寿綾乃という女 第4部 87
「…本心って?…」
私は、たぶん、目の前のナオキ以上に、間の抜けた顔で、聞いた…
「…本心って、なに?…」
「…家柄…血…」
「…血?…」
「…どこの出身で、親は、どこそこの大学を出て、子供は、どこそこの高校や、大学を出た、というやつ…」
「…」
「…やっぱり、綾乃さんも、そこにこだわる?…」
ナオキが、聞いた…
真顔で、聞いた…
真剣な表情で、聞いた…
こんな真剣な表情で、ナオキに聞かれたのは、いつ以来だろうか?
覚えていないくらい昔…
昔だった…
なにより、いつも、私が、主導権を握っていた…
ナオキとの会話の主導権を握っていた…
が、
今は、違う…
明らかに、違う…
会話の主導権をナオキが、握っていた…
それが、驚きだった…
私とナオキは、黙って、お互いの顔を見た…
それから、言った…
ゆっくりと、言った…
「…こだわるわ…」
と、ゆっくりと言った…
「…でも、それが、どうかしたの? 当たり前じゃないの?…」
私は、言った…
当たり前のことを、言った…
が、
私の当たり前は、ナオキにとって、当たり前では、なかったらしい…
ナオキは、私の言葉を聞いて、黙って、首を横に振った…
実に、嫌そうに、横に振った…
「…綾乃さんの言うことは、正しい…」
と、言いながら、振った…
が、
それに、続いて、
「…でも、綾乃さんも、普通の女だな…ちょっと、ガッカリした…」
と、答えた…
「…ガッカリ? どうして、ガッカリしたの?…」
「…綾乃さんの言うことは、わかる…でも、それじゃ、綾乃さんと、結婚して、子供ができれば、綾乃さんは、子供を有名幼稚園や、有名小学校に通わせる?…」
「…それは…」
「…正直、綾乃さんが、そんな女だとは、思わなかった…」
ナオキが、言う…
実に、嫌そうに、言う…
「…だって、ナオキ…アナタだって、有名大学を卒業して…」
「…それは、ボクが、努力したことだから…」
「…努力したことだから?…」
「…子供のことは、よくわからない…」
ナオキが、首を横に振る…
「…ボクは、さっきも、言ったように、たまたま、運が、良かっただけ…それだけ…」
「…」
「…自分が、他人様より、ずば抜けて、頭がいいとか、思ったことは、一度たりとも、ない…」
「…」
「…だから、仮に、子供ができたら、好きなように、させたい…なぜなら、それは、子供たちの人生だからね…ボクの人生じゃない…」
「…でも、子供たちを有名幼稚園や、有名小学校に通わせて、少しでも、いい人生を送らせて、やろうと、するのは、親の役割なんじゃ…」
「…親の役割?…」
「…だって、ナオキは、今は、お金持ちでしょ? 学費が、目の玉が飛び出るくらい、高い、有名私立大学の付属の幼稚園や、小学校に入れられる…それは、有利…子供にとって、有利でしょ?…」
「…」
「…だから、世間の親御さんは、皆、子供たちを、少しでも、良い幼稚園や、良い小学校に、入れたがる…その方が、子供たちが、少しでも、良い人生を送れると、信じているから…」
私が、言うと、ナオキが、黙った…
難しい顔をして、黙った…
それゆえ、私は、
「…ナオキ…私の言うこと、間違っている?…」
と、聞いた…
が、
ナオキは、すぐには、答えなかった…
少し、考えてから、
「…間違ってない…」
と、ポツリと、言った…
「…でも、ボクは、嫌、ボクだけじゃない…大抵の世間の男は、それが、嫌なだけ…」
「…どうして、嫌なの?…」
「…子供の頃から、子供の人生のレールを、あらかじめ、親が決めているみたいで、嫌…」
「…でも、私の言っていることは、間違ってないでしょ?…」
「…それは、間違ってないよ…」
ナオキは、実に、嫌そうに、言う…
「…でも、綾乃さんも、わかっているはずだ…」
「…なにを、わかっているの?…」
「…ボクといっしょに、会社を大きくさせる過程で、さまざまな人たちを見た…FK興産に入って来るひとたちを見た…必ずしも、学歴が、高ければ、優秀とは、限らないと、それを、見て、わかったはずだ…」
「…それは、そうでしょうけれど…」
「…ボクが、この歳で、思うのは、運の良し悪し…単純に、それに尽きると、思う…」
「…運の良し悪しって、なに?…」
「…会社に入っても、どこに配属されるか、誰と、どんな仕事をするのか、誰にも、わからない…」
「…」
「…まして、それが、自分に合うのか、合わないのか、やってみなければ、誰にも、わからない…」
「…」
「…だから、運なんだ…運の良し悪しなんだ…」
ナオキが、力説する…
「…そして、それは、会社が大きくなってきて、綾乃さんの言う、有名大学を卒業した社員を見ていて、わかる…いくら、頭が良くても、そのひとと合わない仕事をすれば、うまく、いかない…結果を出せない…それが、痛いほど、わかる…」
ナオキが、吐き出すように、言う…
私は、それを、見て、ある意味、不思議だった…
ナオキが、言うことは、わかる…
でも、なぜ、そう言うのか?
