚しようと、思ったのだろう…
とりあえず、西家と北東家を切り離そうと、
思ったのだろう…
そこまで、考えて、あらためて、あの伸明が、なぜ、今回、結婚しようと、思ったのか、わかった…
わかりすぎるほど、わかった(爆笑)…
しかし、
しかし、だ…
やはり、今、このナオキの口から、伸明が、結婚すると、聞くと、寂しかった…
実に、寂しかった…
心の中では、自分は、伸明と結婚できるはずが、ないと、わかっていたが、いざ、伸明が、結婚すると、聞くと、寂しかった…
実に、寂しかったのだ…
あらためて、思った…
自分の心のありようを、思った…
私風情の女が、伸明と結婚できるはずがない…
そう、いつも、思いながらも、いざ、伸明が、結婚すると、聞くと、ショックだった…
実に、ショックだった…
これは、私は、自分勝手?
自分勝手な女なのだろうか?
それとも、天邪鬼?
天邪鬼な女なのだろうか?
普段は、自分とは、なんの縁もない…
なんのゆかりもない…
と言いながら、いざ、伸明が、結婚すると、聞くと、動揺する…
実に、自分勝手な女…
自分勝手な女だと、思った…
我ながら、思った…
そして、そんな感情が、私の表情に、出たのだろう…
「…綾乃さん、大丈夫?…」
と、いきなり、ナオキが、聞いてきた…
「…大丈夫って、なにが、大丈夫なの?…」
と、私。
「…綾乃さんの顔色だよ…」
「…私の顔色って?…」
「…綾乃さん、顔が、青いよ…」
「…ウソ?…」
「…ホント…」
そんなに、簡単に、顔に現れたのだろうか?
伸明の結婚が、それほど、ショックなのだろうか?
あらためて、思った…
思ったのだ…
私は、立ち上がった…
「…綾乃さん、どうしたの?…」
「…鏡で、自分の顔を見てくる…」
私は、ナオキに言って、さっき、ナオキが、風呂から、出て来た、近くに、置いてある、洗面台の前に、言った…
自分の顔を見るためだ…
鏡で、自分の顔を見てみると、やはり、青白い…
いや、
それ以上に、表情が、ぎこちない…
なにか、ぎこちない…
表情が、こわばって、見えるのだ…
自分で、自分の顔を見て、これなのだから、他人が、見れば、いかに、私が、動揺しているか、一目瞭然だろう…
なにしろ、自分でも、わかるのだ…
いかに、自分が、動揺しているのか、わかるのだ…
あらためて、自分が、バカな女だと、思った…
普段は、伸明との結婚など、望んでいない…
そう、言いながらも、動揺する…
伸明が、結婚すると、聞くと、動揺する…
みっともないほど、動揺する…
バカな、女…
バカな、私…
つくづく、思った…
思ったのだ…
そして、私が、ナオキの前に戻ると、
「…綾乃さん…無理は、しちゃダメだよ…」
と、優しく言った…
「…無理? なにが、無理なの?…」
「…諏訪野さんのこと…」
「…」
「…綾乃さんが、諏訪野さんを、好きなのは、ボクの目から、見ていても、わかる…」
「…」
「…たぶん、綾乃さんは、わからないかも、しれない…でも、傍から見れば、見え見えとまでは、言わないが、綾乃さんが、諏訪野さんと、いるときに、いつも、諏訪野さんを、意識していることが、わかる…」
「…」
「…そして、それは、たぶん、諏訪野さんも、同じ…」
「…伸明さんも、同じ?…」
「…綾乃さんが、諏訪野さんを意識するから、諏訪野さんも、綾乃さんを、意識する…あるいは、諏訪野さんが、綾乃さんを、意識するから、綾乃さんも、諏訪野さんを、意識する…」
「…」
「…卵が先か、鶏が、先かと、同じ…どっちが、先か、わからないが、互いが、互いを意識する…たぶん、それが、恋…」
「…恋?…」
「…ボクと綾乃さんの間には、最初から、恋もなにも、なかった…出会ったときから、お互いに、気が合った…だから、男女が、惹かれ合うようなことも、なかった…ただ、気が合う…いっしょにいて、ホッとする…そんな関係だった…」
「…」
「…だから、もしかしたら、これは、綾乃さんの初恋かも、しれない…」
「…私の初恋?…」
「…だって、綾乃さん、これまで、好きになった男は、いなかったでしょ?…」
「…それは…」
「…要するに、すぐに、ひとを好きになるひとと、好きにならないひとが、いるんだと、思う…男女ともにね…」
「…男女ともに?…」
「…綾乃さんは、ひとを、好きにならないタイプ…」
「…どうして、それが、わかるの?…」
「…綾乃さんが、美人だからだよ…」
「…それが、ひとを好きになることと、なんの関係があるの?…」
「…おおありだよ…」
「…おおありって?…」
「…だって、美人は、あっちこっちの男から、頻繁に口説かれる…だから、どうしても、自分を守る意味で、男に興味が、なくなる…」
「…興味が、なくなるって?…」
「…あっちの男、こっちの男と付き合っては、身がもたないし、なにしろ、そんな状態だったら、散々、陰口を叩かれる…同性の女から…」
「…」
「…女の敵は女っていうけれども、それは、事実…綾乃さんは、男になびかないから、いいけれども、もし、あっちの男、こっちの男と、綾乃さんが、付き合っていたら、会社で、他の女性社員からの悪口、陰口が、凄かったと思う…」
「…ウソ?…」
「…ホント…」
「…ナオキ、当時から、そんなことに、気付いていた?…」
「…最初は、気付かなかった…」
「…最初は?…」
「…でも、会社が大きくなるにつけ、若い女性社員も増える…すると、綾乃さんのことが、話題になる…」
「…どうして、私のことが、話題になるの?…」
「…それは、美人で、目立つからに、決まっているでしょ?…」
「…」
「…だから、女性社員の視線が綾乃さんに、注がれる…注目される…」
「…」
「…でも、幸か不幸か…綾乃さんは、男たちに、見向きもしない…だから、彼女たちも、安心したんだと、思う…」
「…どうして、安心したの?…」
「…だって、美人と同じ男を狙ったら、勝ち目は、ないでしょ?…」
「…それを、言えば、ナオキだって、イケメンだし…」
「…男のイケメンより、女の美人の方が、目立つ…」
「…目立つ?…」
「…ほら、若い中学生や高校生を見れば、わかる…」
「…なにが、わかるの?…」
「…男同士が集まっていても、それほど、騒がしくないが、女同士だと、滅茶苦茶、うるさいし、楽しそう…」
「…楽しそう…」
「…つまり、一気に、場が華やぐ…」
「…」
「…だから、男より、女の方が、目立つと言いたいし、それゆえ、余計に、綾乃さんは、目立つと言いたい…」
「…」
「…でも、そんな綾乃さんが、男たちになびきも、しない…これは、社長として、助かった…」
ナオキが、思いがけないことを、言う…
これまで、一度も、聞いたことのないことを、言う…
「…もっとも、そんなことに、気付いたのは、ここ数年…会社が、安定してから…それまでは、気付くことはあっても、そんなことに、関わっていられなかった…仕事が、忙し過ぎたから…」
「…」
「…だから、そんなことに、気付いても、無視していた…今、綾乃さんと、こんな話をするのも、会社が、落ち着いたからだと、思う…仕事が落ち着いたからだと、思う…」
ソファに、座って、缶ビールを飲みながら。ナオキが、言った…
実に、しみじみと、言った…