これが、高卒の私が言うのは、わかる…
私は、高卒だから、学歴が、ないから、わかる…
でも、ナオキは、大卒…
有名大学卒だ…
だから、なぜ、そういうのか、わからない…
まるで、学歴に、コンプレックスが、あるように、言うのか、わからない…
それゆえ、聞いた…
ナオキに、聞いた…
「…ナオキ、今の話を聞くと、アナタ、まるで、学歴に、コンプレックスがあるみたいだけれど…」
と、聞いた…
「…これは、私の思い過ごし?…」
と、聞いた…
ナオキの顔色が、変わった…
わずかだが、変わった…
それから、ナオキは、ゆっくりと、
「…たぶん、それもあるかも、しれない…」
と、言った…
ひとつひとつ、言葉を噛み締めるように、言った…
「…ボクも、今は、少しぐらい有名になった…その結果、活動範囲というか、交友関係が、広まった…会社を起業したときには、会えないようなひとたちと、たくさん、会えた…その結果、自分の小ささを感じるようになった…」
「…小ささ?…」
「…ハッキリ言って、学歴や生まれ…ボクは、有名大学を卒業したけれども、だからと言って、ボクの父や母は、別に、そんなに頭は、良くない…また、生まれも、平凡…別に、実家は、お金持ちでも、なんでも、ない…」
「…」
「…でも、会社が大きくなり、ボクも、テレビに出て、少しばかり有名になると、さまざまなひとと、知り合うようになる…その中には、ボクが、どんなに頑張っても、肩を並べられないような頭のいいひとや、すごいお金持ちがいた…」
「…」
「…その代表が、諏訪野さん…」
「…伸明さん?…」
「…諏訪野さんとは、仲がいいし、気が合う…でも、彼と接することで、ボクとの生まれの差を実感することがある…」
「…生まれの差?…」
「…なにげない会話の中で、例えば、子供の頃、あの店で、よく食事をしたというのが、誰も知る高級店だったりする…ボクも、今は、そんな店に行くことも、たまにあるようになったが、そんな、ちょっとしたことで、諏訪野さんとの、生まれの差を感じる…おそらく、諏訪野さんは、なにも、感じてないと、思うけれどね…」
ナオキが、苦笑する…
「…だからかな…綾乃さんが、今、自分のことを、どこの馬の骨ともわからないと言われると、まるで、自分のことを、言われた気持ちになる…起業して、世間様から、見れば、羨む成功をしても、内心は、コンプレックスだらけ…なまじ、成功したから、これまで、ボクの人生で、会えなかったひとたちと、出会うことができた…これまで、ボクにとっては、雲の上のひとたちと、会えることができた…その結果が、コレ…あらためて、自分の小ささが、わかった…自分が、たいした人間じゃ、ないことが、わかった…」
「…」
「…だから、たぶん、嫌なんだと、思う…」
「…なにが、嫌なの?…」
「…さっき、綾乃さんが、言った、子供を有名幼稚園や、有名小学校に、通わせること…」
「…どうして、嫌なの?…」
「…やっぱり、そこで、他の子供との家柄の差とか、頭の差を痛感することが、あるんじゃないかと、思ってしまうんだ…ボクが、そうだからね…」
「…でも、ナオキは、お金持ちじゃ…」
「…成り上がりのね…」
ナオキが笑う…
「…生粋のお金持ちじゃない…生まれながらのお金持ちじゃない…頭だって、ボク以上に、頭がいいひとは、世の中に、ごまんといる…」
「…」
「…だから、もし、自分の子供が、そんな有名幼稚園や、有名小学校に入って、ボクと同じように、考えるようになったら、困る…綾乃さんの言う、有名幼稚園や有名小学校に入ることで、子供の将来を、少しでも、良くしたいというのは、わかる…でも、入ってみなければ、わからない…もしかしたら、そんな有名幼稚園や有名小学校に入って、成績も、交友関係もうまくいかなければ、子供が、不幸になる…それだったら、可哀そうだ…だから、ボクは、普通がいい…普通に地元の小学校や高校に入れば、いい…そして、頭が、良ければ、早稲田でも、東大でも、入ればいい…」
ナオキが、力説した…
ナオキが、激白した…
これまで、一度も言ったことのないことを、激白した…
これまで、十五年、付き合ってきて、一度も聞いたことのないことを、激白した…
そして、その話を聞いて、つくづく、人生は、難しいと、思った…
生きるのは、難しいと、思った…
世間から、見れば、間違いなく、成功者である、藤原ナオキも、また、悩んでいる…
悩みながら、生きている…
だからこそ、自分の経験から、子供には、無理をさせない…
無理に、有名幼稚園や、有名小学校に、入学させないと、思っている…
ナオキには、ジュン君という、血の繋がらない息子がいるが、平凡な、幼稚園や、小学校に通った…
当時は、お金がなかったからだ…
だが、今は、お金がある…
成功して、お金がある…
にも、かかわらず、当時は、考えもしなかった悩みもできた…
そういうことだろう…
つくづく、人生は、うまくいかない…
そう、思った…
そう、思ったのだ…




